2014/10/27

これが21世紀の高さ!──東京スカイツリー

2014.10.15【東京都】──「隅田川を歩く_おまけ」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

 東京スカイツリー攻略作戦は平日の午前中と考えていたので、遅めの夏休みがプラスひと月遅れとなった休みに挑みました。


《4Fチケットカウンター》


 まずは、訪問日の状況を説明をします。
 10月15日(水)午前10:00頃 曇り(前日は台風一過の快晴も強風で営業休止)。
 4Fチケットカウンター(天望デッキ入場券:2,060円)待ち時間:10分程度。
 天望デッキフロア350 チケットカウンター(天望回廊入場券:1,030円)待ち時間:0分。
 肩すかしのように、すんなりと最高地点に到着しました。
 ──ルートは、4Fから天望デッキ(350m)までのぼり、そこから天望回廊(450m)へのエレベーターに乗り換える、東京タワーと同じ要領。ちなみに東京タワーの料金は、大展望台(150m):900円、特別展望台(250m):700円。計算すると、高度単価を大体合わせているようです。

 普段の平日、午前中、曇天が出足を鈍らせるようです(帰りにはまま人がいた)。夏休み期間は満杯でムンムンしていた4Fの行列スペース(上)に並ぶ人はいません……


《天望回廊(最上階)へのエレベーター》

 エレベーターの奥には、天井がシースルーの部分があるので、乗る際は先頭に並ぶべし!
 スピード感は無いが、見上げる姿勢でタイムトンネルを通り抜けるような光景はアトラクション的で、受けはいい様子。
 わたしは往復とも上ばかり撮っていて、扉のシースルーを見てないので、是非とも両方チェックして下さい。

 エレベーターからブルース・ウィリスを想起しますが、ここ結構高いけど下から撮れるし、チャレンジしちゃう?


《天望回廊(450m)》


 「ツリー観光攻略サイト?」に従い、一気に頂上までのぼります。
 上写真の第一印象は「こんなに空いてるの?」かも知れませんが、景色を目にした第一声は「次元が違う。これが21世紀の高さか!」と息をのみ、口は開きっぱなしに……
 SF映画の舞台のようで、ダース・ベイダーが現れそうにも。

 都心を外れた住宅地で周囲に高層ビルはないため、摩天楼を見下ろすような景色ではないが、都心方面を見渡せるいい視点を持つ立地と感じます(その背後には富士山が見えるはずなのだが……)。

 足元は、これまでツリーを見上げて歩いた細い路地まで確認できる「Google Mapの航空写真」のよう。
 回廊はヘビが巻き付くような構造で景色が途切れず、「行ったり来たりの繰り返し〜♪」と、前に進めず景色に集中するためか、高所の恐怖感はありません(家々は往年のボードゲーム「バンカース」 の家作駒のようです)。
 右は隅田川(一番手前が清洲橋)と月島方面。

 天望回廊を一周すると、エレベーターを降りた付近にあった記念撮影の立ち位置を見下ろす、カメラ位置に至ります(右の回廊に立つ姿と景色を撮る趣向)。
 はしゃいで歩いたチューブ状の通路は宙に浮く構造と知り、ちょっとめまいが。
 これを先に見ていたら、手すりがあっても腰が引けてたかも……

 トム・クルーズやジャッキー・チェンなら平気で飛び降りそうですが……(今年の東京国際映画祭に来た?)


《天望デッキ(350m)》


 ここでも東京タワーのてっぺん(333m)より高いのに、「上とは景色が違う!」と高度順応(?)したかのように、少し強気にふるまえたりします。
 このフロアの混雑状況(まま人が多い程度の印象)から、ここで満足して帰る方が圧倒的に多そうに見えます。
 せっかく来たのなら、プラス100mでガラッと印象が変わるので、是非とも最上階の「21世紀の高さ」を実感すべきです!
 耳にしたツアーガイドさんの「時間に余裕があるので上まで行けそうですよ!」にも、勧めたい心情が感じられました。


 わたしは真っ先に最上階へと向かい、衝撃を受け飛び出した目を高度を下げながら戻しましたが、徐々に高度を上げていく登山のようなアプローチの方が、味わいがあるのかも知れません。
 ここも未経験の高さなのに降りてきた者には、「高さに温かみがある」ように感じられました(トップでは興奮していたことを思い知ります)。

 上は、エスカレーターの上部空間を上の階から、できるだけツリー足元に近い場所との高度差を狙いましたが、ピントは背景でしたね……(撮れなかったが、この前にいたアベックがいい感じだった、と言い訳)


 「高さに慣れたみたい」の、思い上がりはここで崩れ落ちます。
 東京タワーにもあるガラス床(上)の上には、どうしても立てません。
 ガラス床外側の縁に立ちのぞき込むも、根元まで入ってないし、右の縁が映っても「トリミングすればいい」と見ないふり……
 早く立ち去りたいにしても、これじゃトリミングのしようがない!
 その時は無理やりOKとして逃げ出した「ダメ写真」から、腰の引けた様子が伝わるのではと、あえて載せました。その姿を脇で見てたらきっと笑っちゃいますよ。
 これは無理、ムリ、むり〜! 縮み上がるとはこのことです……

 曇天で眺望は無くてもこれだけ楽しめたのですから、外見通り「けたちがい」の存在でした。
 でもやはり、ここから晴天の富士山を望みたい願望はあるので、〝I'll be back !〟です。
 それにしても、メタリックの絵だらけ……

 ガキ時分に受けた「東京タワー経験」の強烈な記憶が、今回の行動を後押ししたように思いますし、その時以来となる「初体験の高揚感」を味わうことができました。
 また現代に「今度は子が親を新名所に案内する」という世代交代の姿が見られるのは、都市の発展を支える「平和国家」が続いてきたおかげです……


 家族の事情(父は落ち着くも低めで安定の様子)があるため、一人だけ旅行に行ったらひんしゅくを買うと今年は自粛し、遅い遅い夏休みはこれでおしまいです。


2014/10/20

下町色は失われない──隅田川テラス_3

2014.10.4【東京都】──「隅田川を歩く_30」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

明石町周辺(Map)


 明治初期に外国人居留地とされた明石町周辺は、その恩恵により文明開化の中心地とされ、電信、大学(慶応、立教、明学)、活字等々の日本発祥地とされます。
 居留地廃止後も聖路加国際病院が残されたおかげで、周辺は空襲被害を免れました。
 再開発地区の川岸は、スーパー堤防化によりゆとりある緩衝帯が設けられるも、未完の地域には浅草付近同様のレンガ装飾が残ります(雰囲気はとてもいい)。


月島(Map)

 右は建築デザイナーの思いつきとしても「月島の月」に見えるのは、島の形から三日月を想起するせいか?
 ですが島の名称由来は、月見名所の「月の岬」(三田魚籃寺付近の高台)によるとは驚きました。
 高層マンション建設ラッシュの現在では月も隠れそうですが、月見の席では、月明かりの海に浮かぶ船影を酒の肴にしたようです……


 上は再開発の波に覚悟を決めたらしい住宅ですが、右は新しいビルの角地に居座り続ける飲食店長屋で、根性は見上げるもこの対比には笑ってしまう(勝ちどき付近)。
 そんな心意気が受けるのか、どの店も夕方から人が集まる人気店らしい。
 しかしハマり過ぎで、大資本相手にも「どっこい生きる勝ちどき衆!」、などの地域アピール的施設ではないか? と、勘ぐりたくなります……



勝鬨橋(かちどきばし)(Map)


 上流から数々の橋を見てきましたが、隅田川に架かる橋の「大とり」的な存在で、重厚な姿には現在も背負わされた重みが感じられます。
 明治期に埋め立てられた月島は臨海工業地とされるも、橋の無い離れ島でした。
 月島で開催予定の日本万国博覧会(結局中止)を契機に架橋され、外国の手を借りず日本の力で「格式」「技術」を示すべく、当時の最高技術が注がれた橋です。
 しかし、完成の1940年は第二次世界大戦開戦の前年で、世界から孤立した国の自己満足的な存在となります。
 空襲で攻撃されなかったのは、近くの聖路加病院のおかげではなく、占領後に橋は必要と考えたからでしょう。


環状2号線 隅田川橋りょう(Map)


 最初のレンガ塀以降は月島側の写真ばかりなのは、再開発が加速される中も散策を楽しめ、隅田川を隔てた「下町側の色を失わない」魅力を伝えたかったためですが、オリンピックは敵になるのか? 6年後はいかに……

 上は現在工事中の環状2号線 隅田川橋りょうで、オリンピック会場の晴海・豊洲・有明と築地・新橋を結びます(まだMapも未更新のため、イメージも中途半端)。
 空に向かい翼を広げるような印象を、万歳と受け止める方もいそうですが、これは平和に対する感謝の表現です……


 隅田川河口付近で工事中の新橋が中央にアーチ持つのは、背後にある勝鬨橋が両脇にアーチを持つ姿への配慮で、河口側からの波が重なるような姿はエレガントです(竹芝桟橋より)。
 橋を渡る道路の先、豊洲〜有明にも橋桁の低い橋が架けられており、陸地側への大型船航行の門が閉ざされました。
 それは、勝鬨橋はもう開かないことのアピールで、今後は工場ではなく商業・宅地利用を進める宣言となります。
 また、勝鬨橋が隅田川第1橋梁(最も河口側)の座を追われたことで、「かちどき:日露戦争勝利の雄叫び」も封印されます……


隅田川河口(Map)


 隅田川は、荒川から分岐する新岩淵水門から全長23.5kmとされ、河口は竹芝桟橋付近らしいと地図を眺めると、役所仕事っぽい線が見えてきます。
 上の白線は豊海・晴海桟橋前面を結んだラインで、その延長上の竹芝桟橋からの絵。
 国土交通省は陸上の建造物から物事をはかる役所とすれば、荒川の管理範囲を新岩淵水門〜豊海・晴海桟橋で区切れそうですし、ストンと腑に落ちます。

 以上で、全長23.5kmにしては寄り道で長々歩いた「隅田川を歩く」シリーズは終了となります(両国〜門前仲町・越中島は「大江戸線を歩く」で歩いたので立ち寄らず)。
 これまで「人情」ばかりに目が向いていましたが、それは震災や戦後の焼け野原から立ち上がり、「隅田川工業地帯」を支え合う人々の生きるすべであることを学びました。
 後回しのまま忘れてしまった、映画『下町の太陽』(リンク先YouTubeの倍賞さんには見とれちゃいます)については何かの機会に。


追記──ドクターイエローを目にしたが……

 ドクターイエローとは、新幹線の軌道・電気設備・信号設備等を調べる検査車両で、黄色い車体からの愛称。
 近所の跨線橋(札の辻橋)で、架線とパンタグラフの接触部分に照明を当てながら走る車両を目にし「彼にちがいない!」と。
 「ドクターイエローを目にすると幸せになれる」らしいも、「べつに〜」……
 幸せの黄色い新幹線よ! 設備点検だけはしっかり頼みます。

2014/10/13

夢の堤防緑地化を!──隅田川テラス_2

2014.9.27【東京都】──「隅田川を歩く_29」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

薬研(やげん)堀(Map)

 右の薬研堀不動院は、豊臣秀吉に滅ぼされた現在の和歌山県にある根来(ねごろ)寺の僧侶が逃げ延び建立した寺で、現在は川崎大師の東京別院。

 付近がやげん堀だったと知り、浅草「やげん堀 七味唐辛子本舗」を思い浮かべます(付近から浅草へ移転)。
 ガキ時分に感じた、ひょうたん型の木製容器から漂う「香りの記憶:山椒+α」はいまも残ります。
 使い切っても「香りは残ってる」と別の七味を入れる貧乏くさい心情は、現在でも理解できる気がします。
 薬味とは、香りや味の強い香味料の総称で、ハーブやスパイスも含まれるが、東洋でのルーツは漢方の生薬のため、ありがたい「香り」と感じたのかも……


 上はゴミではなく、装飾品店のディスプレイに飾られる(?)ファスナーの金具。
 近所にある横山町・馬喰町問屋街 (服飾・生活雑貨等)の流れらしいが、その存在を知らないので避けるように歩いていました。
 浅草橋から蔵前の問屋街(人形・ディスプレイ等)は楽しめたので、是非とも歩かねばと思っています。


両国橋(Map)


 江戸時代の隅田川では千住大橋(日光街道東照宮への道)に次いで架けられ、当初二代目「大橋」の名も、川が武蔵・下総の国境から呼ばれた通称が正式名称とされます。

 当時橋の西岸(浅草側)に設けられた「両国広小路:防災用の空き地」では、仮設小屋の営業が認められ、見せ物小屋等が立ち並ぶ江戸一番の盛り場となります。
 小屋では曲芸、小芝居(寺社境内等の芝居)、舶来鳥獣等が見物でき、「お代は見てのお帰り:満足してからの後払い」という大道芸の投げ銭方式が人を集めました。
 城に近いお膝元ゆえ「いかさま」の取り締まりが厳しいも、客はいかさまも「見せ物」として楽しんだとのこと。
 庶民がおおらかなのですから、きっといい時代だったのでしょう……


 西岸のテラス壁面に続くモダンな装飾は、外国人旅行者を意識したのか、われわれも「ここ隅田川?」と驚かされます。
 自分も「バカ言うなよ!」の口でしたが、「隅田川散策はデートに使える!」現状まで努力された方々は、おそらく「してやったり!」の表情ではないか?
 付近の現実的な整備方針は理解できますが、上流同様のスーパー堤防化を理想像として、夢物語(堤防の緑地化)をめざしてもらいたい……


 レンガ塀の装飾から、上流の「あらかわ遊園」付近にあった煉瓦工場と、関東大震災で半壊した「凌雲閣(浅草十二階:レンガ造りの10階建て+2階分の木造建築物)」という地域の記憶を思い浮かべます(レンガ造りの10階建ては無謀だったか?)。
 浅草「神谷バー」のビル(1921年 大正10年)は、関東大震災、東京大空襲(内部は焼けた)も生き延びた鉄筋コンクリート造りで、ビルを建てたオーナーの心意気を讃えたい!(外装はタイル張りか?) 評価は「2011年 国の登録有形文化財登録」のお墨付き。


日本橋町界隈(Map)


 新大橋〜清洲橋間の西岸には日本橋消防署の出張所があり、桟橋には消防艇が並びます。
 管轄地域に河川や海があれば水上部隊は必要ですが、該当する消防署は多そうなので、設備に加え署員も船舶免許が必須だったりするのか?

 船乗りにとって船は第2の生活空間なので、概して生活感ムンムンですが、右の船には貫録があります。
 前回オリンピックの際、横浜桜木町付近の水上生活者は一掃されましたが、その間に定着した人は、次のオリンピックの際にはどうなるのか……


追記──皆既月食をチラッと(10月8日)

 皆既食が終わるころ、わずかに雲間から顔を見せてくれました。200mmの望遠では十分!(トリミングのみ)
 小学生時代の、初めて皆既月食と遭遇した興奮や状況がいまだによみがえるので、ガキ時分の経験の大切さを思い知りますし、この天体ショーのときだけに広がる光景と、今度いつ会えるのだろう? とも……
──日食にも使われる皆既の「既」は尽きるの意で、「光を失う」状態の表現らしい。


追記──祝 ノーベル物理学賞受賞(赤﨑、天野、中村先生)!

 世界の研究者が夢見る賞とされますが、方々には「夢の実現」という輝かしい実績が、またたく間に「世界に広まった」こと以上のよろこびはないと思うも、このご褒美を手にして改めて「名を残した」実感がわいてくるのかも知れません。
 若者よ「理系に大志を抱け!」です。

2014/10/06

庶民の文化を守る覚悟──隅田川テラス_1

2014.9.20【東京都】──「隅田川を歩く_28」

 隅田川を歩こうと思ったきっかけは、以前浅草付近で目にした「隅田川テラス」工事が完成したら河口まで歩こうというもので、どうせならもっと上流からとなりました。
 以前浅草の活気は、吾妻橋脇の船だまり等の猥雑さが原動力と感じましたが、その場所に整備されたテラスのおかげで、外国人観光客が「ここまで足を伸ばすの?」と行動範囲が広がる様子に、環境整備の成果が見て取れます。
 整備のきっかけと思われるホームレスも一掃し結果オーライに見えますが、彼らは別の場所に移動しただけではないか? NHKドラマ『サイレント・プア』(深田恭子主演)のような、取り組みが続けられますよう……


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示


隅田公園(Map)


 隅田公園にある「パラボラ型の花壇」は、アート環境プロジェクト作品「グリーンプラネット」で、穴から首を出して周囲の花とスカイツリーをのぞく趣向とされ、ちょうど外国人観光客が首を出してくれました。
 犬が逆さのメガホンを被るような姿(体の塗り薬等をなめさせないためのエリザベスカラー)は滑稽でも、表情には「Happy!」さが見て取れます。
 もしエリザベスカラーを被る人を見かけたら、浮気防止用で「わたしだけを見なさい」と装着されたに違いなく、グチくらいは聞いてあげましょう……(冗談!)


厩橋:うまやばし(Map)


 名称は、以前蔵前にあった江戸幕府の「御米蔵」で働く馬の小屋に由来しますが、江戸期の主力交通手段(馬力)なので、「厩奉行」等も配されたとのこと。
 橋には、親柱のステンドグラスや、中央部のレリーフに馬の装飾があります。

 以前この地にあった「御厩(おうまや)の渡し」は転覆事故が多く、「三途の渡し」とされたことから(各地に結構ありそう)、民間の手で架橋することに。
 江戸幕府の架橋制限のため橋の少ない隅田川流域には、白鬚橋のように地域住民が金を出し合ってでも橋を架ける必要性がありました(寄付でなく出資の概念が広まった)。
 関東大震災の被害を受け、国や都が「震災復興事業」として頑丈な橋を架けますが、恩恵はうわべのアメの部分だけで、軍事に利用され痛い目に遭うことに……


蔵前橋(Map)


 近ごろ社会インフラの老朽化問題とされるのは、高度成長期に集中的に作られた設備ですが、それとは別に、関東大震災復興事業として大正末期〜昭和初期に作られた頑丈な橋々にも老朽化問題が迫ります。
 現在東京都が管理する白鬚橋、吾妻橋、駒形橋、蔵前橋等では、架け替え工事を分散するための延命化工事が行なわれています。
 ですが、そんな余裕があるのは東京都だけで、地方の自治体は現在審議中の「地方創成政策」で仮に潤ったとしても、その全部をつぎ込む緊急対策に迫られる状況にあるのではないか?(水路の多い墨田区は、躍起になって延命化工事を推進中)。

 橋には珍しい鮮やかな黄色は水上バスサービスか、裏側もしっかり塗られています。


 蔵前橋下流(蔵前側)の堤防には、なまこ壁の装飾があります。
 外国人観光客はよろこびそうなので続けるべきと思うも、汚れが目立つ白壁を維持するのはちと大変かも(以前は無装飾のコンクリート壁としたらすごい出費……)。
 でも、落書きを目にしない「よろこばしい」取り組みを、事例紹介として広められればと思いつつ……


隅田川テラスギャラリー(Map)


 JR総武線鉄橋付近(両国側)には、堤防壁面に大きな絵が展示できる「隅田川テラスギャラリー」があります(結構距離は長い)。
 この日は、隅田川花火の浮世絵(錦絵)が飾られますが、美術館のように架け替え可能な設備なので、季節ごとに絵を入れ替えるとのこと。
 ホームレスから解放された首都高速下は、庶民が楽しめる本来の姿を取り戻しました。

 上は中学生の卒業制作で、ギャラリーの意図に最も近いと感じた作品。


柳橋(Map)


 隅田川に合流する神田川最後の橋で、神田川沿いには柳が植えられます。
 名称から想起する「柳橋芸者」は、江戸末期に誕生した花街(かがい)を拠点とし、昭和初期には新橋演舞場や明治座にも出演する、芸が売りで格が高いとされた芸者衆。
 柳はどこの花街でも看板で「花柳界:芸妓、芸者の社会(娼婦は含まない)」の由来と思っていたが、中国に由来する「柳港花街:遊女のいる場所」をなぞったものらしい。
 柳の仲間は300種以上あり、主に北半球に分布すると知り、西洋にも女性につながる表現があるのでは? とも。


浅草橋(Map)


 歴史は浅くも「文化を伝えたい」心意気には、京都に負けない気概を感じました。
 東京圏育ちが京都文化にふれると「歴史の重み:日本文化のルーツ」を感じますが、京都育ちは江戸文化の「お気楽さ:庶民の文化」に驚くのではないか?
 江戸期遺産の多くは焼失したため、比較的新しい遺産しか現存しないが、変化し続ける大都会で「文化を守る覚悟」の重さに触れられた気がします……

 近ごろ浅草周辺に幾度も足を運び、町に慣れたと感じるのはうれしいところです。
 浅草橋は柳橋のひとつ上流側に架かる神田川の橋(カメラの立ち位置)。


追記──「自分に勝てた」と言い切る錦織圭選手の気迫!

 男子テニスツアー「ジャパン・オープン」で、2週連続の優勝を果たしましたが、体はかなり悲鳴を上げているのでは?
 少し休んだ方が… とも言いたいが、11月のツアー最終戦「ワールドツアー・ファイナル:ランキング上位8名が出場」という大きな目標への正念場とのこと。
 われわれ凡人は、レベルの低い目標達成に満足していますが、トッププロ選手が目標に挑み「自分に勝てた」と言える瞬間には、どんな景色が広がるのだろう?
 世界は遠い存在だった男子テニスで、こんなに熱くさせてくれる彼の「ファイナル出場」を応援します!