2013/11/25

哲学(考えること)の必要──中井〜落合南長崎

2013.11.16【東京都】──大江戸線を歩く_23

 若い時分、西武新宿線花小金井駅付近に3年ほど暮らしましたが、同沿線急行通過駅の下落合・中井駅を利用した記憶はありませんし、車窓からの記憶もかなり怪しくなっているので、タイムマシンのインパクトが弱まってしまいました。


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中井駅付近(Map)


 中井駅は妙正寺川が丘陵地を浸食した狭い谷地にあり、その川っぷちに連なる長屋的建物には、染め物や工芸品の工房が並びます。
 昭和30年代まで染色関連業が盛んでしたが、それを受け継ぐ「染の小道(そめのこみち)」の催しでは、妙正寺川に反物をたなびかせる「川のギャラリー」が開かれます。

 上写真も川を背負う建物ですが、左看板にある「湯のし」って何?──仕立て前の反物に蒸気をあて、縦糸と横糸の繊維を均等にし、幅を整える作業とのこと。
 廃業した店舗のようですが、染め物が盛んだった時代を垣間見たようで、いい所に目が留まったと……


坂の上の住宅地──目白大学付近(Map)


 上は目白大学のはす向かいにある洋館ですが大学の施設ではないらしく、調べても実態は不明でGoogle Mapには「(株)秀英」とだけあります。

 谷間を通る妙正寺川と西武新宿線から北側の丘陵地に向かう坂には、東から西へ一の坂〜八の坂の名があります。
 四の坂には林芙美子記念館があり、右は七の坂。

 坂上の高級住宅地と川沿いの長屋的生活空間のギャップには、豊かさだけではなく、水害の有無という大きな問題を抱えているようです。
 何度も水害に遭った地域らしく川沿いには、地下に洪水防止用遊水地を供えた公園施設が点在します。

 下は、八の坂上に鎮座する中井御霊(ごりょう)神社。



哲学堂公園(Map)


 ここは、東洋大学創設者で哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祭る「四聖堂」建設に始まります。
 公園内ではさまざまな「考えるためのヒント」を目にしますが、個人が師と仰ぐ方々を祭っただけですから、特段の由緒があるわけではありません。
 後継者により拡張されたようですが、学術用語をそのまま表記するだけでは、もしそれを解説する人がいても「ふぅ〜ん」と、少し距離を置きたくなりそうです。
 ならば「哲学のテーマパーク」を目指し、一休さんのとんち(これも立派な考えること)等を取り入れ、子どもや若者の関心を引いては? としたら先生方に怒られるか……


 ここの建造物は、歌舞伎で見得を切るように「どうだ!」の自信作らしいが、解説を要する点では新興宗教の教祖様と変わらない印象を受けます。
 かみ砕いた説明を試みても、哲学は「考え方」の訓練であり、宗教のような「教え」ではないので、具象化された時点が「その考え方」の終点と感じられる面があります。
 考えは何度でも組み立て直せても、人は物質を作り出せません(建築物を立て直すことは容易ではない)。
 シンボルを建設するよりも、材料を与えてくれた「八百万の神:やおよろず」を原始宗教として封印せずに、考え直す方がよほど哲学的ではないかと思えます。

 若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
 さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
 ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
 それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(久しぶりの哲学テーマに熱くなりました)


 上は、哲学堂公園と妙正寺川を挟んだ反対側の妙正寺川公園で、下に貯水施設が見えますが、増水時には公園も水没するようです。
 ここで注目すべきは、奧にある住宅下部が柱だけの構造で、洪水時は住宅の下まで雨水があふれることになり、一度流れ込めば悪臭や衛生面の対応が必要になります。
 住宅建設の規制緩和のおかげ(?)としても、認めた国や自治体、住むことを決めた住人も「100年に一度の災害は頻繁に来る」と、覚悟を新たにした年ではあるまいか……


追記──「スイート・キャロライン」フィーバー!

 キャロライン・ケネディ米駐日大使が着任しました。
 日本側の歓迎ぶりには驚きましたが、彼女の物腰や品の良さが血筋以上に日本受けしたようにも感じます。
 近ごろ騒がしい中国の動向をけん制し、日米同盟の安定感をアピールするための看板には最適な人選と思われます。ヒラリー・クリントンは敵が多そうだが、彼女を悪く思う人は少なさそうなので、軽く丸め込まれちゃったりして……
 外交ですからすべて円満は無理としても、彼女に親日派となってもらえるようにアピールしたいところです。
 ですが着任のあいさつ後早々に、東北の震災被災地に足を運ぶ姿勢はパフォーマンスには思えず、ポイント取られっぱなしです……

※ニール・ダイアモンドの『スイート・キャロライン』(1969年)という曲は、彼女を歌ったものとは知りませんでした。
 リンク先の映像は2013年MLBオールスターのもので、くるものがあります。

2013/11/18

ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井

2013.11.9【東京都】──大江戸線を歩く_22


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東中野駅付近(Map)


 上は東中野にあるマニアックな映画館「ポレポレ東中野(旧BOX東中野)」。
 自分もマイナー映画好きの自覚はあるも、この映画館にはその下のアングラでも足りない「趣味」「ボランティア」のような印象があります。この日の上映作品は『ねむの木の詩』(宮城まり子監督 1974年)。
 写真の人だかりは、産直野菜(?)販売の買い物客で、奧のイベントスペースも「何の群れ?」と思うような人込みです。
 身近な仕掛けがうまいらしく盛況ですが、なるほど好きではない空間のニオイのせいで映画館にも足を運ばなかったのかと、納得しきりです……

 東中野駅は1906年(明治39年)、JR中央線の前身である旧甲武鉄道「柏木駅」として開業します。
  資料にも「柏木〜立川間の約27.4キロにわたる一直線路線は、新幹線以前は全国で3番目に長いとされた」と残る。
 右の「柏木不動尊」は、以前の地名が残っている程度の関心でしたが、手入れが行き届くだけでなく、毎年4月と11月にはお菓子や甘酒がふるまわれると知り驚きます。この写真も招かれ撮らされたのかも知れません。
 何でも、写真家篠山紀信の出身地は「東京市淀橋区柏木」の表記だとか。

 東中野日本閣(結婚式場)は再開発後、高層のツインタワーとなります。以前あった看板のインパクトが消え、建物内に健在も、無くなった? の印象を受けます。


小滝橋(おたきばし)付近(Map)


 上は神田川に面した甘味処で、小滝橋の近くになります。
 現在のコンクリート護岸では風情もありませんが、江戸時代には茶屋が並ぶような散策地だったそうですし、谷地という場所柄で人が集まりやすく、色気もあったのでは? という気がします。
 現在都営バス小滝橋車庫があり、ここより新宿大ガード西交差点に至る通りは小滝橋通りとされます。


落合中央公園、せせらぎの里公苑(Map)

 遠くからも目に入る高い場所にある野球場の照明灯には、何か川崎球場のような懐かしさが感じられ、かなり前の有藤、村田兆治などパリーグ選手がプレーしていそうな空気が漂います。
 落合水再生センターの屋上に作られた公園施設(1964年)なので、近ごろの太い鉄柱1本で支える照明灯は建てられないのかも知れません。
 こんな天気でも、草野球チームは張り切ってヘボ練習(失礼!)をしています。メンバー集めで苦労する分も草野球を楽しんだ記憶がよみがえります。


 同水再生施設上に設けられた「せせらぎの里公苑」には、右のようなレトロレンガ(汚水処理後に出る汚泥焼却灰を利用)が敷きつめられています(写真では分からないが、不思議な光りを放っていた)。

 なぜ下落合駅前の市街地に下水処理場が必要かといえば、新宿高層ビル街のトイレ等で再生水を利用する「新宿副都心水リサイクルセンター」プロジェクトの役目と、水源の枯渇から水質が悪化した渋谷川・古川、目黒川、呑川に送水する役目とされます。
 そういえば、目黒川沿いの川の資料館(中目黒)で教わった気がします。
 一方で、麻布十番付近の古川(谷地形)では、水害対策の古川地下調節池整備事業(2008〜16年)が進行中です。
 水を守り、水から人を守ることは都市の必要条件ですが、大都市での施設建設の困難さがうかがい知れます。


下落合駅付近の商店(Map)


 下落合駅近くの、以前は商店が並んだと思われる通りで、鮮魚店に出会います。
 ショーケース内に立つ値札の数が、元気さを物語っています(リンクの地図に名前が載るとは有名店?)。
 この光景に、20代の時分お世話になった板橋区蓮根中央商店会を想起しました。
 魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
 今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます(銭湯の番台に座るおばちゃんの顔も覚えてる)。

 近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……



追記──ポール・マッカートニーは惨敗でした……

 「最速予約」「先行予約」等の抽選にもれ、最後は「オークション」も初めてチャレンジしましたが、初心者では太刀打ちできないとあきらめました。
 ヤフオクなどでは、自動入札(落札希望者が設定した最高額までライバルと競り合う)機能があるため、こちらが金額を上乗せしても即座にその上の額を提示してきます。
 オークションはそうして競り合うものでも、相手のペースで金額だけつり上げられた末、相手の限度額に達して降りられたら、自分だけが丸裸で取り残されるような恐怖を感じました(不正な駆け引きが介在しそうな印象も)。
 予約の時点から金儲け連中の人海戦術に太刀打ちできなかったような気がします……

2013/11/11

JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野

2013.11.3【東京都】──大江戸線を歩く_21


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淀橋(Map)

 淀橋浄水場や、ヨドバシカメラの名称は、中野・新宿区境の神田川に架かる青梅街道の橋に由来します。
 かつての東京市時代にあった淀橋区ですが、当時からにぎわった新宿駅東側(旧内藤新宿:新宿三丁目付近)は四谷区に組み込まれたので、落合や早稲田大学付近などの農村地域がくくられた行政区だったようです。
 その後、牛込区、四谷区との合併で新宿区とされますが、当時はおそらく現在の横浜市のように、新興住宅地が隣接する農村を侵食していったことでしょう。

 世間に電気自動車は普及し始めているらしいが、充電や蓄電の様子を見かける機会は少ないと感じ、戸建て住宅のガレージにて。
 ですがエネルギーのチャージ中は、特撮ヒーローと同様に無防備な姿をさらすことになります。
 時間もかかりそうですし通りに面した場所なので、いたずらされないかと心配になります。

 付近でかぐや姫『神田川』の石碑を目にし、そんなものがあるのかとビックリ。
 イメージ的には早稲田周辺が似合いそうでも、この辺りが作詩の舞台だったということか。


中野氷川神社(Map)


 中野氷川神社は旧中野村の総鎮守社で、上のように立派な神輿蔵が立ち並ぶ様子からも、祭りの盛大さがうかがえます(例大祭9月14・15日)。
 関東で目にする氷川神社は、武蔵国総鎮守とされる埼玉県大宮の氷川神社の流れをくむ信仰で、元は水神とされたものをスサノオ信仰として神道教義に取り込んだらしい。


 その境内に鎮座する謎の金属物体。
 海中に設置する機雷のように火薬を詰め込んだ? と思うも、説明は見当たりません。
 横浜市磯子区の八幡神社に似た奉納物があるらしいが、そこも不明らしい。
 長崎くんちの鉄球を飾る曳き物では大砲の弾とされるも、お城を壊すために使われたとの解説があります。
 やはり、何らかの武勇伝がなければ奉納されないと思うのですが、その実体とは……


東中野(Map)

 JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
 その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
 なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。
 その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします。


 追記──自治体の「ハザードマップ」が届きました。

 中には「津波」「液状化」「揺れやすさ」「浸水」の危険度を示す地図が入っています。一度見たいと思っていました。
 現居住地は、江戸時代の海岸線付近(陸側)というキワなので、津波、浸水は大丈夫そうも(本当か?)、液状化と揺れやすさでは「黄色:注意」の判定です。
 落下しそうなのはエアコン程度ですが、注意点が明確になり防災への意識も高まったと思えるので、とても有意義な行政サービスと感じます。
 ですが「タモリ俱楽部」番組内の情報で、居住地一帯は品川〜田町間の山手線新駅建設に伴う再開発地区に含まれることを知りました。
 このボロアパートは真っ先に取り壊されそうです……


 追記2──宇宙飛行士若田さん「船長」に!

 スペースシャトル引退後のアメリカが、ロシアのソユーズに国際宇宙ステーション(ISS)への人員輸送を託す時代を、誰が想像しただろうか?
 そのおかげか、協賛国レベルでしかない日本の若田さんが、4度目のミッションで「ISSの船長」に抜擢されます。
 ガキ時分にあこがれた、アポロ11号のアームストロング船長に匹敵する若田船長(リンク先の絵が似てる!)を、現代の子どもたちはとても近しく感じることでしょう。
 振り返れば、小学生時分に天体望遠鏡を与えてくれたおかげで、天文・気象など自然科学への関心が開かれた思いがあり、大きなエポックだった気がします。
 ガキどもよ、宇宙のロマンを学び、あこがれ、宇宙を目指せ!
 消費税が上がるのは困るけど、宇宙の夢への投資なら応援する! 気持ちはある……

2013/11/04

染みついた記憶──西新宿五丁目〜中野坂上

2013.10.27【東京都】──大江戸線を歩く_20


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十二社(じゅうにそう)池(弁天池)跡地周辺(Map)

 現在、新宿駅西口から山手通りまでの一帯は西新宿とされますが、いまも旧町名「角筈:つのはず」の名称を見かけます(歌舞伎町も含まれ、郊外とされた地域か)。
 1898年(明治31年)淀橋浄水場完成(東京の近代水道発祥地)から住宅が建ち始め、関東大震災(1923年)で下町を焼け出され、山の手郊外に土地を求める人が増えます。

 両親双方の祖父母とも東京への流入組で、それぞれ親類が深川や向島の下町にいたことを思い出すと、震災の教訓から世田谷や中野(どちらも当時はど田舎)の地を選んだ時代背景が、おぼろげに浮かぶような気がします。
 右は旧角筈町の面影を残す町から見た高層ビル。

 前回歩く予定が甲州街道方面の誘惑により、足を運べなかった地区のフォローです。

 このホテルはアラーキーが撮影に使用したとされ、本能的欲求をあるがままに受け入れてくれる施設だったようです(2000年閉鎖)。
 この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
 下の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
 結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……


 近ごろ、わざとボロ家のレトロ感を演出する店を目にしますが、付近には年季の入った店が健在です。
 歌舞伎町やゴールデン街とルーツは同じようで、楽しく飲めればいい、店を目指したようです。
 繁華街からはみ出した場末でほそぼそと続く店には、それぞれにあじや個性の魅力はありそうでも、なじみになるとやっかいな「ベタベタ感」がまとわりつきそうです。
 だから、ドライな隠れ家的な店が受けたのか?


山手通りの換気塔(地下を通る首都高速の施設)(Map)

 地下を通る首都高速中央環状線の整備により、とても見通しの明るくなった山手通りですが、所々に換気施設の高い換気塔が点在します。
 ここでは、建造物のある場所に換気塔をぶつけてきたように見え、目の前にこんなモノ作られたら困ってしまう。
 でも逆に考えてみて、土地や税金が安いであろう場所の格安マンションは、人気があったりするのだろうか?
 不動産屋が「風向きによっては多少影響があるかも」としたら、「オススメではない」と理解すべきです……
 右は、曲線状の外壁に沿う非常階段。
 ドラマか何かで目にした気がする、舞台装置としてはとてもスリリングな階段です。
 屋根もなければ、支える柱も無いので(それが売りでしょう)、サスペンスの逃亡シーンには向いていても、銃撃シーンでは狙い撃ちされそう。

 高所でも大丈夫だった大井川の吊り橋には、身近に何とかひっかりそうなネットやロープがありましたが、ここは無理。だって、手すりの下は地面ですから……


成願寺(じょうがんじ)(Map)


 中野坂上に向かう坂の途中に、境内の石像に暖かみが感じられるお寺があります。
 ここは曹洞宗(永平寺を開いた道元による座禅を主とする教え)のお寺で、道元のように「座禅をしていきませんか?」と招き入れる姿勢が、地域の人に受け入れられたのではあるまいか。
 台風一過の日曜日なので。昨日来られなかった方、お墓の掃除に来た等、パラパラながらもお墓参りの方が途切れない様子に、足を運びやすい寺という印象を受けます。

 「中野長者」と語られる紀州出身の商人が若くして娘を失い、大雄山最乗寺(神奈川県足柄)での修行により開いた寺という経緯からも、地域のためにとの願いがあったように感じます。


中野坂上(Map)

 近ごろ再開発が盛んな中野坂上には、高層オフィスビルが4〜5棟建ち並びます。
 これまでも、地下鉄丸ノ内線の荻窪方面(本線)と方南町方面(支線)の分岐駅でしたが、都営大江戸線の乗り入れと首都高速の開通がトリガーだったようです。
 ですが、地下鉄はどちらも新宿経由が必要な袋小路なので、便の良さを感じる人は限られるようにも。
 物流は山手通りと青梅街道の交点で、首都高速の出入口至近はメリットでも、渋滞の常習地区という気がします。

 右の鉄骨は汐留の日本テレビに似た印象があります。
 よく見なければ違いが分からないほど類似しても、ウケのいいデザインのようです……


 追記──心震えた! 日本シリーズ

 楽天 vs 巨人というより、星野 vs 巨人という構図や、原監督無念の退陣の際に星野監督の胸で涙した間柄などが思い出され、近ごろ珍しく「どちらの監督も応援したい」(でも、どっちのオーナーも嫌い)お祭り気分で日本シリーズを楽しみました。

 強い巨人を敵役に仕立てた今回のシリーズでは、判官びいきで楽天を応援するも、コテンコテンにやられると思う人が多かったのではあるまいか?
 星野監督が好きそうな則本の第一戦登板は、抑え投手が不安なシリーズ後半で抑え起用のためとは「勝ちたいんや!」だけではダメだった教訓からの采配のようです。
 不敗神話が断たれても連投を直訴するマー君は、沢村賞を受けた上、稲尾という伝説に挑むようにも映りますが、「勝利に貢献したい」志願をくんでくれるのは星野監督以外にいないという「出会い」が、最高のフィナーレを演出します!

 久しぶりに毎試合見た「これぞ日本シリーズ!」に興奮し、感動させてもらいました!