2017/02/27

区画整理のこころ──柿の木坂

2017.2.11【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_3」

 上馬交差点(246号×環七)周辺は、南に今回歩く呑川 柿の木坂支流、北に目黒川支流 蛇崩川、南東に立会川が接する分水嶺で、以前は湧水の豊富な地域だったようです。



上馬交差点付近

 表通り発展の際、裏側の水路やあぜ道沿いに広がった、迷宮の様な家並みの区画整理は難しいらしく、代替わりの家が定着しています。
 一方、奥まった旧耕作地一帯は計画的な整備により、区画が整えられた町並みが広がります。
 集落は街道や水場を中心に発達しますが、離合集散を繰り返すことから形状は複雑になり、地元意識も揺れ動きます。
 そんな状況を目にすると、もし地形を考慮した行政区分で心情が割り切れるなら、それぞれの区にインフラ事業を割り振ることで、効率的な区画整理ができたのでは、と思ったりします(付近は世田谷・目黒区界付近)。

 右は、洋風のしゃれたアパートで、下部にシブい石を使用する姿に目が止まったもの。


柿の木坂


 上は、駒沢オリンピック公園に面した国立病院機構東京医療センター(住所:東が丘)。海軍軍医学校第二付属病院に始まり、現在は慶應義塾大学病院の関連病院。
 隣接の東京医療保健大学は、国立病院付属 東が丘看護助産学校が移譲されたものだが、いまどきは双方とも、国有資産の安価払い下げを想起してしまう……
 敷地の広さはさずが海軍譲りで、土地の有効活用のため(?)寮や官舎があるらしいが、外からは見えません。

 静かながら高級を気取らない住宅街が気に入ったのか、タモリ邸は近所らしい(バレバレじゃん! 未見)。


 付近で花屋を多く見かけるのは、以前周辺の耕地で花卉類が栽培されたなごりか? 丘陵地で水田は無理ながら、現在も根岸ブドウ園 等が奮闘しています。

 右の、めぐろ区民キャンパス(住所:八雲)は都立大学跡地の再開発により、めぐろパーシモンホール。図書館、体育館やセレモニーホール(葬儀式場)等が入ります。
 気兼ねのないイメージは子どもにも伝わるらしく、遠慮なく植え込みの中を走り回ります(大人になって思い出すように!)。小ホール予定表にアマチュアの催しを目にし、これこそ目指すものだろうと……


 上は、東光寺幼稚園庭先の水道施設。
 使ったことは無いが、子どもたちが群がった際の動線を確保しやすそうです。顔を上げれば周囲の子が見えるし、蛇口の後ろに列を作れば終わった子はスムーズに離れられます。なーんて、うまくいかないだろうね。

 右は柿の木坂教会(1936年開設のプロテスタント教会)。この「○○坂教会」の響きって、聞こえもいいし、丘の上にあるイメージもピッタリと感心します。

 柿の木坂とは目黒通りの、呑川の谷(東急東横線 都立大学駅付近)から環七交差点までの坂で、周辺の地名とされますが、由来は、登坂中にスリが荷台から積荷を抜き取る「引っ掻き抜く」が、有力とのこと……


追記──東京マラソン2017


 今年からコース変更により田町付近はレース終盤とされ、歩く連中を応援してもしょうがねえという、グズグズの光景が広がっていました。
 上は目に触れる機会の無さそうなしんがりの様子(黄色のユニフォームが最後尾サポーター)。この時点で歩く人は時間制限から完走は無理ですが、それでもゴールを目指す理由があるのでしょう。
 誘惑の多い都心のコースをここまでたどり着いたのですから、次は完走を目指して!


追悼──鈴木清順さん(映画監督 93歳)

 ご高齢なので新作は無理と思っていましたが、残念です。
 歯に衣着せぬ「これぞ江戸っ子」という話しっぷりのニュース映像を目にし、映画にもあんな歯切れの良さがあったと。
 「映画なんて作り物」「とことん驚かせてやる」の精神から生み出される、「虚の世界」に仰天することが観る者の快感でした。
 清順さんには、満足の境地は無かったのではないか? またその一方、後悔もしない方とお見受けするところがカッコ良く、あこがれでした。
 ありがとうございました!(変人・狂人・エロじじい は賞賛による称号)

2017/02/20

スポーツが地域文化──駒沢

2017.2.4【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_2」

 呑川上流部には主な水源が3箇所あり、今回は真ん中の、駒沢オリンピック公園付近を流れる駒沢支流(駒澤大学駅付近〜八雲で桜新町からの流れに合流する暗きょ)を歩きます。



駒沢

 前回訪問した桜神宮の先から始まる真っすぐな道は、目黒川支流 蛇崩川の際に立ち寄った駒沢給水塔(住所は弦巻)へと続く水道道路。
 尾根筋を通された旧大山街道(地下を東急田園都市線が通る)は、江戸時代に品川用水が通された分水嶺(呑川と蛇崩川を分ける)にあたります。
 また、大正12年(1923年)多摩川沿いの砧(きぬた)浄水場から旧渋谷町に給水する経路中で、もっとも標高の高いこの地(46m)に中継施設が建設されました。
 写真で見るライトアップには、眠くなりそうなレトロ感が(現在、震災時に飲料水を供給する応急施設)。


 駒沢緑泉公園の噴水(上)は、寒い季節でも水を吹き上げるため、季節に関係なく子どもたちは寄ってきますが、見守る親たちは「濡れたらカゼひいちゃう!」と、困惑気味です。左端の子は、急に吹き上げた水に驚き腰を抜かしたように倒れ込み、慌てて救いの手が。確かに目が離せません。

 近くの駒沢はらっぱプレーパーク(下)では、備品(?)のリヤカーがめずらしいらしく、乗るのも引くのも奪い合いです。
 かく言うわたしも小学生時分、普段は用務員の方が使用しているものを、枯れ葉やゴミ運搬の際に貸してもらい、帰り道に乗って遊んで怒られた記憶があります。
 当時の戦力(軽車両扱い)はまだ活躍中? 上野周辺ではまだ見かけそう……


 玉川通り(246号)駒沢交差点には、レジに行列ができる八百屋があります(下)。3割程度男性も並ぶので(若者は駒大の学生?)、特売日なのかも知れません。
 テラスに広げられた商品を眺めるだけでも楽しそうですし、ザワザワと活気ある商店の存在って、それだけで町の自慢になりそうです。



駒沢オリンピック公園

 公園に隣接する駒澤大学では入学試験が行われており、校門前には受験生の帰りを待つ父兄の姿が。何をしても手に付かない心情は察しても、この場で結果が分かるわけではありません。
 試験終了で安堵したら、次は吉報の願掛けと、子どものためなら何でもしてやりたいのが親!

 以前、スケートボードで積み重ねたスケボーを飛び越える姿を見かけた広場に、スケートボード、インラインスケート、BMXで利用できる、ストリートスポーツ施設が整備されています。
 若者たちのアピールが実を結んだのかも知れないが、以前の遊び方もストリートっぽくて楽しかったと。

 右の大階段下広場は、フリーマーケットが開かれるような場所ですが、片隅に設置したバスケットゴールの元には、多くの若者が集まります。
 男女を問わず気軽にできるバスケットボールやフットサルは、スペースがあればどこでも楽しめそうですが、公園など広い場所でも「キャッチボール禁止」ってのは、より危険という認識のためか?
 競技用施設に加えフランクな場が増えたおかげで、気軽に体を動かす人の輪が広がった周辺では、「スポーツが地域文化」とも言えそうです。

 1949年旧ゴルフ場の国体用施設整備に始まり、64年東京オリンピックでは競技会場とされ、レスリング、バレーボール、サッカー、ホッケーが行なわれました。ですが、2020年東京オリンピックでは練習場とされる程度で、競技会場には利用されないらしい。
 現在改築中の屋内球技場は、2010年制定の「駒沢オリンピック公園総合運動場改修・改築基本計画」によるもので、東京オリンピック開催決定の2013年には動き出していましたが、予算削減に取り組む現時点から振り返ると、何とかならなかったのか? とも。

 当初は施設をベイエリアに集め、コンパクトさを売りにしていたが、ここより都心から離れる馬事公苑を会場とするなど、見直しの可能性はあるにしても、残された時間は3年しかありません。
 どこを叩いても「ムダ!」と響く計画のまま進めることに、都民・国民は納得していませんが、耳を傾けるのは小池知事だけという状況で、東京五輪を成功に導くことができるのだろうか?
(右はオリンピック記念塔)

2017/02/13

早咲きの桜がキモ──桜新町

2017.1.28【東京都】──「呑川を歩く_1」

 今回から、東急田園都市線 桜新町駅付近を水源とし、東京モノレール 整備場駅付近で東京湾に注ぐ呑川(のみがわ)を歩きます(上流部はほとんど暗きょ)。「呑兵衛」を想起する字面の由来には、大雨時に流れが周囲を飲み込んだ、等の説があります。




 「サザエさんの町」とされるのは、作者が暮らした当時の三河屋等が作品に登場したためで、現在では、長谷川町子美術館を核としたテーマパークの町とも。
 地域では、サザエさんに描かれる、懐かしく、暖かみを覚える町の現代版を目指すようで、愛着の好循環が「住みやすそう」な印象として伝わってきます。
 新玉川線(現 田園都市線)が、旧玉電ルート(旧大山街道:呑川の谷を迂回)に通されたため、頭上に首都高速が通る246号線(新玉川通り)沿いのような喧噪はありません。そのおかげで交通量も少なく、運転もやさしく感じられることは、地域の財産と言えそうです。
 右は、美術館を案内する像。

 桜新町商店会では、高度経済成長期で人手不足に悩む1952年(昭和27年)時分に、地域ぐるみで新潟県に求人募集を出します。その求人で多くの若者の就職が決まったことが、集団就職の先駆けとなったそう(駅北側の工場群の求人も含まれた? 工場は健在らしいも未見)。
 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の商店街にも通じる空気感のルーツは、同じと言えるかも知れません。

 地域住民の目指す町づくりが、漫画の世界観としたらちと驚きますが、地域全体の取り組みで実現できれば魅力的な町になりそうです。それも、万人に愛されるキャラクターのおかげかと…… 右は店舗脇の看板。



 ここは、明治時代に復興された古神道の神習教(しんしゅう:かみならい→布教するため)の神社で、中臣鎌足が大化の改新で藤原姓を賜った時代の神道とのこと。

 梅の咲き始めにしてはピンクの色が濃いと思えば、さくらのえんむすび花帯(リボン)が満開の姿でした。
 結ばれている「えんむすびの木」は早咲きの河津桜(ここがキモらしい)なので、もうつぼみがふくらんでいます。いまどきの季節に祈願すれば、成就も早咲きとなるかも? 縁が結ばれたら、今度はサザエさん一家のような温かい家庭を築けるよう祈るのだそう。
 春を待つ気分には明るい期待感があるので、他人に対しても「早く春が来ますように!」と、無責任に応援してしまいます……




 親水公園区間だけ川が姿を現し、流路には水生植物の植生域が整備され(一部からは草ぼうぼうの苦情も)、岸辺には桜並木が続くので春には華やぎそうですが、肝心の水が流れていません。
 桜新町駅に近い呑川水源付近では、現在もマンホール内から湧水の様子が聞こえるも、水質に問題があるためそのまま下水に流されます。そのため、親水公園(246号〜駒沢通り間)には循環水を流すらしいが、冬季は休止?
 水路には、それぞれ異なる凝ったデザインの橋が架けられており、世田谷区のちょっと力を入れちゃった感がうかがえます(上)。




 日体大の始まりは、成城學校(陸軍士官学校・陸軍幼年学校への全寮制予備校)内に1891年設立された「體(体)育會」で、体育教員志望者・運動好きや能力の高い受験生が集まるも、戦争が始まると「体育」は「軍事教練」へ向かうことになります。

 本学は、体育教員・スポーツ指導者の育成を目指すもので、トップアスリートの養成が目的ではないため、トップを競えない競技があってもあまり叩かないように……(北島康介は卒業生)



 1908年(明治41年)日本で最初の園芸専門学校として設立されたため、校内にはお宝がたくさんあるらしい。
 ここは小高い丘の上で、隣接する矢沢川との分水嶺と思えば、校門前に「兎々呂城:とどろじょう」の石碑があります(北条家家臣 南条氏の居城)。
 鎌倉時代には土岐氏、室町時代には吉良氏による世田谷城の支城が築かれるように、地域支配・軍事拠点に適した見晴らしがあったようです。
 そんな土地は日当りもいいので園芸に最適! との発想の転換は素晴らしいと。


医王寺、深沢不動教会(不動堂)

 医王寺は、上述の兎々呂城内にあった寺の末寺で、明治11年(1878年)境内に地域の分校(現 深沢小学校)が開校します。
 同境内には、地域住民の成田山信仰の高まりから深沢不動堂が建てられ、毎月の縁日には大護摩が焚かれるなど、いまも地域住民との縁がつながるようです。

 この日は散髪(以前から通う武蔵小杉の床屋)に行くため、付近から自由が丘駅行きバスに乗りますが、乗り出があり混雑する車内からは、交通の不便さがうかがえます。
 また、自由が丘駅バス停は駅前ロータリーにあるため、繁華街の狭い道にあふれる歩行者をかき分けバスが通るのは、何とかすべきと……


2017/02/06

有効な犯罪予防策とは?──大井

2017.1.21【東京都】──「立会川を歩く_4」

 立会川は前回紹介した勝島運河の海に注ぎますが、今回はその周辺を歩きました。




大井の井(←語呂がいい)

 大井の地名由来は、横幅の広い洞窟の井戸=横井(おうい)→大井とされた時代まで、さかのぼりそうです。
 諸説の中から「横井」を選んだのは、近くにある下述の遺跡と関連付けると理解しやすい、との考えからです。

 光福寺(浄土真宗)の墓地内にあるため、お墓参りの方とすれ違う際には気を使ったりします(水量は少ないが現役とのこと)。
 この寺のイチョウは、麻布十番 善福寺の逆さイチョウの株分けらしく、東京湾の船から見通せた明治期までは、山立て(位置を知るため)の目印にされたそう。




 学んだのは小学校だったか? インパクトが強かったようで、発見者モース博士の名と共に記憶に残ります。1877年(明治10年)列車から目にしたことがきっかけらしい。
 初めて足を運びますが、上の標本は地中をのぞき込むような演出のため、小学生のように目を丸くしていたのではないか、とも。
 大井の井や貝塚が、海食崖(海に浸食された地形)にある様子を見分し、ようやく「人は太古から水辺で生活した」と学んだ授業の復習ができた気がします……



 江戸開府(1603年)から急増した浪人の犯罪対策として、51年江戸の東海道入口に開設され、江戸に入る者への「みせしめ」として残忍な処刑が行われました(京都三条河原と同じ)。
 「みせしめ」は抑止力となるが、犯罪の芽を摘むことはできません。発想を転換した、現在の更生を目指す取り組みでも再犯を防げず、答えを見い出せない状況は変わりません。
 かつては大名行列が通り、現在も交通量の多い第一京浜に接するため、霊は戻りそうにないが、供養塔では普遍的な「人間の尊厳」が祈られるのではないか……




 競馬に関心がないため、CMのトゥインクルレース(ナイター)程度の認識しかありませんが、当然昼間も行なわれるようです。
 ナイターの芝はキレイそう! と思うも、ここには芝コースは無いらしい。何も分かってませんが、だだっ広い正面ゲート通路(上)の、イベント施設らしさだけは感じられました。
 以前は、地方都市の公営ギャンブルは地域の景気バロメーターでしたが、客層の高齢化が進むため赤字事業のお荷物らしい。まずは、自治体予算のギャンブル依存症を改善すべきとも……




 新幹線車両基地でドクターイエローの頭がチラッと。
 付近の道路(車両基地を越える高架橋)は、当然大井埠頭の物流をメインに設計されるため、歩行者はあおられる印象も。
 交差点の横断歩道が限られるのは「トラック優先」設計のためだし、運転手の意識も「ひかれないように気をつけな!」と感じるので、用事がなければ立ち寄らない方がよさそうです。



 戦後に埋め立てられた大井ふ頭には、1970年代から八潮団地や公園施設が整備されます(コンテナ埠頭は75年完成)。
 運動施設から見上げる広い空の開放感は気持ちいいが、五輪施設「大井ホッケー競技場(平成30年度以降に着工)」の交通の便は大丈夫? と感じる場所柄です。

 プロ野球のキャンプイン前なのに、草野球に照明を入れて貸し出すとは驚きました(右)。でも、テニスは通年なのに野球は冬季「オフ」の認識は、プロ野球の影響か?
 草野球のオヤジたちの「もう少し暖かくならないと、練習後のビールがうまくない」が本音とも(いつでもうまいんですがね)……


 理解できなかったカジノ法は、これまで公営ギャンブル(上の左下は大井競馬場)を支えた客が高齢化し、女性客を呼び込むにも限度があり、もう絞り取れないとの陳情を受けての施策と思えてきます。
 それは新たな客層である、若い世代や外国人観光客から吸い取ろうとする、自治体の「ギャンブル依存予算」を援護するものではないかと。

 上の絵からは、アニメ『ニルスのふしぎな旅:小人にされたニルスが、鳥たちとスウェーデンを旅する』を想起します(チラッとしか知らないが…)。


 立会川はこれで終了になります。
 これまで別々に認識していた、水源周辺(碑文谷公園)中流域(旗の台)河口付近(大井町〜泪橋)をつないでみると、社会のピラミッド(上流階級が暮らす地域はわずかで、庶民が暮らす下流域は底辺のように広がる様)が見て取れたように感じます。