2009/08/17

天狗とハイヒール──高尾山

2009.8.9
【東京都】

 今回足を運んだ高尾山は、東京・神奈川に暮らす人々には、身近なハイキングコースとして親しまれていると思います。
 ガキの頃から何度となく登った印象や、「ハイヒールで登れる山」と言われることからも、「あんなの山じゃない」という気分を、どことなく持ち合わせています。
 でも近ごろでは、平地はよく歩くものの山登りには自信がないので、ケーブルカーで登りました……
 それじゃ、山登りと言えないじゃん!

 下りだけでも、翌日(だったことにホッとしたりして)ふくらはぎがバリバリに痛く、悲鳴を上げていました……


 高尾山薬王院(Map)

 山の頂にある薬王院は、744年聖武天皇の勅命により、東国鎮護のために開かれ、真言宗智山派の関東三大本山(残る2つは、川崎大師平間寺と成田山新勝寺)では最も歴史があるそうです。
 空海さんの真言密教のお寺なのに、世間的には天狗のお寺として親しまれています。
 1375年京都醍醐寺から来た僧侶が、飯縄権現(いづな or いいづなごんげん)を祭ったことから、飯縄信仰の霊山とされ修験道の道場として人気が高まったそうです。
 飯縄権現とは、長野県飯縄山(Map)に対する山岳信仰が発祥とされる神仏習合の神で、白狐に乗り、剣と縄を持った烏天狗(右写真は大天狗)の姿をしているそうです。
 戦勝の神として信仰され、足利義満、上杉謙信、武田信玄等の武将たちに信仰されたようです。

 ──上写真は、大天狗(鼻の高い天狗)像。下写真は、ホラ貝を吹きながら本堂に向かう山伏姿の僧侶。ホラ貝を吹くことには、悪霊退散、山中での修験者同士の意思疎通、熊よけ等の意味があるそうです。ちなみに「ホラ吹き」とは、仏法の説教を熱心に行う様からきたそうで、法螺貝は見た目以上に大きな音が出ることから、大げさなことを言う人をそう呼んだそうです。


 天狗の一般的なイメージは鼻の高い容姿になりますが、それを「大天狗」と呼び、鼻先が尖ったもの(尖ったマスクを付けたような容姿)を「小天狗」もしくは「烏天狗」というそうです。
 奈良時代の役行者(えんのぎょうじゃ)から始まったとされる山岳信仰が、鎌倉時代から修験僧(山伏)の広がりを生み、その姿が天狗と呼ばれるようになったそうです(山伏も山を飛ぶように駆けていたことでしょう)。
 庶民が山地を異界として畏怖した時代には、山で起きる怪異現象や、天狗(語源は、怪音をたてて空を飛来するもの(火球、隕石)とされる)のイメージに、山伏の姿が重ねられ呼ばれるようになったようで、そのころから天狗を山の神と考える風習が広まったそうです。
 しかしそこには、他宗派からの軽蔑の表現(そんな行為は修行と認められない)も含まれているそうです。


 「天狗になる」の言葉通り、天狗は慢心の権化とされていて、その始まりは、彼らが「教えたがり魔」であるとの言いつたえによるようです。
 仏教六道(りく or ろくどう:天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のほかに天狗道があるそうで、仏道を学んでいるので地獄に堕ちないが、邪法を用いるため極楽にも行けない「無間(むげん)地獄」(仏教八大地獄の周辺に存在する小規模な地獄。これじゃ分からんね…)との見解もあるそうです。
 ですが、そこには日本人に愛されそうな「あいまいな存在」としての特徴が現れているような気がします。
 人間に似た容姿を持ち、山間地においては超人的な身体能力を発揮し、空も飛ぶと考えられていながらも、われわれを守ってくれるわけでもない「畏怖(いふ)されるだけの存在」であっても、神として祭ろうと考える心理は、説明不要な「存在感」ゆえのことと思われます。
 また、古事記・日本書紀などに登場する、天孫降臨の案内役であるサルタヒコ(猿田彦)は、長身で長い鼻を持つことから、天狗のイメージと混同されていることも、日本的であると思ってしまいます……

 そんな「原始宗教」(アニミズム的な「八百万(やおよろず)の神」等)を理解する感性を持っている民族が、海外から先進国と見られていることは、驚くべき事なのかも知れません。
 不信心と考えられているわたしたちですが、万物(自然界)を慈しむ気持ちこそが、信仰心につながることを、世界に向かってアピールできたら、と思うのですが、いかがでしょうか?

 ──上写真は、かつて火渡りの儀式(?)等が行われたように思える修行場。下写真は、滝行に使われている琵琶滝(右奧)。


 高尾山の名をよく目にするのは、自動車の窓に貼られた交通安全の、真っ赤なもみじ型のステッカーではないでしょうか。
 お寺の紋章には、もみじの葉が3枚あしらわれており(右写真)トレードマークのようで、もみじステッカーは交通安全以外にもいろいろあるようです。

 近ごろ夕刻に高尾山を訪れる人が増えているそうで、それは「高尾山ビアマウント」(山上ビアガーデン)の人気によるもので、開場1時間前から行列が出来ていました。
 ずいぶん前ですが、親戚一同で訪れたことがあって、景色の見事さに見とれたものの、夜の山はとても冷えるので「寒い」と言いながら降りてきた印象があります。
 都心近くには山がないので、屋上ビアガーデンで我慢するしかありませんが、機会がある方にはオススメ出来ると思います。


 いい機会なので、天狗のうちわとゲタについて調べてみましたが、「うちわであおぐと鼻が高くなる」「一本歯の高ゲタは俊敏に動くことが出来る」等の記述にしか出会えませんでした……(上写真は、ゲタが納められる社)
 形状が似ていることから、植物のヤツデの葉(八枚に裂けた葉)の方に「天狗のうちわ」との異名がついたそうです。

 登山口付近に、大きな天狗のお面が飾ってあったと記憶していたのですが、見あたらないので探してみましたが、勘違いだったのか?
 記憶のある方がいたらお聞かせ下さい。


 高尾山 山麓(Map)

 下りは、ガキ時代の記憶をたどり、滝(琵琶滝:上へ3枚目の写真)の道を歩きました。
 山上の杉並木も立派でしたが、古くから修験道の霊場とされたおかげで、山麓一帯の森林保護は各時代で続けられ、東京近郊としては驚くほどの自然林が残されています。
 また驚いたのが、年間の登山者数が世界一の山であるということです。
 確かに人は多いのですが、団体でも訪れやすい山で(企画する側として立案のしやすい場所になるのでしょう。学生時代に来た覚えがあります)、アクセスも悪くないので気軽に立ち寄れることは確かです。
 そんな登山者の多い高尾山を見込んで(東京都ですし)、この地に「エコツーリズムの本部」となってもらってはどうだろう? と思ったりしました。

 最近では、観光・ハイキング気分で屋久島や北海道の山等を気軽に歩こうとする、中高年が多いと耳にします。
 言葉は悪いですが、そんな中高年たちが各地の自然環境を踏み荒らさぬように、知名度に引かれるだけで「自然を知らない」人たちへの「ネイチャー・スクール」を、この地に開いてはどうか? と思ったりしました。
 高尾山だって、雨が降ったら大変なことになる「山」であること等を、この地から発信してもらえれば、多くの人の耳に届くのではないか、とも思われます。
 わたし自身、多少バカにしている高尾山でも、結構リアルな山であることを再認識させられた思いでおります……

 実際にハイヒールで歩く方を見かけました。
 天狗の高ゲタを意識した訳ではないのでしょうが、一本歯の高ゲタのような俊敏性は得られないと思われます。
 今どきは、ビアガーデンの開場待ちで散歩している方もいるでしょうから、デートだとハイヒールも仕方ないのでしょうか?
 しかし、そんな認識の延長が、山を軽視した登山での遭難事故につながるように思えてなりません……

 とりあえず、東京都(Map)に関しては、このあたりで終了と考えています。
 また、何か企画があったら歩きたいと思います。

2009/08/10

残された森の声──高幡不動、多摩動物公園

2009.8.1
【東京都】

 この日歩いた多摩丘陵は、高尾山の東のふもと付近から、東は多摩川付近、南は横浜市の円海山(横浜横須賀道路釜利谷ジャンクション付近)まで及ぶ、東京都・神奈川県に広がる丘陵地帯になります。

 縄文時代には海水面が高かったことから(都心の低地は海でした)、丘陵地帯には点々とその時代の遺跡が数多く残されています。
 海水面が低下した弥生時代からは、谷戸と言われる谷の下に農地を開いて、稲作等の農業が始まったそうです。

 1950年代から周辺一帯の開発が進み、里山とされた緑や田園風景が失われ、いまに至っています。
 元もと丘陵地域なのでどの地も傾斜地ですから、決して安心して住める地ではないと思われます……

 Wikipediaの説明が分かりやすいと思ったので、引用させてもらいます。
 ──映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)ではこの丘陵の開発が取り上げられ、また、映画『耳をすませば』(1995年)ではこの丘陵が開発された住宅地が舞台となっている。

 開発に異議をとなえても止めることなどできず、それを受け入れた地においては、どんな夢が描けるのかを模索する姿が想起されます。

 むかしながらの多摩丘陵にふれられる散策路が、高幡不動〜多摩動物公園〜多摩テック(2009年9月閉園予定)〜平山城址公園〜野猿(やえん)峠(甲州街道脇の「ホテル野猿」の看板はまだあるのだろうか?)に整備されているそうです。
 多摩地域に残された森は、綱渡りのように歩く程度の、ほんの限られた場所だけになってしまったようです……


 高幡不動(金剛寺)(Map)

 高幡不動の名は通称で、金剛寺(こんごうじ)という真言宗(空海)のお寺になります。
 「金剛」の名は、総本山である高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)の名や、その祈りに「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)と唱えられたりする、真言宗においてのキーワードになります。
 密教徒(真言宗を含む)の間では「大乗」「小乗」に対して「金剛乗」とされるそうですが、密教が仏教に含まれるかについては見解が分かれるそうです。
 わたしにもそんな印象があって、日本向けに練り直された教えではないかと思う面があり、そこにこそ、空海(弘法大師)の力が発揮されたように思われます。


 通称の通り本尊は不動明王で、真言密教の本尊である大日如来の化身とされるそうです。
 世間では「お不動さん」として親しまれていますが、日本人向きの信仰(即身成仏)であることを、この「お不動さん」の表現からも感じることが出来ます。
 成田山新勝寺(成田不動)とともに、関東三大不動のひとつとされるそうですから(もうひとつの候補には3寺ほどあるそうです)、その人気ぶりがうかがえます。


 多摩地域を歩けば「トシちゃんに当たる」印象のある土方歳三ですが、ここが菩提寺となるそうで、銅像が建てられています。
 ──その名から新撰組ではなく、むかしのコミック「マカロニほうれん荘」を連想するなど、新撰組への関心の薄さを自覚しています。

 実家の土方家が保存・展示している資料館や、お墓も近くにあるそうなので、若かりしころはこの辺りを走り回っていたのかも知れません。
 江戸時代の多摩地域は、雑木林が広がる山里のような土地柄だったでしょうから、出身者が侍に出世した(当人もよろこんでいたらしい)となれば、一躍名士〜郷土の誇りとされた様子が、現在でも見て取れる印象があります。
 この地域では他に有名人がいないこともあるのでしょうが、多摩でひとり勝ちの「トシちゃん人気」(これまで何度かふれましたが)に接することが出来たのは、とてもいい見聞だったと思います。


 多摩動物公園(Map)

 ガキの頃、多摩動物園といえば「ライオンバス」でしたし、インド王宮のような塔が並んだ建物がとても印象に残っていました(塔は健在です)。
 ──当時、何でインドと思ったのだろう? 知らずともタジマハール等をイメージしていたのだろうか?

 この日は比較的気温は低かったのですが、お昼寝タイムでしょうか「ライオンは(日陰で)寝ている」個体が多く、写真の彼女だけがそれらしく振る舞い、見学者をよろこばせていました。
 現在でも人気があるようですから、子どもの興味の対象が変わっていないことへの安堵感と、手軽さという「親の感覚」も変わっていないのかも知れない、と思ったりしました……


 象はどこの動物園でも、こちらに顔を向けてくれた印象が無いので、思わずシャッターを切りました。耳も開いてくれましたし……(アフリカゾウ)
 見聞が広まってくると(年をとると)動物園とバカにしてしまう面もありますが、「こんな姿は初めて見た」という動物園ならではの光景に出会えることがあるので、足を運んでいるのだと思います。


 下写真はグレビーシマウマで、右方向が頭になります。
 左側の足の付け根あたりのしま模様が、とっても不思議に思えました。
 シマウマのストライプ模様は、全部ストレートで1本なのかと思っていたら、途中で切れていたり、他とつながったりしています。
 中でも、つながりそうでつながらない模様には、何かお互いの意志があるようにも思えてきます。

 ここで、視点のネガ・ポジを切り替えます。
 上記までは、白毛を模様と見た表現になりますが、お腹が白いことを踏まえると「白地に黒い模様が入る」と考えた方が自然に思えてきます。
 そんな視点で考えると、黒毛の模様が変化・移動していくことになります。
 下腹部あたりでは黒い模様が枝分かれしており、その辺りが模様の調整個所(変化の始まり)のようにも見え、途中で枝分かれしている模様を付け替え直していくと、キレイなしま模様が完成するようにも思えてきます。
 しかし、当のシマウマがそれを完成型としているかは、疑わしいですよね。
 だって、人間が勝手に「ストレートなストライプ」を望んでいるだけなのかも知れませんもの……
 シマウマの気持ちを推測すると、遠くから見るとストライプ模様は、草原の風景に埋もれて判別しにくい、と考えられているそうです。


 ここは、コアラが日本に初めてやってきた(1984年)地のひとつで、当初はかなり盛り上がっていた記憶があります。
 写真も眠っている姿ですが、一日約20時間程度眠るそうです。コアラ館は安眠を守るためでしょうか、とても暗いので、ブレずに撮れたのはラッキーでした。
 主食のユーカリの葉から栄養分や水分を摂取するものの、ユーカリには毒素が含まれるため消化が悪く、栄養分も少ないため、省エネのために寝て過ごすのだそうです。
 ──食べ物の消化に時間のかかるテングザルも、食後は消化されるまで眠って待つと、テレビで見ました。

 「コアラ」とはアボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味なんだそうです。
 オーストラリアでは抱くこともできますが、爪は鋭いので引っかかれる危険性があります。でも、あのフサフサの毛並みに触ってみたい気持ちは、とてもよく分かります。
 記憶はたどれないのですが、その毛並みの「繊細な毛の感触」を手のひらが覚えていました。
 ですが、場所も覚えていないのですから、当時の関心の薄さがうかがい知れます(オーストラリアだったかなぁ…)。

 下写真はオランウータンの子どもですが、とても人気があるようで、もの凄い望遠レンズを抱えた(アマチュアと思われる)カメラマンたちが群れていて、驚きました。
 注目されている子どもなのかと調べてみても見あたりませんから、オランウータンの撮影会(?)だったのでしょうか?
 って、そんなのあるの? 水着も着てないし……


 多摩動物公園は、丘陵地帯の斜面に沿って各動物たちの飼育舎が点在しているので、一周するとハイキングくらい上り下りをさせられますから「今日は歩いた〜」という実感を得ることが出来ます(汗はダクダク……)。
 この年になると視野も広がるので(休憩が多いだけ?)、周囲にも視線が向き「いい雑木林が残されている」と感じることができたりします。
 ヒグラシの鳴き声(カナカナカナ)を久しぶりに耳にすると、風情があると言うのか、ガキの時分の「遊びの時間がもう終わる」と感じた、一種のさみしさがよみがえってきます。
 いまどき、住宅街では耳に出来ませんから、当時はそれだけ身近に自然があった(身近に里山的な環境があった)ということになります。

 帰りは、多摩モノレール(レールの設置高度が高い上、山を上り下りするので、ジェットコースターのような迫力が楽しめます。是非、先頭の席で楽しんでみてください)で、多摩センターに出たのですが、もうビックリ!
 開発期の様子や、サンリオピューロランド開設くらいまでは知っていましたが、現在のこの姿がほぼ完成型なのでしょう。
 都市計画があまりにも人工的過ぎて、便利ではあっても面白味を感じることのできない「不思議な町」になっていました。
 開発計画が進められた時代(1950年代〜)における「未来都市」の姿なのでしょうけれど、そんな反省が横浜港北ニュータウン等に反映されているようにも思われます(別に好きなわけではありません)。

 具体的なイメージは持っていませんが、「現在描く未来都市の絵」ってどんな姿なのでしょう?
 実現した時に「何考えてたんだか?!」と、言われないようなビジョンを持たないといけません。行政に期待はできないので、自分たちで明確に持つ必要があるのかも知れません。

 『平成狸合戦ぽんぽこ』のタヌキたちは、共存のために人間に化けて生活することを選びましたが、もう彼らの帰る場所は、この多摩丘陵からは失われてしまった、という印象です。
 だから「狸オヤジ」が、人間界をかっ歩するようになったのでしょうか?
 どっちも困っちゃうんですけど……