2017/12/25

曲線に感じるなごみ──中川

2017.12.9【東京都】──江戸川区探訪_8(葛飾区編)

 中川は、荒川(放水路)の開削により分断され、以前荒川西側の、流れを止められた旧中川を歩きましたが、今回は現在も流路とされる東側周辺を歩きます(付近は葛飾区)。



 ここは、私立学校に勤務する方が加入する、日本私立学校振興・共済事業団の施設で、軟式野球場、陸上競技場、テニスコート等がある、総武線脇の広い運動場。
 隣接地にマンションはあるも、照明施設の上にBSアンテナを設置するのは、スポーツ中継を見たいから?

 最寄りの総武線 新小岩駅(1928年:昭和3年開業)周辺にしみ込んだ庶民生活の歴史は、錦糸町の延長上を想像してもらえば、大きく外れないと思います。
 周辺の猥雑な空気感は年月が醸し出すことを、新しい町(西葛西)との違いから実感します(嫌いではない)。




 元米穀商の外谷邸庭園を整備したもので、 池に中川の水を引き入れ干満の変化を楽しんだ「汐入り庭園」が残されます(現在水は通じてない)。大名庭園のような規模ではなくこじんまりとした様に、少しだけ身近さを感じます。

 近くにあるモンチッチ公園は、モンチッチ製造元のセキグチ本社近くのセキグチドールハウス(セルロイド製人形の展示施設)跡地を整備したものですが、公園には写真や絵柄があるだけ。モンチッチのラッピングバスには驚いたが、それが地域の自慢のようです。
 付近の道は旧水田のあぜ道のままで、迷路のような道を迷いつつ楽しめます。




 付近を歩くのは2度目ですが橋の存在を失念しており、対面してようやく「記憶がつながった!」と認識した次第。中川・綾瀬川合流地点の水門は覚えていたのに……
 綾瀬川は水質ワースト河川として記憶されますが、どぶ川だった旧船堀川=古川 等のようにフタができないため、本気の水質改善には時間が必要であることがうかがえます。

 フォルムが美しく、しなやかなに見える吊り橋は、世界で初めて曲線斜張橋+曲線はS字+路面に勾配 等の特徴を持つそうで、蛇行する中川の曲線とマッチしますし(流れからヒントをもらった?)、命名も見事と。


立石

 この地名は、奈良・平安時代の官道(東海道)の道標を立石様として祭ったことに由来し、その石を欠いて持つと病気に効く(祖母を想起するような表現)、戦争時に弾よけのお守りとされたため、いまは見る影も無いらしい。
 古墳が残るような地域で、古くから耕作地が広がりましたが、関東大震災の被害が少なく罹災民が流入したことから、急速に宅地化が進みます。
 同時期にセルロイド工場の進出が始まり、後の玩具産業〜モンチッチへと受け継がれます。
 右は奥戸街道沿いの酒屋。

 戦後ほどなく駅周辺に闇市が現れ、現在も「せんべろの街(1000円でべろべろに酔える)」は健在。とくればもつ焼きですが、表通りにもホルモン焼肉店(下)が並ぶ様子から、町のニーズはまさに下町庶民系のようです。

 付近はキャプテン翼(高橋陽一のサッカー漫画)の舞台とされ、地域の売りとしてキャラクター像を各所に設置しています。右は若林源三(大空 翼像は四つ木 他にある)。
 現在、南葛SC(翼が所属したチーム名)という組織を作り葛飾区からJリーグを目指すそうで、マンガに憧れを抱いた子どもたちが結集するとは、夢のようなチャレンジと。



中川分岐付近

 右は、中川(左)と新中川(右)分岐の突端。
 中川の蛇行する九十九曲りの流れは、8代将軍吉宗(鷹狩り好きでこの方面に関心があったらしい)が水害防止のため、点在する池や沼をつないだことにより生まれます。
 ですが1963年には、方法論の違う直線的なバイパス(新中川)が作られます。治水技術や下水整備の違いがあるとしても、直線化の選択は最後の手段と思われ、NGの場合は言い訳できませんから、かなりの覚悟が必要だったと……

 この日の終着地は京成高砂駅で、隣駅は柴又と知ると足をのばしたくなります……


追記──年の瀬の風物詩?

 勤務先に隣接する郵便局では、年末年始の臨時職員へのオートバイ研修が行われています。新型スーパーカブもギア操作が必要なので、原付免許(ギア操作を求められない)の方は練習の必要があります(慣れたらやめられないらしい)。そのためか、一時停止でも止まりたくない人がおり、「ちゃんと止まれ!」と指導したくなります。
 年末年始の郵便局はお祭り騒ぎですが(アルバイト経験あり)、くれぐれも運転には気をつけてください。年賀はがきを受け取る側は感謝・応援しています。


追記──入れ歯のお世話に

 毎週徹夜作業をしていた時分、徹夜明けに歯が浮くため30代半ばから歯医者に通いますが改善しないので、覚悟はしていたが、かめなくなる前にお世話になろうと。
 しばらく歯がなかったので忘れていましたが、入れ歯をした途端に仕事中も無意識にかみ始め、以前歯科医から「かみ締めている」と指摘されたことを思い出しました。
 これからは、入れ歯を食いしばって生きていくようです……

2017/12/18

文化の芽を育てる──小松川境川親水公園_2

2017.12.2【東京都】──江戸川区探訪_7

 西葛西駅→新小岩駅行きバスは、途中の船堀駅で乗客が入れ替わり、新小岩駅近くでは大混雑となります。鉄道は東西方向だけなので、区内の南北移動はバスに限られます。




 上は水辺に降りる滑り台で冬季は休止とされるが、脇から入り込んだ子どもたちは、落ちる寸前で止まるスリルを楽しんでいます。
 手前の2人は遊ぶ女の子で、左奥の女の子は「落ちたらどうするの? 信じられな〜い」と、立ちすくんでいます。
 作り手側も遊ぶ子どもも見事で、これが江戸川区流かと。
 下は、左の頭は切れてしまったが、好きな色合いなので。




 散歩には区内の見分をかねる面もあり、立派な文化施設の存在を知るも、この立地では利用しづらいと。
 交通は不便でも、以前からの中心地に主要施設を作ろうとする心情も分かりますが(中心地の体裁等)、ユーザーである住民にとっては「公共施設は便利さが一番」に決まっています。

 この日は子どもたちのイベントがいくつも開かれ、大・小ホールやロビーはにぎわっています。文化の芽を育てるには幼少期の経験や記憶が影響しそうなので、広く利用してもらうためにも、利便性が大切ではないかと。


 隣接の江戸川区立第三松江小学校では、東京都教育の日の催しとして「展覧会」が開かれています。校舎には7色のカラフルな染め物が飾られ、自分の手がけた部分を指差し父親に説明する姿からも、作業の楽しさが伝わってきます。
 わたしの記憶に鮮やかな色彩の印象が残らないのは、記憶が色あせたということなのか? 小学生時分は、カメラは一般的ではない上、カラー写真は高価なので「想い出はモノクローム♪」(大瀧詠一『君は天然色』)で残ります。



 以前農耕地が広がった周辺は、平坦で水に困らないため工場が誘致されますが、周辺の宅地化が進み、工場の周囲を埋め尽くす住宅は、じきに工場を追い出しそうにも。
 右は製糖工場の配管で、立ち位置の水路跡遊歩道越しに施設が建てられたのは、工場用地の選択肢が狭められた影響かも知れません。
 飛び地に工場を拡張するのは効率的ではないが、これだけの施設を移転するにはかなりお金がかかりそうです。
 そんな悩みを抱えるためか、周辺には住宅に取り囲まれた工場や倉庫が点在します。



 右は、江戸川区登録天然記念物の臥竜の松(樹齢推定500年)。以前紹介した妙光寺の松のように、門の上に枝をはわせる様子を一般の家でもよく見かけるので、周辺ではやったように。
 潮風に強い松が好まれたのは海辺が近かったなごりか?

 ここは黄檗宗(おうばくしゅう:江戸時代に始まる三禅宗(臨済宗・曹洞宗)のひとつで臨済宗に近い)の寺院。
 京都府宇治市 萬福寺が本山で、開祖の隠元によるインゲン豆由来の逸話を思い出します。東福寺を聞き間違え訪問したものの、足を運んでよかったと。




 江戸幕府 八代将軍吉宗が鷹狩の際、付近の神社で出された餅のすまし汁に添えられた青菜を気に入り、名称の説明に窮した神主に「ここは小松川だから小松菜と呼べ」との逸話が由来とされます。
 現在はハウス栽培のため近寄れませんが(上)、寒い中でもシャキッとした生命力から、冬を乗り切る力を分けてもらうようにも。
 実家の雑煮にも青菜が入るように、冬の葉物野菜はできるだけ食べるべきと擦り込まれたせいか、とても身近な印象があります。




 上は9人制のバレーボール大会で、コートは6人制より広いが、9人がコートに立つとボールを拾いやすいためラリーがかなり続き、応援の旦那たちも苦笑いの様子。
 隣のコートでは、エースアタッカーがバチンと決めていましたが、ラリーが続くどんぐりの背比べの方が、いい運動になりそうと。
 付き合わされた家族も楽しんでいるようで、家族円満に貢献するクラブ活動とも。

 この施設も新小岩駅(葛飾区)からバス10分+徒歩5分の地にあるように、区の施設はどこも交通の便はよくありません(西葛西駅に近い江戸川区球場が一番便利そう)。駅から歩くのも運動だ、とは言わないでしょうが……


追記──NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』終了

 徳川幕府を支える井伊家を導いた人物とされるが、彼女がいくら「争い無き世を徳川に託す」と語っても、作り話が多い印象から作為的な人物像に見えてしまうし、彼女が主体性を持ち行動した存在とは受け止められなかった。
 井伊家から想起するのは幕末期の大老 井伊直弼(リンク先は擁護論)で、日米修好通商条約(不平等条約)に調印し、反対勢力を粛清した安政の大獄を断行し、その反発から暗殺された(桜田門外の変)人物のため、思い入れが難しい面も。
 原作・脚本家の自己満足(都合のいい創作)に付き合いきれない、と感じた方も多かったのではないか。
 主演の柴咲コウは頑張っていたが、生かしきれてないように見え、不完全燃焼だったのではないかと……

2017/12/11

落ち着ける水辺──小松川境川親水公園

2017.11.25【東京都】──江戸川区探訪_6

 近ごろ散策に向かう際、バスで都営新宿線 船堀駅方面へ向かうことが多いため、駅の周辺になじんできた印象があります。



 部屋の玄関前から見えるタワーのような姿は、船堀駅前にそびえるこの建物でした。
 水辺都市江戸川区民の「乗合船」をコンセプトに1999年開業し、コンベンション機能(会議室)、アミューズメント機能(ホール施設、映画館)、ブライダル機能(マツヤサロン)、江戸川区医師会 医療検査センターがあり、江戸川区のシンボルとされます。
 実家方面(東京の西側)では、町田・厚木にありそうな施設で、駅に出るまで時間のかかる地域が広がる事情も似ているように。
 東京スカイツリー誕生までは人出も多かったとすれば、窓の汚れもなかったかも……(下) 無料の施設。





 この競艇場は、河川(中川)を利用する国内唯一の施設とのこと。河口に近いため、川の流れ、潮位、風の影響を受けやすい難水面とされるも、先頭以外は船の波を受けるのでまともに走れないように見えるが、そこからの逆転がギャンブルの醍醐味なのか?
 西葛西・平井・船堀駅からバスで集客し、全国競艇場の舟券が購入できるシステムでオヤジたちの小遣いを搾り取るように……(ギャンブルって分からん)



 小松川境川は、新小岩付近の湧水に始まる自然河川で小松川とされるも、東西に分かれた小松川村の境を流れたことから小松川境川とされます。以前は農耕地が広がった一之江境川流域同様、明確な地形を境界にしたようです。
 住宅に囲まれ人が少ないため落ち着ける親水公園で、競艇場に近い最下流の池では糸を垂れる釣り人たちから、石につまずいた程度の物音でもにらむような視線を向けられます。ヘラブナのような神経質な獲物を狙っている or 釣れないことを人のせいにしようとしているのか?

 以前の流れは農業用水、肥料(肥船:こえぶね)や農作物を運ぶ水路とされ、地域に欠かせない存在でした。
 肥船とは、江戸城の汲み取り権を持つ葛西氏が糞尿を運んだ船のことで、葛西船とも呼ばれたそう。
 その帰りの船で付近の農作物を運んだようで、糞尿と野菜は同じ扱い? と思うも、当時は畑に糞尿を撒いたため抵抗感は無かったとのこと。
 水路の終焉は周辺と同様で、下水道整備により不要となった汚れた流れにはフタをされました(埋め立て)。そこが古川親水公園に続き区内で2番目に整備されます。

 隣接する寳積院(上)と永福寺(右)は共に真言宗豊山派寺院ですが、境内の違いで個性を表現するように。
 上の、枝先に団子状の葉が丸く生えるのは、木の特徴 or 剪定によるもの? 寳積院の境内に並びます。
 永福寺の境内は寺院らしいたたずまいで、やはり紅葉の時季にはこちらが落ち着くと。
 当初は長福寺の名称でしたが、九代将軍家重の幼名長福丸にはばかり改称したそう。鐘に刻まれた「国家安康」に文句をつけた家康(徳川家)ですから、機嫌をうかがう方も大変です。

 右の江戸川区役所を目にし、区役所の建物ってこんなもんだよなぁ〜と納得するので(港区役所もノーマルな印象だった)、文京区のアレ(区役所 in 文京シビックセンター)は複合施設とはいえ、やり過ぎと。
 江戸川区が誕生した1932年(昭和7年)当時、区内の鉄道駅は北端に、総武線 平井・小岩駅(新小岩駅は葛飾区)、京成電鉄 京成小岩・江戸川駅があるだけでした。そのため区役所立地に鉄道の利便性を考える余地もなく、以前の中心地(「中央」の住所表記)付近に建てられたらしい。
 現在も付近に鉄道駅はなく、区民は不便さに慣らされたようにも(船堀への移転計画があるらしい)。


追記──郵便局の新型スーパーカブ

 勤務先の隣には麻布郵便局があり、非常階段で一服しながら赤い車両やバイクの出入りを眺めています。
 先日、世界生産累計1億台を達成したホンダ 新型スーパーカブの郵便局仕様車が納入され、元気よく走りはじめました。大口顧客は全国で何台利用しているのだろう?
 従来のイメージを継承しながらスマートにリニューアルし、エンジン音も軽快になりました。
 ですが「旧エンジン音=郵便・新聞配達」で育った年代には、生活環境の一部としての親近感がありました……

2017/12/04

水辺暮らしの痕跡──一之江境川親水公園

2017.11.19【東京都】──江戸川区探訪_5

 一之江境川は、葛飾区にある水元公園の小合溜井(こあいためい:用水池)から、東一之江と西一之江の境を通され(名称由来)、新川に合流した水路。
 以前一之江の地名には、市野江、市江の表記もあり、川の入り江に由来するらしい。




 都営新宿線 船堀駅の外壁に金魚が描かれるように、近くの東京都淡水魚養殖漁業協同組合(上)で3月に開かれる金魚の初競りは春を告げる催しとされ、セリは11月まで定期的に開かれます。
 明治末〜大正期に、入谷、下谷から業者が移転してきたことにはじまり、最盛期の23軒から現在2軒となりますが、江戸川琉金(リュウキン)はブランドとして人気が高いそう。
 水元公園周辺でも盛んだったことから、川の近くに適した産業のようです。


 こぶりの金魚の繊細ではかなげな姿を見ていると、ガキ時分に墓に埋めた際の感触がよみがえります(柔らかな印象)。
 上の絵からは、1997年イラン映画『運動靴と赤い金魚』(監督:マジッド・マジディ)を想起し、ここに足を入れたら癒してくれるのでは? とも。
 金魚は、フナの突然変異を観賞用に交配した観賞魚で、世界中で親しまれます。



 地域の用水や、物資運搬船の航路として活用されるも、「昭和30年以降、流域の都市化により水質が悪化し、下水道が整備され排水路の役割を終えた」とあるので、フタをしたい流れだったようです(開園は1995年)。
 鉄道が整備される以前の水路は物輸の大動脈なので、人が集まる流れ沿いには寺社が点在するというか、他にはひとけのある場所はなかったようにも。

 都営新宿線は、荒川を越えるため(?)東大島〜船堀駅間は地上高架となるが、付近で再度地下に入ります。地下鉄は新しいインフラなので、既存施設への忖度(いやらしい響きの流行語)が求められます。

 三嶋神社鳥居(右)の笠木(かさぎ:上部の横柱)は太いため不安定に見えますが、装飾的なデザインの笠木をよく目にしますから、ここでは太さをアピールしているようです。
 当初、大山祇神(おおやまづみのかみ:愛媛県 大三島)を祭りますが、村境(川っぷち)のため氏子が集まらなかったようで(鳥居に比べ祠は小さい)、明治期に近くの日枝神社の末社とされます。
 大山祇神は、山の神、海の神、戦いの神とされるので、当初ここでは水運の安全が祈られたように。


 流れがキレイな時分から続く染工場が、付近に2軒残ります(上は干場)。上とは別の染工場では、以前は川を利用した洗い作業を工場内で行い、品目も浴衣から手拭いにシフトした現在も、日本橋界隈の問屋からの注文がメインとのこと。地域の文化は人のつながりに守られます。

 右は、城東電車線路のモニュメント。城東電車 江戸川線は、東荒川(荒川 新小松川橋付近)~今井橋(旧江戸川と新中川の合流付近)間の鉄道で、今井街道脇の専用軌道を走りました。市電(後の都電)に編入され、廃止後は街道をトロリーバスが走ったらしい(トロリーバスは目にした気がするが、乗った記憶は残りません)。

 一帯は川の氾濫原のため整地はしやすくても、海が近く川の水は塩分を含むため、農耕には海水の影響を受けない一之江境川のような用水が必要でした。
 旧川沿いに残る大きな農家(右)の屋敷を目にすると、23区西端に位置する世田谷区同様、少し前まで田舎だった風景を想像したりします。

 下は、一之江抹香亭(いちのえまっこうてい:タブノキの葉から抹香を作った旧家を整備した施設)の柿。
 近隣から分けてもらった植物の苗木を並べ、みんなで育てようとする取り組みは、地域の文化継承が根付いた活動とも。


追記──TBSラジオ プロ野球中継から撤退

 以前、テレビのナイター中継は9時終了だったため、「この後は、TBSラジオ エキサイトナイターでお楽しみください」のアナウンスを耳にすると、「ラジオ、ラジオ!」と騒ぐ人がいましたが、そのラジオ中継が終了するそう(現在「エキサイトベースボール」)。
 飲食店等で耳にする程度でしたが、日常の生活音のようになじんでいたので(ピンポーン「他球場の経過です…」等)、時代の流れとはいえ寂しさを覚えます……


追記──川崎フロンターレ 初タイトル!

 上位争いをしながらも終盤の息切れが続いただけに、喜びもひとしおではないかと。
 以前暮らした武蔵小杉・新丸子をホームタウンとしており、ホーム試合開催日のにぎわいは素晴らしい町おこしと感じていました(中村憲剛のフォア・ザ・チームの姿勢は魅力的)。
 関心のレベルは一般的な近隣住民と同等ですが、地域を離れ何年経っても気にし続け、初タイトルを祝福したいと思うことこそ、Jリーグ理念(地域密着)の成果のようにも……

2017/11/27

流れる島──妙見島

2017.11.11【東京都】──江戸川区探訪_4

 旧江戸川中州の島で、周囲がコンクリート護岸で囲まれるまでは、流れの影響で移動することから「流れる島」と呼ばれました(以前は上流側に位置したそう)。




 江戸時代に開削された新川は、島の北端近くで旧江戸川に接続したので、江戸〜行徳間を行き来する行徳船(ぎょうとくぶね)の利用者には知られる存在でした(23区内唯一の自然島)。
 昭和初期から工場地帯とされ、現在は産業廃棄物処理施設が幅を利かせ、立ち入り可能な場所も限られているので、用事の無い方は近寄らない方がよさそう。
 島内には、下の月島食品工業東京工場(主にマーガリンを製造)や、上右側のラブホテルがある様子から、川に囲まれた地を求める理由も様々と。
 地下鉄東西線 浦安駅から徒歩10分程度。


 グレーな印象の島で唯一明るい存在が、YAMAHA系列のボート、クルーザーのレンタルができる会員制マリンクラブ ニューポート江戸川(以前は造船所。右・下)。
 免許があれば下のような大型の船もレンタル可能で、ここでは小型船舶操縦士免許1級・2級の講習が受けられます(1級免許は、総トン数20トン未満または特定の条件を満たす全長24m未満で、航行区域 制限無し)。
 ですが、免許を取ったとしても、船はレンタカーのように気軽に借りられるものではありません……
 右は、リフト上に格納されたボートの船底。


 島西側の川幅は狭いため、川岸の住宅地に産廃処理施設が迫るように見えます。土地利用区分は工業用地とされても、これほど近くに産廃施設があっては、健康不安を訴える人も多いのではないか。
 周辺の住環境を考えれば、土地の利用法を再考すべきと思うが(マーガリン工場を含めて)、周辺住民の苦情等では動き出さない問題なのか?(島は東京都江戸川区)

 右は、川の西岸にある東葛西ライゼホビーという、レンタルガレージ+趣味空間(2階はフリースペース)。自分だけの空間が欲しい人は多いと思うが、家賃11万〜ですから、趣味のために働いている人向けかと……


追記──疲れが表れる時間差

 先週、久しぶりに朝まで仕事をして、早朝の電車で帰る日がありました。
 その日はぐっすり眠れると思っていたが、4〜5時間で目が覚めてしまい、結局疲れは取れないまま翌日出勤します。それを引きずった2日後の祝日に、泥のように眠りようやく疲れが取れたように(+週末もたっぷり寝ました)。
 筋肉痛の時差では、痛い時に動かすと痛みが和らいだ経験があるが、疲れの時差では、その潜伏期間に無理をすると痛い目にあいそうです。
 体力に自信が持てない年代なのだから、体と相談しなさいということらしい……

2017/11/20

力が入り過ぎでは?──古川親水公園

2017.11.3【東京都】──江戸川区探訪_3

 一般的に親水公園には、子どもたちが水辺で遊ぶ光景を思い浮かべますが、両側に道路を通したい等の要件もあるため、彼ら好みの場所は限られてしまうようです。




 日蓮宗の寺院なので、右の井桁に橘の寺紋を持ちます。
 中に橘が無い「井桁」は、大河ドラマ『おんな城主 直虎』で目にする井伊家の家紋で、この寺紋は井伊直政の日蓮宗帰依に始まったそう。

 父の葬儀準備にあたり、母・妹の「うちは日蓮宗だったの?」という関心の無さを父は見越していたのか、わたしにだけ念を押したようです(それが長男の責任と…)。
 次男の父は本家に入れないため仏壇を新規購入したように、兄弟が多い年代なので需要が増えそうと思うも、住居事情からコンパクトなものが主流のようです。
 上は、松の枝を真っすぐ伸ばした姿。




 江戸時代に塩の輸送航路として開削当初は船堀川の名称でしたが、後に水路が直線化されてからは、新しい水路=新川に対して、旧船堀川=古川と呼ばれるように。
 周辺に住宅や工場が立ち並び、生活・工場排水が流れ込んだ1970年頃には悪臭漂うドブ川と化し、当初江戸川区は埋め立てる計画でしたが、川を残してほしいとの住民の要望を取り入れ、水の流れる公園計画が動き出します(1973年)。
 日本で初めての親水公園だったこともあり、国内外から注目されたようですが、力が入り過ぎの印象も。


 2枚上では、旧河川上に人工の流れや山を造成して吊り橋を架け、山にトンネルを通していたり、上のような人工の滝も複数箇所に設置されています。
 お金を掛ける前に、飛び石が並ぶだけの水辺に群れる子どもたちに「どんな公園が好き?」とリサーチすべきとも。

 右は、二之江神社と親水公園を挟んで隣接する古川けやき公園の大木。駅がある一之江の地名は知っていたが、付近が二之江とされることから、いく筋もの流れがあった様子がうかがえ、それぞれどんな川だったのか知りたくなります。


 右は、元古川・旧江戸川の接続付近で、現在は左から右に流れる新中川と、奥から流れる旧江戸川の合流地点。
 付近の河川に新・旧が付くのは、洪水対策・土地開発に向けた河川整備が必要とされたためで、荒川・中川・江戸川を中心とした、新旧の流れについては(旧中川は旧利根川だった 等)はまたの機会に整理します。

 右は、屋形船の上でダンス練習する娘。流れを前にすると、大きな動きが表現できそうとも。
 上の立派な屋敷の門は、隣接する森山医会のケアセンター、特別養護老人ホームの関連施設かと(西葛西に系列病院がある)。


 対岸の千葉県市川市(上)は、現在も工場の立地要件を満たすようで、住宅に囲まれた水辺で工場が稼働を続けます。
 公害排出や事故を起こさなくても、自治体・周辺住民・不動産関連の包囲網からのプレッシャーは高まりそうですから、時間の問題という気もします。
 下流側の川に浮かぶ妙見島も工場施設が多そうですが、次回歩いてみたいと。


追記──奄美群島訪問で、即位後に47都道府県を2巡した天皇

 戦争中は皇太子のため直接の関与なしとの認識のためか、受け入れ側の意識も好意的だったため、精力的に全国各地を回ることができたように。
 平成の29年間に47都道府県×2回=94回ですから、年3回各地を訪問したことになりますが、その目標にめどが立ったため、退位に言及したのではないかとも。
 これだけ国内に足を運んだ天皇は初めてと思われ、立派な行動と受け止めます。

2017/11/13

川の文化を伝える──新川

2017.11.3【東京都】──江戸川区探訪_2

 新川は、江戸城に入った徳川家康が、城下から現在の千葉県 行徳に至る塩運搬船の航路開削を命じ、道三堀小名木川と同時に開削された運河です。



 右は、以前小名木川散策時に訪れた閘門(こうもん:水位の異なる水路間にある、船を通行させる施設)で、その存在は川の対岸からもすぐ分かります。
 手前の荒川放水路開削と同時に(1930年:昭和5年)、西側に小名木川閘門、小松川閘門、東側に船堀閘門が建設され、海運が主力だった当時は1日約1200艘もの船が通過したそう(放水路開削以前の水路はつながっていた)。
 荒川放水路+中川の幅は広いため、地続きだった絵も想像できませんし、文化交流も影響を受けたのでは? と思う程の距離感です(500m以上ありそう)。



 江戸時代に古川(船堀川)の東側を改修した運河で、改修前の蛇行部分で家康の船が座礁したとの説も。
 当初は、行徳塩田の塩を江戸に運びましたが、貨客船が就航すると農村の野菜や成田山の参詣客を運ぶように。
 利根川を経由する航路の整備後は(江戸時代まで利根川は東京湾に流れ込んでいた)、東北地方の年貢米などを運ぶ水運の大動脈となり、利根運河完成後(明治期)には蒸気船が運航します(昔から房総半島をショートカットしたかったらしい)。
 右は新川西水門広場にある火の見やぐらのモニュメント。旧水門は地盤沈下対策から新川排水機場(1968年)とされ、新川は船が航行できない池のような存在に。


 以前の川岸は、コンクリート護岸が続く殺風景な景色でしたが、下水道整備、護岸の耐震補強工事 等を受け、江戸川区と区民の協働による新川千本桜事業が始動します。
 江戸時代風の石積み護岸を築き、木造橋を架け(木の装飾だけと思う)両岸に桜を植え、水運が盛んだった時代をイメージしたテーマパークを目指します。
 右の橋を自転車が通過する際の、「パタパタ」と床板が波打つ音にはノスタルジックな響きがあり、住民の方も親しみを感じるのではないか。
 ですが、黒い橋だから「忍者橋」の名前でいいの?

 2枚上写真右側は、新川の地下に日本で初めて作られた河川地下駐車場の入口(駐車券を持ってないと入れないため未見)。
 観光客誘致を目指して受け皿を準備する取り組みは立派と思う反面、かなりお金をつぎ込んだ印象も。大きなお金というのは目につきますから、槍玉に挙げられ予算はかなり縮小されたようです。
 ですが、整備前とは比べ物にならないほど、明るさのある水辺に生まれ変わり散策する人も多く見かけます(2015年整備完了)。
 右は多目的ホールの新川さくら館

 流れのない川(池)には水辺に降りられる施設が設けられ、カヌー等の小型船を降ろすようです。水上からの光景は水辺を身近に感じられますし、清掃活動もカヌーで行われます。
 下の桜橋は、川の上で盆踊りができる広さの人道橋で、地下駐車場を含め三層利用は見事な土地活用法と。
 元々人が集まる川辺に、人が輪になれる広場を整備した意図は、周辺住民も納得できたのではないか。
 新川周辺の環境整備は、第1回美し国づくり景観大賞大賞を受賞したそう。


 右は、東側の旧江戸川に面した新川東水門ですが、カメラ位置の後方は埋め立てられており、水門は小さな船だまりのためとしては過剰な施設に見えます。
 現在新川の水は付近から取水〜新川西水門(排水機場)から荒川(中川)へ排水されますが、その人工的な流れは、地盤沈下が少なく地盤の高い付近と、ゼロメートル地帯との高度差を利用しています。
 必要な対策とはいえ、税金が排水に使われる様子から、砂上や水上でなく「水面下の楼閣」のイメージを思い浮かべます。

 23区内でも広い空が残されることは自慢できそうですが(駅周辺は集合住宅が林立する)、それは、海・川に面した湿地帯・農地の名残りのためで、その受け止め方によって居住地としての評価が分かれそうです。
 物価の安さ相応の生活スタイルを受け入れられれば、ガキがチョロチョロと目障り=生活しやすい地域、に納得できるのではないかと。

 これまでイベント情報を目にしても、江戸川区の表記があるものはスルーしていましたが、これからは気に留めるようにしないと……


追記──「一番になりたい」と言える素質

 プロ野球日本ハム 大谷翔平選手の大リーグ移籍表明会見の言葉に、他の人なら「小学生じゃないんだから」と突っ込むところが、「応援するぞ!」とエールを送りたくなるのは、まだ伸びしろがある素質への期待感によるものと。
 われわれの「夢は大きく」とはサイズ感が違うため、彼にしか語れない「デッカイ夢」を持てることはうらやましいし、改めて夢を抱くことのすばらしさを教えられました。