2014/12/29

縁切り願望は世の常?──旧板橋宿

2014.12.13【東京都】──「石神井川を歩く_おまけ」

 前回旧板橋に接した際、板橋区に暮らした時分(蓮根、高島平)目にした旧中山道の雰囲気が思い浮かび、ちゃんと歩いてみようと足を運びました。




板橋駅周辺


 JR埼京線板橋駅東口広場には「誠」の纏が飾られます。
 新撰組隊長 近藤勇は板橋刑場で処刑されたため、刑場近くに元新撰組 永倉新八が近藤の墓を建立しますが、亡きがらは埋葬されていません。
 ですが今どきは、言い伝えなら何でも「地域活性化のネタ」に祭り上げられます。

 板橋区在住時、都営三田線からの乗り換えで西口は利用するも東口は未見なため、前を歩く人について入った狭い路地には、アングラワールドが続いています。
 夜の世界はここに隠れていたのかと、やっとこの町に触れられたと実感しました。


 上は西口ロータリーにある欅(けやき)で、「板橋宿」開宿400年となる2002年の地域振興策で、商店街の提案により「むすびのけやき」と命名されます。
 それは、下述「縁切り榎」からこの地までの旧中山道を、おみくじを引きながら散策する企画らしいが、果たして盛り上がったのだろうか?
 わたしは「むすび」→「縁切り」と歩いたので、サッパリしたものです……
 以前商店街に知人の実家が営む化粧品店がありましたが、閉店後は町への関心も薄れたように、商店街には身近さが重要になります。


加賀公園周辺


 現在も石神井川沿いに「加賀」の地名や「金沢橋」の名が残るのは、江戸時代に加賀藩前田家の下屋敷があったためで、昭和初期まで周辺は通称「金沢」と呼ばれたらしい。
 主に別荘とされた下屋敷は金沢兼六園の約7倍の広さとされ、加賀藩の豊かさを改めて思い知ります(上屋敷は現在の東京大学の敷地にあり、赤門は加賀藩屋敷の門でした)。
 上は、前田家の祖である利家を祭る金沢 尾山神社にあるステンドグラスのレプリカ。

 公園隣接地にある「野口研究所」は、野口英世ではなく、現チッソ、旭化成、積水化学工業 等々の創業者、野口 遵(したがう:金沢出身)が設立した施設。
 当時一帯は火薬工場が広がる場所柄から、軍事目的の研究所だったようで、敷地内に物資運搬用のトロッコ軌道跡が直線的に続く光景が見られます。
 並行する右の配水管(まさに昔の土管! ガキ時分近所にあった土管の上を歩いた記憶がある)は、国の所有物(遺構?)のため撤去できないらしい。
 研究はこれからも平和目的に活かされますことを。


板橋宿


 江戸四宿(千住宿、内藤新宿、品川宿)のひとつで「これより江戸」とされた宿場。
 京都側から上宿(現 本町)、仲宿(現 仲宿)、平尾宿(現 板橋)があり、それぞれ名主(役人)が置かれた宿場の総称とされることから、規模の大きさがうかがえます。
 現在、都営三田線 板橋本町〜新板橋間に続く商店街となっても旧道の面影は変わらぬようで、ゆるやかな曲線やなだらかな起伏が、現在に旧街道の記憶を伝えてくれます。
 でも、感じた雰囲気を撮れなかった……

 明治期以降は宿を遊郭とするような商売っけが根付いた地ゆえ、各商店街の競い合う心意気が長大な商店街を活気づけているようです(上は以前米屋だった建物)。


 上は、株価チャートというよりは、乱雑な本棚のようですが、これは「縁切り榎」への願いが込められた絵馬。
 普通は願いを書いた面を表に結びますが、ここでは過去を見られたくないためか?
 ご丁寧に内容を解説するページのように、近所の人がしっかり目を通してから「表にしない方がいいわよ」と、世話しているようにも……(この手の話し好きは多そうです)

 幕末期に天皇家(京)から徳川家(江戸)に嫁いだ和宮(リンク先は古くさい辞典)は、東海道での、渡しの海難、川止め、尊王攘夷派の妨害工作等を避けるため中山道を選択し、この地では、縁切り榎を回避するため迂回路を通り江戸に入りました。
 上は象徴的な話しですが、昔から縁切りを望む女性が多いため、祈願する施設は各地にあったようです。
 女性からの縁切りが認められない不幸な時代の駆込み寺は分かるも、現在の縁切り願望の多さには、悪いのは男で、社会のせいとしても、女は悪くないのか? とも……


後日の加筆──紅白歌合戦の薬師丸ひろ子ちゃんの思い

 今回好感度を上げたのは、長渕剛、サザンオールスターズ、福山雅治 等でしょうか?
 初出場扱いの薬師丸ひろ子の緊張した歌声『Woman "Wの悲劇"より』には、高倉健さん(映画『野生の証明:1978年』で共演)への思いが込められるように感じました。
 毎回健さんの撮影現場に、陣中見舞いの差し入れで足を運んだ姿が重なり、歌は不本意でも、姿、表情は女優のものですから、しっかと届いたのではないか。
 最近知ったのですが、任侠映画で売れっ子時代の健さんが、現実逃避で3ヶ月間逃亡した際の道連れが、映画『Wの悲劇』監督の澤井信一郎氏(最後の職人監督?)、小林稔侍氏だったそう。そのつながりから「ひろ子ちゃんが紅白に出たら…」なんて約束していたのでは? 彼女にとっては、親のように大切な存在だったのでは、と思いつつ……

2014/12/22

縁起は担ぐもの!──中板橋〜王子

2014.12.6【東京都】──「石神井川を歩く_7」



ハッピーロード大山商店街


 石神井川から少し離れますが、東武東上線大山駅前の有名なハッピーロード大山商店街は未見なので、途中下車して立ち寄りました。
 アーケードも立派だし、何より昼間から活気があるのはさすがという印象です。
 駅周辺は東京価格の印象も、離れるにつれ徐々に安心価格が目に入ってきます。
 ですがこの後、隣駅の中板橋商店街にある魚屋で焼き魚の姿と値段を目にし、口に焼き魚の期待感が広がった瞬間、大山の印象はどこかへ消えました……


板橋

 以前板橋区には、蓮根+高島平に10年以上暮らしましたが、地名由来とされる旧中山道の板橋(リンク先の板橋区ページのやる気の無さ!)は、絵が容易に想像できるため魅力を感じず、初めての訪問です。
 平安時代以前から「板張りの橋」があったらしく、江戸時代に架けられた太鼓橋は江戸名所図会に見られます。
 以前の川は付近で蛇行しており、矯正された現在の流路脇に以前の湾曲部跡(釣り堀、公園とされる)が散在しますから、渡るのに苦労したようです。
 板張りの橋に似せた装飾の悪くない印象(年齢を重ねると見方も変わるようです)に誘われ、街道筋を歩いた様子は次回報告します。


板橋区立こども動物園


 東板橋公園内にある板橋区立こども動物園では、子供たちがエサの支度に励んでいます。
 ポニー、羊、ヤギ、ウサギ、フラミンゴ等が飼育され、右のモルモットとふれあえるスペースがあります。
 飼育係のお姉さんに声をかけられ、さわってきました。
 人間には感じられない感触にハマる気持ちが理解できたし、ふれあう中から子供たちに思いやりの気持ちが育って欲しいと願う、意義の大切さも理解できました。
 エサを運ぶ子どもたちは生き生きしていますから、情操教育から将来の夢が生まれるかも知れません。


北区中央公園文化センター

 右は、北区立中央公園中央公園文化センターで、前回訪問時は改修工事中のため未見。
 明治時代〜戦前まで「東京第一陸軍造兵廠(兵器工場)」の本部建物でした(1930年建設)。
 元軍部の建物なので、色気はないが存在感はあるので、映画などのシーンで目にしていたかも知れません。
 古いので使い勝手は分かりませんが目を引く姿を生かし、北区中央図書館(旧赤レンガ倉庫)と共に地域文化のシンボルを目指しているようです。


王子神社〜王子周辺


 王子駅近くの王子神社で熊手市に遭遇します(戦後に始まった)。
 東京近郊では11月の酉の日に、縁起物の熊手を売る「酉の市」が賑わいますが、ここでは新年に向けての「福をかきこむ納め市」として、毎年12月6日に市が立ちます。
 鎮守様の身近な季節感が地域に根付いたのは、小さな買い物でも「シャン シャン シャン!」をしてくれ、明るい気持ちで新年を迎えられる「心地よさ」にありそうです。

 そんな光景に、下町衆の「神輿は担げなくても、縁起なら担げるだろ!」なんてフレーズが、よみがえってきます。
 自身を景気付ける「ノリ(?)」のようなものが、年々失われているようにも……


 「ノーベル賞もらったから、もうLEDは…」なんてつもりはないが、上のような温かみのある灯りの方が落ち着くと思いません?(in 音無親水公園
 それは、白熱電球は外に熱を発するが、LEDは内に熱をためる違いと、光りが広がる電球と、光りに方向性を持つLEDの性質の違いによるらしいが、メーカーはそんな説明無しに「エコの押し売り」をしているように感じます。(電球の発熱温度比較ページ
 最新技術をそのまま売るのではなく、もう少し色を付けた商品として提案すべきではないか? と言いたいのも、日本人の感性が発揮される場面と思うからです。

 年末の風物詩「神戸ルミナリエ」は、東日本大震災以降一部を省エネ対策でLEDに切り替えたものを、20回目を機に当初の白熱電球に戻して温かみを再現したそうです。
 関西淡路大震災のショックから、もう20年なんですね……


 石神井川は北区堀船付近で隅田川と合流し流れを終えます(上は今年3月の絵)。
 ここまで、それぞれ一部ながらも小平市、小金井市、西東京市、練馬区、板橋区、北区を歩いたことになります。
 これは東京を歩くヒントで、市街を流れる小さくも主な流れをたどれば、多摩川〜隅田川間に広がる武蔵野台地の水系を把握することができます。
 これまで隅田川(に流れ込む川)水系を歩くつもりでしたが、広がったビジョンを楽しもうと思います……


追記──NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』終了

 これまで断片的なイメージしかなかった人物を軸にした物語で、信長、秀吉、家康との関係や、九州に黒田あり! が理解でき、戦国時代に対する認識の幅が広がりました。
 ──福岡では屋台のラーメンだけで、福岡城には関心すら向きませんでした……

 岡田准一クンは、紅白出場のご褒美を最後にV6を卒業して、役者に専念すべき!(見事でした)
 出演者でスペシャルな存在といえば、秀吉役の竹中直人ですが、官兵衛の父親役を演じた柴田恭兵は「我が道を通す!」(彼は、若い時分から自分だけの「個性」を目指していた)姿がカッコよかった。
 評判通りの二階堂ふみには「宮崎あおいの後継者」的な期待が高まりますが、変わり者も受け継いでいそう……

 戦国乱世を終わらせようと奔走した黒田官兵衛の功績、しかと記憶にとどめました!

2014/12/15

ありのままの美しさ──豊島園〜中板橋

2014.11.30【東京都】──「石神井川を歩く_6」



 今どきスーパーでも細長い練馬大根を目にしませんが、現在練馬の主力産物であるキャベツ脇には青首大根(右)が植えられ、地元でも生産は減る一方のようです。
 練馬大根の栽培は江戸時代にはじまり、関東ローム層に適した作物のため広まるも、病気の発生や都市化による農地の減少で存在感が薄れます。
 白首系の練馬大根は地中深く根を張り、引き抜く際に力が必要なため、抜きやすい青首系が栽培されるように。
 たくあん向きで、辛味が強いので大根おろしに使われたと知り、ガキ時分の顔をしかめるほど辛い大根おろしは練馬大根だったのか? と……(好まれたのも分かります)


高稲荷神社、氷川神社


 上は、狐が険しい表情でにらみを利かせる高稲荷神社。
 大蛇に襲われた人を供養するために建てられた経緯から、いまも大蛇をにらむのか?

 右は氷川神社前にある、現役と思われる米屋の玄関。
 地名や地下鉄氷川台駅名の由来とされる神社は、いまも鎮守様として慕われ、お宮参りの家族を見かけます。
 神社裏にある地域の交流場では、ガールスカウトが活動しており、神社が地域の輪を取り持つ集会場的な役割を果たす様子には、懐かしさを感じたりします。


城北中央公園

 野球場、テニスコート、陸上競技場等の施設では終わらず、さらに広場や森の広がる、広大な公園です。
 陸上競技場のトラック内側はグラウンドではなく、緑の自由広場とするなどゆとりが感じられます。
 公園では、多摩動物公園のコアラ用にユーカリを育てるそう。

 右は園内にある栗原遺跡の復元住居ですが、奈良時代の復元住居との解説に驚きます。
 でも考えてみれば、奈良の古墳の上で抱いた「昔の奈良盆地に暮らす人々はみな白い衣装を着ていた」のイメージは、勝手な願望ですものね……

 枯れ枝で作られた畝のような工作物は、枯れ葉を受け止め腐葉土の床(たまり場)とするためでしょう。
 落葉の季節なので表面はザクザクながらも、中はしっとりし始めています。
 ふっかふかになるまでには時間が必要ですが、人の多い公園では踏みしめられるので、ホコリとして散らされてしまいそうです。
 既にキノコがいくつも見られますが、分からないものは口にしない指導の教材にでも……



安養院


 目にした瞬間、声を上げてしまった!
 イチョウの落ち葉が雪のように積もる上にもみじが赤味を添える、ありのままの姿を放置(?)するのは、寺の方針や住職の趣味にほかならず(ものぐさ坊主ではない)、素晴らしい感性とシビレます。
 京都だと踏み荒らされそうですが、住宅街にあるも周辺住民は関心無いらしく、訪問者が少ないおかげとも。
 真言宗の立派なお寺は、いまも「弘法大師霊場」の空気感を保ち、異空間を体感させてくれます。

 コンクリートで固められた川岸に色気はありませんが、付近には「橋だけでも飾ろう!」とデザインを凝らした橋が並び、「次の橋は?」と楽しみながら歩けます。
 右の山崎橋は絵柄から、スポンサーが「ムーンスター(旧月星ゴム)?」と思うも、本社は福岡 。
 単なる広告では困るが、企業と地域社会の接点が身近にあってもいいのでは、と思えた光景です。




追記──「ノーベル賞」ウィーク

 赤崎勇・天野浩・中村修二先生のノーベル物理学賞受賞には、日本が新しい光りで照らされたように明るくなりました。
 既に世界中が恩恵を受けている青色LEDを生み出した功績、との身近で分かりやすい成果ですから、「物理?」なオバちゃんも少しは関心を持てたのでは?
 LED開発は赤、緑、青(の順に波長が短くなり、大きなエネルギーが必要)の順で進み、目で見える光の後は、その先の紫外線が開発されたそう(殺菌等に有用)。
 さぁ若者たちよ、「はやぶさ」「LED」どちらを目指す? 科学は成果主義的な面が強いが、世の中で役に立つことを目指す道には、やりがいがあります。
 下は、六本木ヒルズイルミネーションのLED(by iPhone)。



追悼──高倉健さん_4

 映画館で初めて健さんと出会った映画『八甲田山:1977年』をDVDで再見しました。
 本作公開は6月からの夏場で、演出? のような冷房で体が冷え切った記憶と、同年10月公開の『幸福の黄色いハンカチ』は大混雑で、年明けに観た覚えがあります。
 そんな記憶が残るほどインパクトの強い作品で、こころをつかまれました。

 新田次郎原作『八甲田山死の彷徨』は、日露戦争へと向かう1902年に冬山経験の乏しい軍部が招いた悲劇を描く物語。
 公開当時「暗くてよく分からなかった」の声がありましたが(今回も誰だかよく分からなかった)、欧米列強の植民地支配から逃れるすべを探るこの国が、通らざるをえない「暗闇の道」だったようで、暗中模索だった時代の表現と受け止めます。
 八甲田の雪地獄を切り抜けた軍人たちも、後の日露戦争で全員戦死します。
 賛否はあろうが、現代日本の礎となるべく奮闘した方々の姿を映画に残す意義のため、冬の八甲田山に挑んだ映画関係者には頭が下がる思いです。
 何で内容の暗い作品がヒットしたのか(公開時の興行収入記録を更新)考えると、「天は我々を見放した」 (北大路欣也のセリフ)等、宣伝のおかげという気がします(前年公開の角川映画『犬神家の一族:1976年』以来、派手なテレビCMが増えた時代でした)。

 本作では、どんな状況下にあってもそれを受け止め、
「立ち止まったらおしまいだ、前進!」
と先頭を切る存在に、高倉健という役者が必要であったこと、再確認できました。
 健さんに甘えてきたわれわれは、遺志を継ぐことができるだろうか?
 ありがとうございました!
 完

2014/12/08

目は力なり──石神井公園〜豊島園

2014.11.22【東京都】──「石神井川を歩く_5」




都営南田中団地

 川沿いには上流域の田無付近から断続的に公営(主に都営)住宅が立ち並びます。
 河川敷地だった川沿いの傾斜地や低地は、人口が急増した高度成長期に整備され、次々宅地化されました。
 現在暮らすアパートが「除却:解体」されることとなり、都営住宅の応募資格を調べると、低所得者と高齢者世帯がメインのため、転居先の選択肢にできませんでした。
 住み続ければみんな高齢者となりますが、階段しかない古い建物の改善は難しそうです……


長命寺(ちょうめいじ)

 山手線から西へ向かう鉄道路線で最も縁遠いのが西武池袋線で、「石神井公園駅は新しい!」「複々線化したばかり?」を調べると、渋滞解消の高架化、地下鉄乗り入れ(有楽町線、副都心線)の先行部分は開業済み(石神井公園駅2013年完成)も、大泉学園駅間は工事中とのこと。
 付近では、高架化の条件に新駅設置を求め「練馬高野台駅(たかのだい):1994年」が誕生します。地名由来は、長命寺の山号「東高野山(通称)」。

 桜台駅~石神井公園駅間 高架複々線化の決定は1971年ですから、40年にわたり悪名高き「西武線の踏切」にイライラさせられたことになります……




 この寺も真言宗ですが江戸時代初期の創建で、これまで訪れた豊島氏が広めた寺とは別の流れらしい。
 三代将軍 徳川家光の保護を受け、高野山を模した石仏・石塔の様から「東高野山(通称)」とされます。
 「東の高野山」の表現は、家光の母「江:秀吉の養女という立場」が二代将軍 秀忠に嫁ぐ際「お化粧領(持参金)」とされた、川崎市北部の王禅寺でも耳にしました。
 そんな経緯から「東高野山」の名称には、秀吉への対抗意識があったのでは? とも。

 寺院山門の両脇に立つ神々の像は、災いの侵入を防ぐ役目を担います。右は南大門の「多聞天:四天王の一尊。独尊の場合は毘沙門天」で、力強い線による造形は、その眼力で参拝者も立ち止まらせるような威厳があります。
 人は対面した相手の目を見る習性があるため、木造でも人の容姿であれば目を見てしまいます。
 と言うことは、このにらみを利かせた目は、災いを持ち込もうとする人に向けられることになるのでしょう。

 ここも立派ですが「東高野山」としては、王禅寺の枯れながらも人々が心寄せる姿の方が好みです……


谷原ガスタンク、練馬青果市場


 ガスタンクは必要と思うも目にしなくなったのは?
 都市ガスが普及した首都圏では、湾岸地区の天然ガス貯蔵基地から各家庭まで「ガスパイプライン」がつながるため、中間貯蔵施設の数が減っているとのこと。
 懐かしさを覚えてしまうランドマークです。

 土曜夕方の練馬青果市場(右)は閑散としてますが、場内には売り物と思しき段ボールが積まれたままです。
 盗難の心配はなくとも、これって週明けのせりにかけられる商品なの?
 品目まで判別できないが、果実やトマトなどは、流通の間に熟すことを考慮して早めに収穫されると聞くが、市場で寝かされているのだろうか……


向山庭園(こうやまていえん)


 練馬区立向山庭園は、としまえんに隣接地した施設。
 としまえんの地は、豊島氏の練馬城跡(鎌倉時代)とされますが、 ここは昭和初期に濠の跡とされる窪地に建てられた大臣邸宅の跡地。
 上は、流れの無い水路に沈む葉と水面に浮かぶ落ち葉の絵で、立体感があると思っているのですが、いかがでしょう?

 毎年のことですが、突然の寒さと北風に震える季節となりました。ご用心下さい……


追記──「はやぶさ2」打ち上げを見上げる人々

 打ち上げを見守る人々は全員空を見上げており、「上を向く姿」を「希望を抱く姿」ととらえれば、将来への期待が高まってきます。
 帰還予定の6年後まで関心を持続させられるプロジェクトの素晴らしさには、小学6年時の打ち上げとすれば、帰還を迎える高校3年時には理系を志望していたり、受験期には「はやぶさ3」を目指す意欲が励みとなる可能性も含まれ、その影響力は計り知れません……
 日本にとって大きなエポックである、東京五輪開催、「はやぶさ2」帰還予定とされる2020年までの「希望を抱ける6年間」が、日本再生の正念場となるのではないだろうか?(札幌冬季五輪は立候補表明の段階)


追悼──高倉健さん_3

 録画したものを週末に……

 『駅─STATION』 1981年 
 監督:降旗康男 脚本:倉本聰 撮影:木村大作(『劒岳 点の記』の監督)
 出演:倍賞千恵子、いしだあゆみ、田中邦衛、烏丸せつこ、古手川祐子、北林谷栄、根津甚八、大滝秀治、佐藤慶、村瀬幸子、室田日出男、藤木悠、名古屋章、平田昭彦、池部良(懐かしい名前を並べたくなりました……)

 公開当時の、倉本聰が健さんのために書いた「厳しい物語」の印象がよみがえります。
 何と映画らしいことか!
 絵の作り方が贅沢(イメージ通りの絵を撮っていそう)ですし、多彩な登場人物(皆さんお若いが、中でも軽い小林稔侍の姿が印象に残る)は、皆さん「健さんの引き立て役」ですから、主役は気合いが入ります。
 ここで、映画評論家佐藤忠男さんの追悼の言葉「彼は日本を背負っていたのではないか?」を考えてみると、まさにその構図が展開されている印象で、目からウロコです……
 われわれは(作り手側も)健さんというスクリーンの偶像に、個人では対抗できない社会へのわだかまりや、理不尽な世間への不満を背負ってもらい、唇を噛みしめ耐える姿に「これぞ、日本男児!」と拍手を送り、明日への活力を与えてもらいました。
 映画の作り手側も観客も、健さんに甘えていたように思えるが、それを理解した上で受け入れ演じきってくれた健さんは、やはり「ヒーロー」と言えるのではないだろうか……

2014/12/01

カワセミを身近で!──石神井公園

2014.11.15【東京都】──「石神井川を歩く_4」



 この日は、西武新宿線 武蔵関駅から西武池袋線 石神井公園駅に向かいます。
 武蔵関駅前の本立寺(ほんりゅうじ:日蓮宗)で墓地販売の方に、毎年12月9・10日に開かれる「関のボロ市:1730年代から寺の門前で開かれる」の自慢話をうかがいます。
 師走の風物詩として毎年10万人もの人出があるらしく、のぞいてみたいも今年は平日なので難しそう。(写真なし)
 季節感ある催しの大切さを実感するようになったのは、京都で現在も実践される「暦に従う暮らし」の理にかなった営みを目にしたおかげです。


 遠くからも目に留まる立派な巨木に引き寄せられると、歴史を感じる家の前に大きなアンテナ群が並びます(分家らしい)。
 空・宇宙に何を求めているのだろう? アマチュア無線を思い浮かべるも、施設の効果がどれほどか聞いてみたい気がします。


三宝寺(真言宗)


ここにも目印となる大木があり、石神井公園三宝寺池の主とされるようです。
 高野山金剛峯寺(こんごうぶじ:真言宗総本山)で目にした根本大塔(右)もあり、寺の存在感に驚きました。

 室町時代の付近に石神井城、としまえん付近に練馬城を築き、石神井川流域を支配した豊島氏が、川沿いに「真言宗:空海の教え」を広めます(田無の總持寺は末寺)。
 豊島氏滅亡後(室町時代の乱で太田道灌に敗北)石神井城跡に移転し、徳川家から保護されます。


道場寺


 三宝寺に隣接するこの寺は、鎌倉幕府崩壊後に豊島氏の養子とされた、元執権北条高時の孫が建立した禅寺(曹洞宗)。
 政治の実権は京都に戻るも、関東では豪族同士がつながりを強めていたようです。
 名称通り本堂は座禅道場のような横長の建物ですが、のぞこうにも「早朝座禅会に1ヶ月は継続できる人」とありますから、門も叩けません。
 でもそれを習慣にできたら、心も体も浄化されることでしょう……


石神井公園

右の写真ならカワセミと分かりますよね?
 止まり木は、散策路からほどよい距離に設置した人工施設のようで、普通はこんなサイズで撮れる距離にいませんし(拡大せずトリミングだけ)、バックも緑でGoo!
 人目も気にせず、まさかの水中ダイブも披露してくれますから、「カワセミショー」の舞台を気に入ったようです。
 清流に棲み「青い宝石」とされる鳥が、身近な池で活動するようになったのは、舞台装置や環境改善とは別の要因があるような気がします。
 元の生息地の環境が変化したため「ここでもいっか…」との妥協や、公園には天敵となる大型の鳥やヘビが少なく、隠れ場所が多いためかも知れません。


 石神井公園は初めてですが、三宝寺池の野趣にあふれる雰囲気を楽しめました。
 三宝寺池(上2枚)では自然を残そうとしますが、下流の石神井ボート池(三宝寺池からの水をせき止めた人工池:下)には、不動産開発の成果(?)が見て取れます。
 池の北側(南側に池を望む)には、湖岸の道を挟んだ場所に住宅が立ち並び、窓からは庭のように池を見渡せる、あこがれてしまう立地となっています。
 大きな家が並びますから、人工池の建設は大成功だったようです。


 趣向の違う二つの池それぞれの湖岸で「秋色」を味わうことができました。
 武蔵野三大湧水池「善福寺池:まったり出来る」「井の頭池:自由空間」と比べ湖岸は狭いが、埋め立て(整備)せずボードウォーク等の設置で、武蔵野の姿を残そうとする姿勢に好感を持ちました。


追記──健さんの追悼番組に「喝をいれられた」一週間

 オヤジを自覚し始めると「もういいんじゃないないの」と思ったりするが、健さんが83歳までキチッと全うした姿勢に、「男のカッコ良さ」を再認識しました。
 彼が強調した「生き方」とは、最期に振り返る際「恥ずかしくない生き方が出来たか?」、を目指す哲学のような「生き様」と思われます(それが男の理想!)。
 「成す」ことではなく「生き方を通す」ことであれば、ビジョンを抱けない自分にもできるはずと、勇気をもらいました。
 宮澤賢治のような「そういう男にわたしはなりたい!」の気持ちが萎え始めた者に、「男だろ!」の喝をいれられた気がします……

 映画『幸福の黄色いハンカチ:1977年』を再見し、「かたぎ」となって間もなくチャーミングな側面を披露したことが、役者の幅を広げたようにも……
 育ちの違う同い年の二人(山田洋次監督、健さん)が、脂の乗った40代に出会うめぐり合わせが、見事な映画を生み出したのではないか(うちのオヤジも同年代……)。