2017/04/24

砂浜に誘われて──大森

2017.4.15【東京都】──「内川を歩く_2」

 2週間前、桜まつり会場とされた馬込桜並木通りの桜も散り、日常を取り戻した光景に接すると、地域生活にもメリハリが重要であると実感します。



新井宿(あらいじゅく)

 大田文化の森(大田区役所跡地→蒲田に移転)付近に残る旧新井宿の地名は、鎌倉時代の古東海道(平間街道)に由来するもので、いまも健在の「旧街道のプライド」により、道筋に存在感が残ります。
 明治期の鉄道開通後、大森駅周辺の眺望のいい丘陵地に建てられたホテルは人気の名所だったそう(大森駅の陸側は丘陵地に接すること、初めて知りました)。
 一方、海側に広がる農地には旧六郷用水(狛江市付近の多摩川を水源とし世田谷区〜大田区に至る用水路)が引かれるなど、恵まれた地域の印象も東海道筋のおかげか?
 右は付近の障がい者総合サポートセンター。


JR鉄橋下の私設通路


 上は、JR京浜東北線 大森~蒲田間の内川に架けられた新井宿第1号橋りょう
 鉄道開通時の低い盛り土に架けられたので、線路下の通路は川面側に下って通されます。海水の影響を受ける場所に低い通路を作って大丈夫? との施設は、線路を渡る道が少なく不便解消のために作られた私設通路とのこと。
 「事故・ケガは自己責任で」と、安全性に問題があっても通路が撤去されないのは、パイプで組んだ仮設施設(恒久施設ではない)のため、黙認しているのか。
 身を屈める必要はあっても、近隣住民には欠かせないアンダーパスのようです。

 鉄橋下流側が幅の広い川面となるのは、工場が並ぶ地域で必要とされたのか。
 付近で普段利用するクリーニング店の施設を目にし、冬物を出さなきゃと……




 埋め立て整備された、大森ふるさとの浜辺公園周辺の海では、江戸時代から海苔の養殖が盛んでしたが、多くの船が係留された運河の貴船堀も埋め立てられ、細長い公園とされます。
 海苔漁師も海の民なので、陸で生業を持つ者は付近の香り(生活臭)に違いを感じます。それは海を異界と感じ、境界の浜辺に関心を持つことにつながりそうです。

 下は安全祈願する漁船の係留場ですが、用途の違いから漁船より右のレジャーボートの方が大きかったりします。





 ここは、内川の河口周辺を埋め立てた砂浜ですが、洪水時は内川に下水流入のおそれがあるため遊泳禁止とされます。雨水等が集中する下流域の下水インフラ整備は大変そう。
 その代わり? シーカヤックやカヌーの体験メニューは、波が穏やかな海なので気軽にチャレンジできそうです。


 海岸の正面には倉庫が並ぶも、開放感から「海に行こう!」と若いグループ(高校生)が集まり、「浜辺」の名称は年齢の高い世代にもなじむためか、幅広い年齢の方が訪れています。
 2017年4月東京初の常設型ビーチバレーコートやフットサル場がオープンし、水辺を生かしたスポーツの拠点を目指しており、ライバルはお台場か? ベトナムからビーチバレーコートの白砂(粒子が丸く細かい)を輸入する、気合いの入れようです……


追記──弾道ミサイル落下時の行動について

 日本政府が示した、身を守るための方法

 できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する。
 物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る。

 窓から離れるか、窓のない部屋に移動する。

 を読んでいると、(役に立たない)防空頭巾をかぶる間もなく被爆された、広島・長崎の方々の無念さが去来します。
 有事をシュミレーションした結果、つまるところ「人の命は運に左右される」ことを覚悟しておけ、という結論のようです。国が示すべき内容とは思えないが、これがアメリカの「GO !」を抑止できない場合の最善策ということか?
 ですがこんな状態が続けば、次第に政府の指示に従順になるかも知れないとの、おそろしさを感じます……

2017/04/17

Japan Blossom──新宿御苑

2017.4.8【東京都】──「HANAMI Garden」

 好天は望めなくても「お花見の空気」を体感したいと、入苑に行列ができる新宿御苑へ。今回も季節感があるので、先に掲載します。



 満開となった週末の天気はイマイチでしたが、花見目的の外国人観光客が増えた様子には驚きました。
 外国の方にも、顔を上げれば笑顔になれるこのシーズンをオススメしたいと思っていたが、彼らの笑顔に接するとこちらもうれしい気持ちになります。普段の混雑に外国人観光客が増えたらと思うも、花を見ればそんなことは意識の彼方です。
 前週、開花の遅いつぼみを見上げ「何で咲かないの?」と、悲しげな外国人を見かけたが、そればっかりは…… ツアーに「花見保険のキャッシュバック」が登場したとしても、満開のSAKURAにはかえられません……


 雨あがりで地面が湿っていても、作ってくれたお弁当(?)を食べることが、この日のメインイベントです。
 この光景は、男が夢に描くものですし、女性は「アピールタイム!」にしたいところでしょう。
 春の儀式は差し向かいで! は、男女共に思い描く花見の理想像のようです(わたしもそう思います)。

 この日の御苑を包むHappyなオーラは、国籍に関係なく来苑者の感激から生まれたもので、Japan Blossomを観光だけでなく外交・友好の手段として、もっと有効活用できないかと思ったりします。

 花びらが散る木の下での待ち合わせって、相手が彼氏としたら将来が不安にならない?(大変失礼)
 少人数での現地集合は心細いし、アベックの場合はトラブルの原因になりそうと思うも、いまどきはスマホがあれば結構大丈夫なのか?

 ここは宴会(酒類)NGなのでゆとりがありますが、以前、場所取りの先発隊でブルーシートの上で寝ていたことを思い出しました。
 屋外の「春の宴」では、声が拡散するので大きな声で話す必要があり、発散はできても開放的すぎるためか、輪郭のぼやけた記憶が残ります(それが春?)。

 散ってくる花びらを追い、キョロキョロする表情まで撮っちゃったけど、桜の満開の下は無礼講ということに。
 以前、桜の花びらが入った和菓子や、花を一房浮かべた桜茶(ほんのり塩味は塩漬け?)で春を味わったのは、どちらも季節先取りの寒い時期だったように。
 味ではなく、花びらで春を期待させる「桜マジック」に酔いつつ春を待つのが、この国の季節感です。

 戦後の希望とされたソメイヨシノの植林は、見事に花を咲かせましたが、クローン(接ぎ木)は一代限りのため、桜を楽しむためには接ぎ木を繰り返す必要があります。それを手間とせず継続する姿勢が、実に日本らしいと……

 花に囲まれた写真は可愛く見える(?)らしく、女性は花の前で笑顔を作るため、花と同様、笑顔が多い場所の雰囲気は明るくなります。
 多くの人がカメラ(スマホ=ビデオカメラ)を持ち、ネットで公開する近ごろですが、おもしろいと感じるのはハプニング映像程度なので、完成した映像よりも、撮影に腐心する姿の方が楽しいのではないか、とも。
 右の女性はポーズがサマになっていますし、下は映画『メリーポピンズ』のように空を舞う絵になるのか?
 ここは八重桜もきれいなので、これからも花を楽しめます。

 千駄ヶ谷門を出て駅に向かう際に耳にした、地響きのような「ウォ〜!」という歓声は、秩父宮ラグビー場のスーパーラグビーでサンウルブズが勝った試合でした。
 ラグビーがファンをつかんだように、注目を集めるスポーツが増えることは、子どもたちの選択肢が増え、夢が広がることにつながるのではないかと(バスケットのBリーグがおもしろそうと)。


追記──浅田真央ちゃん引退

 彼女はアスリートなのに、サービス業のような引退会見の笑顔は、「始末は自分で」のプロ意識かと。
 現役生活の最後は苦しんだようですが、それも含め「完全燃焼」と言い切れたのですから「お疲れ様でした」と共に、彼女も加わった女子フィギュアスケート界の系譜の継続に、尽力されますことを。

2017/04/10

わたしが咲きましょう!──馬込

2017.4.2【東京都】──「内川を歩く_1」

 季節柄、桜並木を物色するうちに、認識してなかった川の存在に気付きました。
 立会川と呑川の間を流れる内川は、北馬込付近に始まり、大森ふるさとの浜辺公園付近で海に注ぎます(上流は暗きょ)。季節感を伝えるため掲載順を入れ替えます。


 ※国土地理院 標高地形図「東京都区部」から途中で切れるため標高図は掲載しません。


松原橋(リンク先は以前の空撮写真)

 都営浅草線 馬込駅〜西馬込駅周辺を歩くのは初めてで、近くを通る横須賀線も切り通しが続くため景色がつながらなかったが、Gulliverの看板を目印にしてみようと。

 第二京浜(国道1号線)の松原橋(右)は環状七号線を跨ぐ橋で、昭和15年(1940年)に完成した日本初の幹線道の立体交差点。当然渋滞の常習地で、二酸化窒素排出量が全国ワースト3と聞くと、付近に暮らしたいと思えません。
 高台を通された環七は海辺の平和島方面に向かうため、切り通しから低地へと下ります。


長遠寺(ちょうおんじ:真言宗智山派)

 山門脇のしだれ桜はソメイヨシノより開花が早く、ちょうど見頃でした。
 門前の道は古道とされ、付近は馬込八幡神社、小学校、郵便局が集まる、地域の中心地だったようです。
 商店街の代替わりした店の小ぎれいさに、需要はありそうと感じるも、店主の高齢化により要望に応えられない店の活気は失われるように。
 後継者のいない店舗が、歯が欠けるように売却されると、商店街の枠組みが失われてしまいます。丘陵の尾根を通る古道はバス通りで集客力はありそうなので、身の丈に合った活気なら取り戻せるのではないか。



 右の時計台は、校舎改築時(大正4年:1925年)に設置され、再改築(昭和37年頃)の際、取り壊しを惜しむ現所有者に払い下げられ、隣接地の個人宅に移設されます。
 時計台のある家に暮らすのは地域の有力者としても、その行動には財力だけでなく責任感が求められます。
 ですが近ごろは、地域外から大資本を後ろ盾とする連中が侵攻してくるため、名士とされた地主でも対抗できないのではないか?
 後継者のいない店舗から切り崩されては、地域の文化も失われてしまいそうです。




 ここは、日本画家 川端龍子(文化勲章受章)の作品を紹介する龍子記念館向かいで公開される、旧居+アトリエ+庭園で、竹に対する愛着が印象に残ります。上は、縁側のひさし裏(下から見上げた絵)に施された竹細工。
 説明員の方の「この奥が仏間」の意味が分からなかったが、東京国立博物館に寄贈した重要文化財「毘沙門天立像」などを安置した部屋の説明だったようです。
 個人の思いから文化財を迎える空間を作り上げ、主張(自然物の美しさは人の手で輝きを増す)を具現化した家屋・庭園に圧倒されました(突っ込むスキが無い)。
 右は、松の枝にシダ類を根付かせようとする姿。



 文士村とは、関東大震災後の大正末期〜昭和初期に多くの文士・芸術家がに移り住んだ地域の別称で、人物・作品を知らなくても記念館のたたずまいを楽しめます。

 今年の桜は満開まで足踏みしたため、桜まつりの時期でも2分咲き程度でしたが、ならば「わたしが咲きましょう!」の盛り上げに、春を待ちきれない人々が集まります。
 季節感を盛り上げる踊りなので、招かれた流し踊り、阿波踊り、郡上踊り等のチーム(連)は、元々春の踊りではなくても「春のよろこび」を表現してくれます。
 花はイベントに合わせてくれないので、今日のところは団子を味わい、花で盛り上がるのは仕切り直しということに……




 ローカル感漂う終着駅ですが、都営地下鉄北端の三田線 西高島平駅の「地の果て感」とは違い、京へのみちのりが続くようにも(共に延伸計画は消滅)。
 浅草線(1968年)、三田線(1976年:旧区間)開通時は、都営1号線、都営6号線と呼ばれ(ジジ臭い記憶…)、連番は2号線:日比谷線、3号線:銀座線、4号線:丸ノ内線、5号線:東西線と続くように、都市計画では都営・旧営団も同じ土俵で議論されました。

 一枚上の赤いはっぴのチームは近所らしく、衣装のまま上の第二京浜を渡る姿に「祭のあと」のけだるさが漂います。見事に咲いてくれました!

 馬込の地名由来は馬の放牧場と思っていたが、馬は傾斜地で暮らせても急傾斜地が多いので調べてみると、「ま」を接頭語とすると狭く窮屈な場所の意味になる、の説明がピンと来るような地域でした。


追記──長年お世話になった理髪店が閉店……

 髪型の注文って伝わりにくく、たいした髪型でなくても納得できるまで数回かかるものですが、仕方なく初め入った店でパツンパツンに短くされました。寝ている間に切られては文句も言えません。
 暖かくなりはじめた季節でよかったと思うも、来月の理髪店新規開拓が憂鬱になってきました……

2017/04/03

花見は車で来ないで!──洗足池

2017.3.19【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_8」 洗足流れ_1

 今回は、洗足池水源のひとつとされる、清水窪湧水からの流れをたどります。東急目黒線 洗足駅〜大岡山駅間の谷間の流れは、導水管(暗きょ)で洗足池まで流されます。



大岡山周辺


 清水窪の湧水は、高台を通る環状七号線(立会川との分水嶺)を背にした窪地にあるため、神が宿るロケーションとして清水窪弁財天(上:個人所有の敷地)を祭った心情は理解できるものです(東京の名湧水57選)。

 東急線 大岡山駅の上に建つ東急病院(右)は日本初の駅上病院らしいが、いくら音や振動を防止しても気になる敏感な患者さんもいそう。
 駅のホームには、他では見ることのない技術系会社の広告看板が並びます。一般人には響かなくても、東工大生をターゲットとする戦略は正しそうですし、特殊な分野に関心を持つ子どもがいるかも知れません。


洗足池周辺


 起伏の多い地域にとって平坦な池は貴重なため、周囲には水生植物園、ボート乗り場、グラウンド、図書館などを整備し、幼児から年配の方までが集える、いこいの場を目指しています。
 その一方、「花見は車で来ないで」の看板が並ぶように、近隣は違法駐車に迷惑するようですが、近場の公園で宴を開きたい(いまどきは道具も多い)との思いも、分かる気がします。
 上は千束八幡神社の絵馬で、源頼朝が池に映る月のようにたくましと「池月」と名付け、平氏討伐で活躍した馬。
 関東の八幡神社は源氏由来のため、日蓮が池で足を洗い「洗足池」となっても、神社名は「千束」のままです。

 勝海舟は、西郷隆盛との「江戸城無血開城」交渉に向かう際に立寄り気に入った、池の東側に別邸 洗足軒を建てます(現在 夫妻の墓地)。当時は未開の地でしたが、1922年(大正11年)田園調布と同時期に造成された西側の丘にはシャレた住宅街が広がります(立派な庭のある家も)。
 翌年の目蒲線 洗足駅開業・関東大震災以降、山手の宅地が注目され急速に発展します(池上線 洗足池駅は27年開業のため、当初の最寄りは洗足駅)。

 洗足池を検索し、皇太子妃 雅子さんの実家が洗足駅に近いと知るのも、ネットらしさと。


 湖畔の袈裟掛けの松は鎌倉時代の日蓮に由来し、現在の松は三代目。付近に創建された「御松庵」が現在の妙福寺(上)の始まりとのこと。

 右は、これまで車で数百回通っても気付かなかった、洗足池駅の五反田側にある1.4m程度の低いガード(徹夜明けのタクシーなので寝てたか? 何て仕事か…)。
 建設された昭和期の、鉄道も人も通れるから何とかなるという「前だけを向く」気分は分かるが、現在の周辺住民の気分はいかに?


追記──NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』終了

 子ども服メーカー ファミリアを、戦後のどん底期に立ち上げた深窓の令嬢たちがモデル。
 以前大阪制作の、『マッサン』『あさが来た』のような地域を越える広がりがないため、「神戸物語─戦後復興編」のように見えるが、ドラマ完結の十数年後に発生した阪神淡路大震災にも、くじけない心は受け継がれる、とも受け止められます。
 神戸+淡路島(?)の合成らしき、異人館を見下ろす丘が重要な舞台とされるが、あんな場所があったら大人気スポットになりそうと。
 芳根京子ちゃんの、大きな目と頬がプルンとした可愛いさを「ペコちゃんのよう!」と表現する感性は、この歳まで変わらないので一生このままのようです。彼女は涙もろいのか、泣き上手(?)をそのまま使ったのは正解と。
 マスオさん的な立場を演じる永山絢斗(けんと:瑛太の弟)の朴訥とした存在感と、いにしえのVAN(←現在も変わらず懐かしい!)創業者役の松下優也が印象に残ります。