2017/11/27

流れる島──妙見島

2017.11.11【東京都】──江戸川区探訪_4

 旧江戸川中州の島で、周囲がコンクリート護岸で囲まれるまでは、流れの影響で移動することから「流れる島」と呼ばれました(以前は上流側に位置したそう)。




 江戸時代に開削された新川は、島の北端近くで旧江戸川に接続したので、江戸〜行徳間を行き来する行徳船(ぎょうとくぶね)の利用者には知られる存在でした(23区内唯一の自然島)。
 昭和初期から工場地帯とされ、現在は産業廃棄物処理施設が幅を利かせ、立ち入り可能な場所も限られているので、用事の無い方は近寄らない方がよさそう。
 島内には、下の月島食品工業東京工場(主にマーガリンを製造)や、上右側のラブホテルがある様子から、川に囲まれた地を求める理由も様々と。
 地下鉄東西線 浦安駅から徒歩10分程度。


 グレーな印象の島で唯一明るい存在が、YAMAHA系列のボート、クルーザーのレンタルができる会員制マリンクラブ ニューポート江戸川(以前は造船所。右・下)。
 免許があれば下のような大型の船もレンタル可能で、ここでは小型船舶操縦士免許1級・2級の講習が受けられます(1級免許は、総トン数20トン未満または特定の条件を満たす全長24m未満で、航行区域 制限無し)。
 ですが、免許を取ったとしても、船はレンタカーのように気軽に借りられるものではありません……
 右は、リフト上に格納されたボートの船底。


 島西側の川幅は狭いため、川岸の住宅地に産廃処理施設が迫るように見えます。土地利用区分は工業用地とされても、これほど近くに産廃施設があっては、健康不安を訴える人も多いのではないか。
 周辺の住環境を考えれば、土地の利用法を再考すべきと思うが(マーガリン工場を含めて)、周辺住民の苦情等では動き出さない問題なのか?(島は東京都江戸川区)

 右は、川の西岸にある東葛西ライゼホビーという、レンタルガレージ+趣味空間(2階はフリースペース)。自分だけの空間が欲しい人は多いと思うが、家賃11万〜ですから、趣味のために働いている人向けかと……


追記──疲れが表れる時間差

 先週、久しぶりに朝まで仕事をして、早朝の電車で帰る日がありました。
 その日はぐっすり眠れると思っていたが、4〜5時間で目が覚めてしまい、結局疲れは取れないまま翌日出勤します。それを引きずった2日後の祝日に、泥のように眠りようやく疲れが取れたように(+週末もたっぷり寝ました)。
 筋肉痛の時差では、痛い時に動かすと痛みが和らいだ経験があるが、疲れの時差では、その潜伏期間に無理をすると痛い目にあいそうです。
 体力に自信が持てない年代なのだから、体と相談しなさいということらしい……

2017/11/20

力が入り過ぎでは?──古川親水公園

2017.11.3【東京都】──江戸川区探訪_3

 一般的に親水公園には、子どもたちが水辺で遊ぶ光景を思い浮かべますが、両側に道路を通したい等の要件もあるため、彼ら好みの場所は限られてしまうようです。




 日蓮宗の寺院なので、右の井桁に橘の寺紋を持ちます。
 中に橘が無い「井桁」は、大河ドラマ『おんな城主 直虎』で目にする井伊家の家紋で、この寺紋は井伊直政の日蓮宗帰依に始まったそう。

 父の葬儀準備にあたり、母・妹の「うちは日蓮宗だったの?」という関心の無さを父は見越していたのか、わたしにだけ念を押したようです(それが長男の責任と…)。
 次男の父は本家に入れないため仏壇を新規購入したように、兄弟が多い年代なので需要が増えそうと思うも、住居事情からコンパクトなものが主流のようです。
 上は、松の枝を真っすぐ伸ばした姿。




 江戸時代に塩の輸送航路として開削当初は船堀川の名称でしたが、後に水路が直線化されてからは、新しい水路=新川に対して、旧船堀川=古川と呼ばれるように。
 周辺に住宅や工場が立ち並び、生活・工場排水が流れ込んだ1970年頃には悪臭漂うドブ川と化し、当初江戸川区は埋め立てる計画でしたが、川を残してほしいとの住民の要望を取り入れ、水の流れる公園計画が動き出します(1973年)。
 日本で初めての親水公園だったこともあり、国内外から注目されたようですが、力が入り過ぎの印象も。


 2枚上では、旧河川上に人工の流れや山を造成して吊り橋を架け、山にトンネルを通していたり、上のような人工の滝も複数箇所に設置されています。
 お金を掛ける前に、飛び石が並ぶだけの水辺に群れる子どもたちに「どんな公園が好き?」とリサーチすべきとも。

 右は、二之江神社と親水公園を挟んで隣接する古川けやき公園の大木。駅がある一之江の地名は知っていたが、付近が二之江とされることから、いく筋もの流れがあった様子がうかがえ、それぞれどんな川だったのか知りたくなります。


 右は、元古川・旧江戸川の接続付近で、現在は左から右に流れる新中川と、奥から流れる旧江戸川の合流地点。
 付近の河川に新・旧が付くのは、洪水対策・土地開発に向けた河川整備が必要とされたためで、荒川・中川・江戸川を中心とした、新旧の流れについては(旧中川は旧利根川だった 等)はまたの機会に整理します。

 右は、屋形船の上でダンス練習する娘。流れを前にすると、大きな動きが表現できそうとも。
 上の立派な屋敷の門は、隣接する森山医会のケアセンター、特別養護老人ホームの関連施設かと(西葛西に系列病院がある)。


 対岸の千葉県市川市(上)は、現在も工場の立地要件を満たすようで、住宅に囲まれた水辺で工場が稼働を続けます。
 公害排出や事故を起こさなくても、自治体・周辺住民・不動産関連の包囲網からのプレッシャーは高まりそうですから、時間の問題という気もします。
 下流側の川に浮かぶ妙見島も工場施設が多そうですが、次回歩いてみたいと。


追記──奄美群島訪問で、即位後に47都道府県を2巡した天皇

 戦争中は皇太子のため直接の関与なしとの認識のためか、受け入れ側の意識も好意的だったため、精力的に全国各地を回ることができたように。
 平成の29年間に47都道府県×2回=94回ですから、年3回各地を訪問したことになりますが、その目標にめどが立ったため、退位に言及したのではないかとも。
 これだけ国内に足を運んだ天皇は初めてと思われ、立派な行動と受け止めます。

2017/11/13

川の文化を伝える──新川

2017.11.3【東京都】──江戸川区探訪_2

 新川は、江戸城に入った徳川家康が、城下から現在の千葉県 行徳に至る塩運搬船の航路開削を命じ、道三堀小名木川と同時に開削された運河です。



 右は、以前小名木川散策時に訪れた閘門(こうもん:水位の異なる水路間にある、船を通行させる施設)で、その存在は川の対岸からもすぐ分かります。
 手前の荒川放水路開削と同時に(1930年:昭和5年)、西側に小名木川閘門、小松川閘門、東側に船堀閘門が建設され、海運が主力だった当時は1日約1200艘もの船が通過したそう(放水路開削以前の水路はつながっていた)。
 荒川放水路+中川の幅は広いため、地続きだった絵も想像できませんし、文化交流も影響を受けたのでは? と思う程の距離感です(500m以上ありそう)。



 江戸時代に古川(船堀川)の東側を改修した運河で、改修前の蛇行部分で家康の船が座礁したとの説も。
 当初は、行徳塩田の塩を江戸に運びましたが、貨客船が就航すると農村の野菜や成田山の参詣客を運ぶように。
 利根川を経由する航路の整備後は(江戸時代まで利根川は東京湾に流れ込んでいた)、東北地方の年貢米などを運ぶ水運の大動脈となり、利根運河完成後(明治期)には蒸気船が運航します(昔から房総半島をショートカットしたかったらしい)。
 右は新川西水門広場にある火の見やぐらのモニュメント。旧水門は地盤沈下対策から新川排水機場(1968年)とされ、新川は船が航行できない池のような存在に。


 以前の川岸は、コンクリート護岸が続く殺風景な景色でしたが、下水道整備、護岸の耐震補強工事 等を受け、江戸川区と区民の協働による新川千本桜事業が始動します。
 江戸時代風の石積み護岸を築き、木造橋を架け(木の装飾だけと思う)両岸に桜を植え、水運が盛んだった時代をイメージしたテーマパークを目指します。
 右の橋を自転車が通過する際の、「パタパタ」と床板が波打つ音にはノスタルジックな響きがあり、住民の方も親しみを感じるのではないか。
 ですが、黒い橋だから「忍者橋」の名前でいいの?

 2枚上写真右側は、新川の地下に日本で初めて作られた河川地下駐車場の入口(駐車券を持ってないと入れないため未見)。
 観光客誘致を目指して受け皿を準備する取り組みは立派と思う反面、かなりお金をつぎ込んだ印象も。大きなお金というのは目につきますから、槍玉に挙げられ予算はかなり縮小されたようです。
 ですが、整備前とは比べ物にならないほど、明るさのある水辺に生まれ変わり散策する人も多く見かけます(2015年整備完了)。
 右は多目的ホールの新川さくら館

 流れのない川(池)には水辺に降りられる施設が設けられ、カヌー等の小型船を降ろすようです。水上からの光景は水辺を身近に感じられますし、清掃活動もカヌーで行われます。
 下の桜橋は、川の上で盆踊りができる広さの人道橋で、地下駐車場を含め三層利用は見事な土地活用法と。
 元々人が集まる川辺に、人が輪になれる広場を整備した意図は、周辺住民も納得できたのではないか。
 新川周辺の環境整備は、第1回美し国づくり景観大賞大賞を受賞したそう。


 右は、東側の旧江戸川に面した新川東水門ですが、カメラ位置の後方は埋め立てられており、水門は小さな船だまりのためとしては過剰な施設に見えます。
 現在新川の水は付近から取水〜新川西水門(排水機場)から荒川(中川)へ排水されますが、その人工的な流れは、地盤沈下が少なく地盤の高い付近と、ゼロメートル地帯との高度差を利用しています。
 必要な対策とはいえ、税金が排水に使われる様子から、砂上や水上でなく「水面下の楼閣」のイメージを思い浮かべます。

 23区内でも広い空が残されることは自慢できそうですが(駅周辺は集合住宅が林立する)、それは、海・川に面した湿地帯・農地の名残りのためで、その受け止め方によって居住地としての評価が分かれそうです。
 物価の安さ相応の生活スタイルを受け入れられれば、ガキがチョロチョロと目障り=生活しやすい地域、に納得できるのではないかと。

 これまでイベント情報を目にしても、江戸川区の表記があるものはスルーしていましたが、これからは気に留めるようにしないと……


追記──「一番になりたい」と言える素質

 プロ野球日本ハム 大谷翔平選手の大リーグ移籍表明会見の言葉に、他の人なら「小学生じゃないんだから」と突っ込むところが、「応援するぞ!」とエールを送りたくなるのは、まだ伸びしろがある素質への期待感によるものと。
 われわれの「夢は大きく」とはサイズ感が違うため、彼にしか語れない「デッカイ夢」を持てることはうらやましいし、改めて夢を抱くことのすばらしさを教えられました。

2017/11/06

子育て世代にアピールする──行船公園

2017.10.8【東京都】──江戸川区探訪_1

 遠出が続きましたが、しばらくぶりに現実の世界に戻ります。
 ここは近所にある公園で、自然動物園(1983年開園)、平成庭園(1989年開園)があり、隣接する宇喜田公園(グラウンド等)を含め、住民のいこいの場となっています。




 敷地は狭くても動物の種類と運動場スペースが確保されるので、動物園の要件を満たしているように。その分見学者が弁当を広げるスペースは狭いが、入園無料で出入り自由なので、公園や近くの飲食店が利用可能。
 ウサギやモルモットなどを膝に乗せられる動物ふれあいコーナーは大人気で、可愛がるつもりでも足がぶつかれば動物は逃げることを、経験から学んでいるように(右はミミナガヤギ)。
 上のクモザルの名は、木の枝に尾を巻きつけてクモのようにぶら下がる姿によるもので、両手足+尾の5肢(?)を持つようにも。


 上のプレーリードッグにとっては、キスやハグが挨拶の行為らしいが、われわれの感覚では「いつまでやってんだよ!」と、ツッコミたくなります。
 見た目の通りネズミの仲間ですが、天敵を知らせる警戒の声「キャンキャン」がイヌの鳴き声に似ているため、プレーリードッグ=草原のイヌ とされます。
 見晴らしが開ける草原では天敵の見張りは重要ですが、この環境では周囲を見渡す目ものんびりしています、




 施設の土地は1933年公園用地として寄付されますが(行船の名称は寄付主の屋号)、田んぼが広がった地に庭園が整備されるまで50年かかりました(1989年)。
 周辺の水害が軽減されたのは、1957年葛西海岸堤防建設、1972年葛西沖開発事業の埋め立て以降で、葛西橋(1963年開通)、東京メトロ東西線(1969年開通:西葛西駅開設は1979年)、都営地下鉄新宿線船堀駅(1983年開業:新宿線開通は大学時代の記憶がある)等の交通インフラ整備も、土地の整備事業を受け進められたようです。
(上写真だけ11月5日撮影)


 落ち着いた空気でひと息できますし、ガキどもが群れる水辺もあるので、住民には好評のようです。
 紹介ページの紅葉と雪景色は是非と思ったが、新しい町には紅葉の名所がないことを意識したようにも。
 上2枚は、池の畔に建てられた源心庵(句会や茶会などに利用される)で、有料ながら静かな時間が過ごせそう。

 隣接する都立宇喜田公園は、スポーツ広場や野球場、フラワープロムナード等がある広い施設。以前の土地利用は不明ですが、都が防災施設(避難場所)として確保したようで、一画には震災対策用応急給水施設があります。
 田町同様に比較的近場にあることは安心材料とはいえ、災害時の混乱の中でも計画通り水が分配され、確保できればいいのですが……
 右は、行船公園の釣り池。


追記──アメリカ大統領来日

 滞在期間中の都心部には迷惑顔があふれそうです。
 ニュース映像を目にし、日本でも結構人気があることにちょっと驚きました(株高の恩恵を受ける人々?)。
 アメリカファーストに突き進む人物のご機嫌を取り、取り入るように見えましたが、はて、わが国のジャパンファーストは、自立せずとも実現可能なのだろうか? そもそも、そんなものは存在しないのだろうか、とも……