2018/02/26

地下鉄は身近なれど……──葛西

2018.2.3【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_1

 江戸川区内はおおむね歩き、何だかなぁ〜の様子が分かったので、今回からほとんど初めての東西線 西葛西駅から下り方面を歩こうと思います(葛西は江戸川区ですが地下鉄博物館があるので)。



 葛西にある美術館とはどんなものかと足を運ぶも休館。地元出身の建築家 関口雄三氏の「子供たちに気軽にアートに触れて欲しい」との思いにより2001年に開館。
 常設展示される彫刻家 柳原義達氏の作品は、鳩やカラスの彫刻が有名なのに、全然違う写真を撮ってしまった(右)。カラスの巣にも見えないし……
 周辺には関口氏の手によるのか、チラホラとデザイン性を感じさせる建物がありますが、あまり個性が過ぎると落ち着きのない町になりそうとも。




 1986年葛西駅高架下に開館した地下鉄テーマパーク(?)の入口は改札になっており、腕に覚えのあるOB(?)が切符(入場券)にハサミを入れてくれるが、現役時代(高度成長期)のノリはなく、確実さ第一の手さばきに。
 ガキ時分、リズミカルに改札鋏を鳴らしてハサミを入れる姿がカッコ良く見えましたが、中にはリズムに酔っているのか「早く切ってよ!」という駅員もいましたっけ。切り損じもご愛嬌で、自動改札と比べればゆるい時代でしたが、自動改札の警告音って、通勤客をイライラさせようとする効果音のように聞こえます。
 上は丸ノ内線一号車、下は日本初の地下鉄銀座線車両。


 地下鉄限定の博物館(新幹線はない)って人気あるの? と思うも、付近は地下鉄しかない土地柄で身近なこともあり、女の子たちの食いつきもよさそうです。親にとっても「きょうはここで」と安心できる施設(入館料 子ども100円)なのでは。
 人気の運転シュミレーターには行列ができており、地下鉄なのでトンネルを走り続けますが、乗車時には気付かない起伏が見て取れるのは楽しそう。
 ガキ時分に心躍らせた模型電車が動くパノラマコーナーは、地下鉄を意識した構造物が多いため見通しが悪く、どの路線を説明しているのか分かりにくいと。
 地下鉄は身近なれど、東西線も利用者数が輸送能力のキャパを越えているように……


 上は、副都心線建設に使用されたシールドマシン(トンネル掘削機)のカッターディスクですが、以前見た首都高速 山手トンネルで使用されたマシンは、もっと複雑だった印象があります。副都心線沿線ルートの地盤は軟らかかったのか。

 ガキ時分、車内の床は木製でしたが、都心の地下鉄はスマートな仕立てに見えます。
 神奈川県を走るローカル路線の床板は、レールの枕木を薄く切り油をしみ込ませたような姿で、すり減った部分ではネジが頭を出していました。
 後年、鋼板上にシートを貼った床が登場し「何て柔らかな床!」と驚きましたが、新しさばかりに関心が向いていた時代には、木のぬくもり云々という感性は持っていなかったように……





 ゾウや獅子の装飾がある鐘楼に引き寄せられます。江戸時代の建築物が当時の姿で残るのは(1984年解体修理)、震災や空襲の被害を受けなかった環境のおかげと。

 永代通りは、皇居大手門前の大手門交差点から江東区の清砂大橋(荒川)西詰交差点に至る道路で、その東側(埋め立て地)に延伸された清砂大橋通りは、現在右の旧江戸川手前が終点。時期は不明だが、カメラ背後の旧江戸川に架橋計画(仮 堀江橋)はあるらしい。
 一般的に埋め立て地間を結ぶ橋は少ないため散策しづらいし、東京都・千葉県の県境で双方に住宅地が広がる地域ならば、災害避難路確保のためにも早急に造るべきと。


 旧江戸川を航行する小型タンカーは、波の影響が少なく、水深が浅い環境向けの設計らしいが、満タンの荷を積む姿は小型ボートの波でもかぶりそうと。
 川沿いの立地に固執する工場は効率が上がらないように感じるも、内陸地の雇用を支えているため、一概に海沿いに立地すべきとは言えないと。


追記──美しさが生んだ速さ(スピードスケート女子団体パシュート)

 研究により提案された理想型を肉体で実現できれば、成績と共に美しさを放ちますが、団体競技の滑りをシンクロさせるまでには、どれほど時間が必要だったか?
 リオ五輪 陸上競技・男子4×100mリレーのバトンパス同様、Japan Specialtyという武器を備え高みに挑む姿は、国民の心をしっかりつかみました(芸術点をプラスしたい!)。アスリートとして、高木美帆の飾りっけのないストレートな姿勢こそがカッコいい! と。

 今大会の成績は素晴らしかったし、メダルに届かない選手にもベストを尽くした姿を多く目にできたので、とても盛り上がった印象を受けました。
 彼らの奮闘を東京オリンピックへとつなぐために、助力できることがあればと……

2018/02/19

地盤沈下だけではない──東大島

2018.1.27【東京都】──江戸川区探訪_15

 1930年(昭和5年)造成の荒川(放水路)は当時の町村界に関係なく通されますが、分断された村を含む合併で32年江戸川区誕生の際、西側の江東区との境界が旧中川沿いに設定されたため、荒川を挟み飛び地のような地域があります。


 この日は亀戸行きの都バスに乗り(西葛西→両国や秋葉原行きもある)、車窓から目にした清洲橋通り、新大橋通り等の標識に、江戸市中(隅田川)へ続く道の歴史をうらやましいと。埋め立て地に通された新しい道の名称は、語呂合わせの記号のようで覚えやすくても、文化の香りが感じられません。




 1998年周辺の防災再開発事業により移築されますが、周囲を高層住宅に囲まれる様は城塞都市の守り神のようにも。現実には、災害避難場所の広場に境内の土地も組み込まれるように見えるが、社の存続と地域社会とのつながりには絶好の環境とも。
 上写真、柵の奥中央に白く見えるのは富士山を模した富士塚の碑で、周囲には当時からの石碑が並びます。以前南葛西でも感じた、平坦地に暮らす人々の山へのあこがれ? のようにも(浅間神社は富士山信仰の社)。




 旧中川は荒川放水路の開削により元の流れから切り離された水路で、地盤沈下の影響から水門に守られる池のような存在となり、流れのない水路ではボート競技等の練習が盛んに行われます。
 普段は穏やかな川面も北風が強烈なため、上の艇たちは風で下流へ流される際はおしゃべりしていましたが、帰りは苦労しているように。



 バスで荒川を渡る際に目にした河川敷を走るランナーたちは、東京30K 冬大会(マラソン)参加者と知ります。
 右はメイン会場撤収の様子で、更衣所等の一体型テントはたたむと右の姿に。設営・撤収は手軽でもがさばりそう……

 ここは、江東区・江戸川区にまたがり、災害時に20万人の避難を想定した防災公園として整備されます(1997年)。荒川に面した広い敷地は空が広いため開放感があり、川沿いにある小松川千本桜の樹齢はいい感じに見えるので、花の季節にはまったりできそうです。

 荒川と旧中川に挟まれた小松川1丁目付近だけ土地がかさ上げされるように見えるのは、高潮対策ではなく、前所有者 日本化学工業の、六価クロムを含む鉱滓(こうさい:精錬後の鉱物くず)の廃棄場だったことによります。
 汚染地下水の流出発覚後、都は汚染土壌の洗浄や封じ込めを行うが、その後も汚染地下水の流出は収まりません。
 高度成長期の臨海部一帯は汚染物質の廃棄場とされたらしく、葛西臨海部周辺が死の海と化し漁業が衰退したことも、当時の辺境の地という認識が原因のように。
 汚染物質の流出防止に失敗し対処に追われる都の対応は、都民ファーストどころかSafety Firstすら実現できないように。その甘さが、築地市場の豊洲移転で繰り返されたとすれば、まずは「都職員の学習ファースト」に取り組んでもらわねばと…… 右は、希望を表現する像。



 江戸期付近にあった中川船番所が、夜間の出船や女性・鉄砲の出入りを取り締まったのは、関所と同じ役目かと。
 付近には、水陸両用バス スカイダック(リンク先YouTube)のスプラッシュポイントがあり、この日は客が少ないせいか、中華系家族の旅行者が貸し切りで乗車 or 乗船(?)していました。
 はとバスのコースにありそうでも、近ごろは細かな情報まで調べる旅行者が増えたため、その恩恵は地方まで行き届きそうです。 Welcom !  でも通訳が足りないとの声を、新たな雇用機会と考えれば、別の芽も生まれそうと。




 荒川ロックゲート(2005年)は、荒川と旧中川を結ぶ閘門(水位の違う水路間の船を航行させる施設)で、災害時の水上交通を確保するため、阪神大震災クラスの地震に耐えられる設計とのこと。
 前回訪問時も迫力ある施設と感じたが、ゼロメートル地帯に暮らすようになると「頼りにしてまっせ!」という存在に見えてきます。

 下は、荒川放水路開削時に荒川・旧中川間の水位調整のために作られ、大島小松川公園に保存される旧小松川閘門。
 以前は、2枚下の旧江戸市中へと続く小名木川の正面に旧小名木川水門がありました。


 右の小名木川は、徳川家康が塩を確保するため行徳塩田まで開削した運河ですが、きれいな姿で残されているので現在は観光船のルートになっているそう。

 都営地下鉄 新宿線が東大島〜船堀駅間の荒川を高架橋で越える理由を、周辺の地盤沈下が著しいためと理解していましたが、付近に埋められた汚染土壌を避けるため高架にしたのではないかと。地下鉄構内に汚染地下水が流れ出したら、電車はストップしてしまいます……

 今回は、転居によりゼロメートル地帯が身近に感じられるようになった、をテーマにするつもりでしたが、周辺に有害物質がまき散らされたことを知り、うちの団地のまとまった土地も怪しいと思うように。
 経緯を知らない庶民は、家賃が安く暮らしやすい地域を求めて集まりますが、物価の安い理由を知るとちょっと考えてしまいます……

 そんな不信感が高まったところで、江戸川区探訪は終了になります。


追記──羽生結弦 冬季五輪2連覇! 不可能と思っていました(大変失礼)

 昨年負傷したシーンがテレビで何度も流れたが、目をそらすほどのケガに見えました。
 五輪に挑む際の「現在可能な準備はした」に、ベストではないと感じたが、彼が自信を持てるレベルであったことに(痛み止めを使ったとはいえ)驚かされました。
 アイドルのような受け答えはファンに対する感謝としても、23歳でプーさんのぬいぐるみでは疑いたくなります。

 一方、長野五輪の清水宏保のように気合いに満ちたオーラ(リンク先YouTube)が感じられた小平奈緒の表情には、イケそうな雰囲気を感じました。短距離の金メダルを狙うには、獲物を狙うようなハングリーさが必要なのだと。
 本当に速かったし、五輪記録を祝福する観客に向け、次のレース競技者への配慮求める姿勢は、スポーツマンシップの体現者の姿として記憶に残ることと……

2018/02/12

静かな入り江の活用法──旧江戸川

2018.1.20【東京都】──江戸川区探訪_14

 地下鉄 東西線に近い地域ながら旧江戸川に橋がないため、千葉県 市川市へ渡るには遠回りの京成バスを利用するしかありません。付近では以前から京成バスが力を入れていたらしいが、都営新宿線開業後も都営バス路線がないのは、都が放任した地域ということか。


マリーナと造船所

 旧江戸川は、前回歩いた篠崎水門(海水の遡上を防ぐ)の下流は海とすれば、付近は入り江のもっとも奥まった場所にあたります。
 レジャーボート販売のイズミマリーン(豪華なボートが並ぶ)付近に造船所が並ぶので、そこで造っているかとのぞくも、ドック内には台船(箱型の浮き船)の姿が。
 以前付近には、王子マテリア 江戸川工場(下が江戸川下流域の漁業被害「本州製紙事件」の元凶)のような工場が並び、前回の江戸川区スポーツランドや江戸川区水辺のスポーツガーデン(2枚下)等、まとまった土地の公共施設は工場跡地を整備したように見えます。


 最寄りとしては距離はあるが、都営新宿線 瑞江駅周辺は川沿いの工場従業者が立ち寄るようで、地元色を持つ店舗が根付くように見えます。
 一之江(何も無い)や篠崎駅周辺は、地域住民をターゲットとするチェーン店舗ばかりですが、瑞江には労働者相手の小規模な店舗がありそうなにおいがします。
 暮らしやすさに基準はないと思うが、働く人々向けのサービスがない町ではひと息も入れられないし、共感できる光景にも出会えません(オヤジの嘆きです……)。




 旧江戸川沿いの細長い土地(造船所が並んだのか?)には、野球場、テニスコート、フットサルコートに加え、初めて目にするローラーコート(都内最大らしい)が整備され、一周200mのバンク(傾斜面)がある本格的なコースは一輪車競技も利用できるそう。
 彼女たちが履く車輪を縦一列に並べたインラインスケートは、アイススケートのスピード靴のように速そうで、四輪車のようなローラースケートはホッケー靴のイメージか?(以前のローラーゲームローラーダービーとして五輪競技を目指すそう)。
 スピード競技のチーム戦練習は、40km/h以上のスピードながら音は静かでスマートに見えますが、ずっと中腰姿勢なので足腰の鍛錬が重要でも、トレーニングはキツそうと。
 競技会は各地で開かれ、岐阜長良川大会は高橋尚子ロードで行われます(余談ですが、高橋尚子ロードは岐阜だけじゃない! らしい)。


 スポーツガーデン前の旧江戸川には、現在使用されない船舶係留施設の柱が残り、放置されたままの船が沈んでいます。
 東京都は、運河・河川での不法係留の取り締まりや、放置船の強制撤去・処分の権限等を強化しますが、上の場合などは撤去に数百万円程度かかるため、おいそれとは手を出せないようです。


中川と旧江戸川の合流付近


 上は、東京都がボート不法係留の防止策として整備した暫定係留施設ですが、掃きだめのように見えるアングルで撮りました(失礼…)。
 奥の大きなマンション群(左は都営住宅)の広い土地は工場跡地と思われ、右後方の煙突は江戸川清掃工場ですから、現在は住宅地となるも交通の不便さがうかがえます。
 その奥には、清掃工場の余熱を利用した温浴施設「くつろぎの家:60歳以上限定」を作り、近所のお年寄りのご機嫌を取っているようです。

 旧江戸川との合流付近にある中川の今井水門は、中川上流(ゼロメートル地帯)を高潮から守るための施設。

 その合流付近にも、旧江戸川沿いの細長い土地に今井児童交通公園があり、右はペダル式サイクルモノレールのレインボーサイクル
 奥の工場は、以前対岸で屋形船の上でダンス練習する女の子を撮る際、奥に見えた工場で、こちらの岸辺からも撤退へのプレッシャーをかけているように。
 下流には、産廃処理施設が並ぶ妙見島が見えます。

 前回の篠崎水門(車両通行不可)から付近の今井橋まで旧江戸川に橋がないのは、江戸川区と市川市の関係がよくないためか?


追記──2月7日 きょうは何の日?

 通勤時に会社近くの交差点で、歩道まで封鎖する勢いの警備体制を目にし「にぎやかな一日になりそう」と思うも、すでにロシア大使館前では、合気道の道着姿(?)の年配者が君が代を歌っています。
 この日は北方領土の日(国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図る目的で制定)で、1855年江戸幕府と当時の帝政ロシア間で最初に国境を定めた、日露和親条約が結ばれた日に由来するそう。
 勉強になりますが、もう少し静かにご教授願えないだろうか……


追記──郵便局のスーパーカブ 第三話

 勤務先に隣接する郵便局から、赤い旧スーパーカブがバイク買い取り業者に引き取られていきました。中古車を扱う業者ですから手入れして売るつもりでしょうが、スーパーカブには丈夫そうなイメージがあり「まだまだ走れるだろう」との、信奉心が根付くことに気付かされます。
 乗ったことがない者にも本田宗一郎氏の偉大さを浸透させたのは、郵便・新聞配達員方々の地道な業務のおかげではないかと……


2018/02/05

もっと自由な姿を──篠崎

2018.1.13【東京都】──江戸川区探訪_13

 都営地下鉄 篠崎駅(1986年開業)は都内最東端の駅で、比較的新しい駅周辺には小ぎれいな商業施設が並ぶも、立ち食いそば屋が見当たらないのは時代の流れか……



 江戸川河川敷にあるポニーランドは広々としていますが、手綱につながれた馬は人間に服従のため、覇気の無い眠たそうな目をしています。
 仕事が終わり綱から開放された途端、鞍を乗せられた背中がかゆいようで地面にこすりつけ始めますが、彼らの自由時間はこの時だけのように見えます。
 子どもの情操教育には身近な施設は大切と思うも、もっと広い場所で自由に過ごす馬を見せてあげたいと。



江戸川分岐点


 以前付近には、渡良瀬川水系の太日河(ふといがわ)が流れていましたが、江戸時代の利根川水系改修に伴い利根川の水が流されようになり、江戸川の原型となりました。
 後の浅間山噴火の際、噴出物が利根川水系に堆積し洪水が頻発したため、1920年(大正 9年)江戸川放水路(江戸川)が開削され、元の流路は「旧江戸川」とされます。
 上の江戸川放水路(奥)と旧江戸川(手前)の分岐点付近は、遊水池的な役割があるため土砂が溜まるように見えますし、二つの流路は排水路的な存在のようです。




 付近の江戸川には行徳可動堰、旧江戸川には上の篠崎水門(航路を確保する上手前・右の閘門を併設するため「水閘門」とされる)を設置し、上流の金町浄水場の取水水質保全のため、海水の溯上を遮断しています。
 下を訪問した帰りに水門が開いていたのは(せき止めた川の水を海に流す)、海水が遡上しない干潮時に排水するためで、かなりの勢いがありました。
 大都市の水を確保するためには、このような施設が必要なため水道料金が高いのかと。東京の水は豊かではないことを、河口近くで気付かされました。


篠崎マリーナ(?)


 Google Mapに篠崎マリーナとあるが、旧江戸川に面した水門は閉ざされたままで港内は使われないらしく、船の廃棄場のような光景が広がります。千葉県 市川市に属するも国土交通省の貼り紙があるので、別用途の利用計画があるのかも。



 23区唯一の区立アイススケート場で(夏はプールとされる)、第37回全日本ジュニアショートトラックスピードスケート選手権大会が開かれています。
 ガキ時分に通った屋外リンクは、時折氷が溶け水びたしになったが、屋内リンクは氷温を管理するため寒いこと。そういえば、テレビで目にするフィギュアスケートの観客席は、みんな防寒着でしたっけ……

 間もなくピョンチャン五輪が開幕。
 冬季五輪って、いつも盛り上がりに欠けたまま終息する印象がありますが、今回は盛り上げてもらいたいと選手団の活躍を応援しております!