2016/09/25

「天空で読書」のススメ──大橋

2016.9.3【東京都】──「目黒川を歩く_12」

 今回は、大橋から始まる「イメージ通りの目黒川」を歩きます。
 北沢川・烏山川合流付近の沼地から「池尻」、川幅が広く大きな橋が架けられた「大橋」の地名を合体した田園都市線「池尻大橋」の駅名は、情景描写のようで感心します(旧玉川線の電停(路面電車停留場)「玉電池尻」「大橋」の中間による命名)。




 国道246号線に面した神社の参道は、丘陵地の上まで一気に登る急傾斜の石段で息が切れますが、右の神輿もその石段を登り降りするのか?
 石段の下は246号に面し、境内や出店のスペースはほとんどないが、その代わりに各町内からざわつく空気が伝わってきます。
 複数の神を合祀するため、7月 富士浅間神社例大祭、8月 氷川神社例大祭、9月 北野神社例大祭の開催と、祭好きにはたまらない氏神様のようです(氏子は、駒場、大橋、東山、青葉台、上目黒 地区)。




 ススキが揺れているのは、大橋ジャンクション屋上に整備された「目黒天空庭園:目黒区の施設」で、隣接ビル9階の区立大橋図書館脇に連絡口があります(他にも3箇所)。
 開放感ある展望施設として見晴らしもよく、手入れの入念さから庭園に対する意気込みが伝わりますが、家並みしか見えない景色に癒されるとは思えません。
 ですが、図書館が9階にある理由を、地上と違う空気が感じられる「天空で読書」のススメと受け止めると、その心地よさがヤミつきになるかも。


 ループ内側の運動場「オーパス夢広場」は、走り回って叫んでも誰にも届かない、脱出不可能な監獄の中庭のようです。先日、映画『パピヨン』の話を耳にし、スティーブ・マックイーンならどう逃げるか? と……
 ガキの時分なら「フリーバッティングし放題!」と、壁越えを狙うでしょうが「迷惑なのでやめましょう」とのルールで、夢は摘み取られます(野球はNGらしい)。


 ここは、首都高速3号渋谷線と中央環状線を結ぶジャンクションとして2015年に全通し、以来交通情報で耳にするようになります。開通により都心部の渋滞や交通量は減少するも、その流れは北側の熊野町JCT~板橋JCT間に向かい渋滞が悪化したそうで(山手通り地下の中央環状線は地中で見えないが、渋滞が常習化しているらしい)、首都高全線の渋滞解消への道のりは長そうです。

 上の左下の姿から想像つくと思うが、目黒川はポケモンの出現ポイントらしく、心を失ったゾンビ姿は勝手でも、車を運転しながら探すのはやめなさい!




 上は海外転勤の家族だろうか、こちらから行く場合も含めて「子どもはどこでも育つ」の印象を受けます。
 カメラ背後にある神輿の接待所で、一行と出会った驚きが記憶に残るように、日本人の子どもが海外で出会った祭の驚きも、記憶に残ることでしょう。
 せっかくの「異国との縁」ですから、シャレた町の印象よりも、その土地に根付く「地域文化」を記憶に残してもらいたい、と思うところです。
 右は西郷山公園近くののレストラン?

 現実的な話ですが、中目黒のドン・キホーテは本社所在地のためか、ウイスキーが普段買う六本木店より100円安いことに驚き、買って帰りました。
 以前別の店舗で、同じ商品が六本木店より高いことを知り、店舗を見かけると価格調査をするようになりました。
 本店は特別としても、立地による売れ筋で値段を変える戦略はありとは思うが、消費者側はとまどうような気がします。でも、それを賢く利用しろと言われれば、確かにその通りなのですが……

 右は、蛇崩川(中央)との合流地点。渋谷川同様に、鉄分の強い地域の流れらしく、川底が赤茶けています。


追記──B.LEAGUE(Bリーグ:バスケットボール)開幕

 開幕戦のダイジェストを目にし「結構楽しめる」印象を受けました。
 アメリカのNBAとは別物でも、各チームが地元を盛り上げれば若者の関心も高まり、ファンが集まるリーグになりそうと、今後が楽しみです!


 少し遠出をするので、次回のアップは遅れるかも知れません。

2016/09/19

若者が躍動する丘──駒場

2016.9.3【東京都】──「目黒川を歩く_11」 空川(そらかわ)

 今回は、井の頭線 駒場東大前駅周辺の、駒場野公園「ケルネル田圃」、駒場小学校付近、東大駒場キャンパス「駒場池」を水源とし、大橋付近で目黒川に流れ込む空川を歩きます。





 前身の東京府立第三高等女学校は、現 港区立六本木中学校の地に所在し(六本木ヒルズの目の前)、戦後当地に移転します(吉永小百合さん入学も翌年転校)。
 文武両道の方針からスポーツが奨励され、「足の大きくなる学校:昭和的表現!」の運動部はみな強豪らしい。
 丘の上の学校へ向かう坂道は住宅地の中にあっても、卒業後には記憶をよみがえらせてくれそうです。
 香淳皇后(こうじゅんこうごう:昭和天皇の皇后)の、お妃教育の場とされた「仰光寮:お花御殿」も移設保存される。右は石のモニュメント「五大陸」。




 女子高の学園祭練習らしき集団は、クラブ活動ではないため強制的参加者もいるようで、目が合った際の不安げな表情に、高校時分の記憶がよみがえります。
 男たちは、恥ずかしさを振り払おうと「思いっきりやろうぜ〜!」と開き直れたが、女子はリーダーが鼓舞しても、心が揺れるようで思い切れない娘もいました。
 若い娘が羽ばたこうとする姿は、「この年ごろ」にしか見られないと背中を追ううちに、娘を持つ父親の切なさが察せるような気がしてきます……

 右はケルネル田圃で、筑波大学附属駒場中・高等学校の生徒が世話をする様子がリンク先にあります。




 隣接の駒場公園(旧前田家本邸)同様に元駒場農学校の敷地で、東京大学農学部として本郷移転(1935年)で交換移転してきた旧制第一高等学校がありました。後の新制大学に移行の際、東京大学教養学部(2年間の前期課程履修)が設置されることになります。
 中庭やピロティーでダンスをするグループが多く、頭で逆立ち回転する姿に「東大の頭の使い方も変わった」と…… 近所の連中が集まるにしても、とても自由な雰囲気が感じられます。


 上はキャンパス内の「駒場池」で、愛称は本郷キャンパスの三四郎池の弟分「一二郎(浪?)池:いちにろういけ」。入学前に一人で見ると浪人する、入学後に一人で見ると留年するなどのジンクスは昭和的と感じるも、縁起への意識は時代を超えるものです。
 原風景と思える緑や谷の湧水が残る付近は、若者の情緒を育む環境にふさわしい印象を受けます(駒場東大前駅を最寄りとする高校を6校確認しました)。



 駒場野公園の湧水付近には、谷頭(こくとう)らしい急峻な斜面があります。駒場東大前駅付近で、駒場小学校からの流れが合流した下流では、高度差はさらに大きくなりますが、以前は他にも流れがあったのではないか。
 右は駒場池からの流れが合流する付近の、家も建てられない狭い崖下(奥行きは2m程度)に作られた、倉庫と作業場?(木は崖上に生える)
 高さはあるので長ものを立てかけられそうだが、狭く折れ曲がる暗きょの歩道(車の通行は不可)から、運び込むのは大変そう……

 淡島通りと山手通りが交差する松見坂交差点付近には、丘陵地東側の渋谷より急峻な峡谷があります。
 峡谷形成には激しい流れが必要ですが、谷に広がりがないことから、その勢いは短期間だったように見えます。
 水量が減った川は汚れる一方のため、東京オリンピック(1964年)開催前の「汚いものにはフタをしろ!」の整備で暗きょとされたそう。
 日本の食の新しい中心地となる豊洲市場にはフタではなく、業者、庶民、観光客が納得できる安全性・安心感を担保してもらわねばなりません。


追記──スリリングなリオ パラリンピック閉幕

 200以上の世界新記録が生まれるなど、参加する意義だけではなく、競技に注目が集まるレベルの高い大会となりました(認知の段階をクリアし、レベル向上のステップに至った)。
 ハンデのレベルが同じには見えない選手に注目することも、ルールへの関心につながりますし、マスコミに取り上げられる機会が増えれば注目も高まり、選手たちの志気も上がることでしょう。
 金メダル0個の結果から、東京大会で「チーム ジャパンここにあり!」との存在感を示すためには、全体の底上げが必要であることを共有できたので、われわれにできることを割り振ってもらえば、国民は協力を惜しまないのではないだろうか。 

2016/09/12

池ノ上は「ぬけられません」

2016.8.21【東京都】──「目黒川を歩く_10」 北沢川_7

 今回は、小田急線 東北沢駅と井の頭線 池ノ上駅の間に位置する、三角橋交差点付近を水源とする北沢川 溝ヶ谷支流を歩きます。



※地形判別のため流路表示をやめました。


駒場公園(旧前田家本邸


 以前、小田急線 東北沢駅近くを水源とする渋谷川水系の上原川を歩きましたが、そこから数百メートルの地に、目黒川水系の水源があることに驚きます。双方の川も丘陵地を急峻に浸食することから、水量の多い地下水脈があったように見えます。
 また、その狭い分水嶺の尾根筋に、三田用水(玉川上水の分水で、世田谷区 北沢から港区 三田方面への灌漑用水)が通される様子にシビレたので、機会を改め三田用水も歩かねばと思っています(三角橋付近は三田用水分水地で、流れが三方に由来するそう)。
 上は、洋館玄関脇の水鉢。


 明治期付近にあった駒場農学校は東京帝国大学農学部とされ、本郷に移転します。
 一方、本郷の敷地を明け渡した旧加賀藩主 前田家はこの地に移転し(赤門は前田家が建立した国の重要文化財)、駒場本邸として洋館・和館等を建設します(昭和4〜5年)。
 当地の建物も国の重要文化財とは、前田の殿様の財力に驚きますが、当主の死後(1942年)も戦渦を逃れ、戦後米軍に接収されたことが施設保存につながったようにも。


 和館の説明員の方は、日本建築の粋とされる「欄間の透し彫」の説明に熱心で、聞き手の女性が「素晴らしい」と納得するまで大きな声の説明が続きます。
 それがなければ、とても落ち着ける空間なのに、とも。


ぬけられない井の頭線の盛り土

 右は、井の頭線が通る盛り土の下流側ですが、付近に線路を横断する道はありません。上流側は川をせき止めるダムのようで、地下流路が詰まると一帯が水没しそうな「どん詰まり」です。
 以前あった池が池ノ上駅名の由来らしいも、地名に残らないことから、鉄道建設で生まれた池だったのでは?
 上流側から渡れる踏切は駅の脇まで無いが、下流側からしか入れない袋小路の踏切には「ぬけられません」の表記があります。宅地開発後、線路沿いの鉄道会社所有地を分譲する際に設置した踏切か?
 鉄道建設が最優先された時代(1933年:昭和8年)の痕跡が見て取れるのは楽しいも、整備最優先地域に見えました(背後は東京大学先端科学技術研究センター)。


北澤八幡神社〜淡島交差点付近


 丘陵地の上には高級住宅、傾斜地には建設に腐心した住宅、谷底には「旧流路の上?」まで家が並びます。
 池を埋め立てる際の意識は、谷底の流路ではなく「池の畔」のイメージで宅地化したように見え、危なっかしい印象を受けます。(1枚上の続き)

 上は地域の鎮守 北澤八幡神社のアミがかけられた手水舎(ちょうずや)(カラスなどに汚されるのか?)。
 祭には出会えなかったが、下北沢や池ノ上で目にする例大祭の旗や貼り紙に、現在の住所区分とは異なる氏子中の広がりを感じます。

 上の第二淡路湯(淡島湯温泉)は、地下100m程度で掘り当てた天然温泉とのこと。温泉法をクリアできず規定泉とされるも、東京でよく目にする茶色の重曹泉なので、ツルスベ感が人気らしい。
 「しばらく休みます」の貼り紙はあるが、コインランドリーは営業中なので、廃業ではないことを。

 前回、富裕層の散歩道とした北沢川散策で、淡島交差点付近からガラッと雰囲気が変わった印象を、路地で物干し台がある家の町並みに、再確認します。
 旧中心地の面影が残る谷筋に漂う空気には、幼少期の記憶をよみがえらせる「におい」が潜んでいるようです……


追記──祝! 広島カープ25年ぶりの優勝

 シーズンを通じて「一番元気のあるチーム」の印象がありました。
 何より黒田投手(新井選手も?)の花道をお膳立てした、選手たちの心意気に拍手を送りたい(それだけではないが…)。
 いま思うと、開幕前にセリーグ全監督が勢揃いしたTV番組で、緒方監督がどっしり構えるように見えたのは、すでに手応えがあったためか?

 一方のパリーグは日本ハムが優勝し、MVP選考で大谷翔平選手が「投手?」「野手?」と頭を悩ます状況を楽しみたいと、外野(熱狂的なファン以外)は願っているのでは?


追記──意味が理解できなかった「築地市場の移転延期」

 小池さんが東京都知事に就任し、すかさず「築地市場の移転延期」を表明した理由が分からなかったが、東京都が組織ぐるみで「ウソ」をついていたとは……
 情報を耳にしながら疑問も感じなかった、移転決定時の石原〜猪瀬〜舛添知事たちは、黙認していたことになります。このままでは東京も、五輪開催前の「リオは大丈夫?」と同様の印象を世界に与えそうです。
 この問題周辺に疑念を抱いた知事が、「小池が東京都の窮地を救いました!」と花火を上げるパフォーマンスに仕立て、「政治家やのう〜」と支持を広げたとしても、前任者の「負の遺産」の尻拭いをさせられること自体が情けない……

2016/09/05

「気の流れを」取り戻した──代沢

2016.8.13【東京都】──「目黒川を歩く_9」 北沢川_6

 今回は北沢川を、小田急線 梅ヶ丘駅から烏山川と合流する池尻大橋付近まで歩きます。




小田急線 世田谷代田駅付近


 上は、小田急線 梅ヶ丘駅方面の高架から、地下に入る線路上に整備された世田谷区立 代田富士356(みごろ)広場。以前は橋で越えた背後にある環七通りの地下を通る。
 工事前の線路左側には「複々線化用地」の看板が並び、徐々に陣地を広げる状況で、隣接のアパートはいつまで頑張るのか? と眺めたが、もう場所も分かりません。
 環七の鉄道橋撤去後、付近に架けられた人道橋の富士見橋は、名の通り西側に展望が開ける丘陵地の端に位置します。富士山の眺望は良好らしいも、線路の先に見えるため乗客は気付きにくかったようです。
 現在も印象が変わらない環七脇の丘には、右の代田八幡神社があります。


北沢川緑道

 弥生時代の人々が、北沢川を見下ろす南斜面を選んだように(遺跡が残るらしい)、魅力的な環境は現在も人気が高いようです。
 暗きょ上に整備された北沢川緑道の環七下流側に作られたせせらぎは(1996年)、地域のシンボル的存在のように見えます。川にはふたをされましたが、流れの上ならではの「憩いの場」となっています。

 右は円乗院境内に保存される、空襲で焼かれた高野槙。存在感には、ただただ祈りたい気持ちに……

 付近には、斎藤茂吉(短歌誌『アララギ』)、菊田一夫(『君の名は』等)など多くの文士が暮らしたことから、緑道付近は北沢川文学の小路とされます。
 右の代田の丘の 61 号鉄塔下には、詩人 萩原朔太郎の家があり(昭和 8年頃)、娘の小説にも描写されたことを含め、世田谷区の地域風景資産とされます。
 鉄塔でも、作家や作品への思い入れにより情景として記憶される感覚は、理解できるところです。
 彼の作品に接したと思うも、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の朔太郎(萩原に由来)しか浮かびません……

 北沢川緑道がシャレて見えるのは、自治体の町づくりに住民が賛同し、その気になって協力した成果と言えそうです(共通の認識を持つまでは大変だったと思う)。
 デザインというものは個性の表現なので好き嫌いはあっても、工夫が感じられる家が並ぶ光景からは、町の活気のようなものが伝わってきます。
 その原動力は「気=エネルギーの道」である川の流れを取り戻そうとした住民たちの地域力による、という気がします。

 上の、川に下る南斜面の上には、気取った高級住宅が散見されますが(右のような外国風を目指す住宅など)、もう一段上の丘陵地には、昭和初期の高級分譲地「清風園」の歴史を残す邸宅が並びます(付近には、元首相の佐藤栄作、竹下登、東条英機が暮らした)。
 上記に関心は無いも、「代沢=代田・北沢付近」程度の認識から、概略程度は理解できたので、それで十分です。

 北沢川緑道を歩いて楽しいのは、緑道を大切にする付近の人々の気持ちが、部外者にも感じられるからでしょう。


 ここは左 烏山川、右 北沢川の合流地で、双方のせせらぎも合流し目黒川へ向かいます。
 この場所で感じた、左 庶民の川辺、右 富裕層の散歩道というギャップは、流れが接する丘陵地の高さの違いによるのでは? と。
 右が接する丘陵地は、神田川や渋谷川に接する分水嶺の高台でしたが、左は目黒川水系中心の流れのため、流路は長くても分水嶺を意識するのは水源付近(烏山)だけです。
 水系内の流れは内部の丘陵地を浸食するため、左右の流れに挟まれた真ん中の高台は両側から浸食されてしまい、見晴らしは望めなくなります(左側にはもう1つ支流がある)。
 富士山は望めなくても眺望のいい土地が人気なのは、庶民にも理解できるところです。


追記──後付けになりますが、旧下北沢駅の写真の紹介です

 本編の調べ物で、旧下北沢駅への愛情を感じるような写真を目にし、懐かしく感じ紹介したいと。


追記──年々拡大する台風被害

 影響を受ける台風の数は年ごとに変化しますが、近ごろは年々被害が甚大になる印象があります。今年は日本近海で発生する台風が多く、上陸時に勢力が衰えず多大な被害をもたらしました。日本近海の海水温が高いためとされると、一概に言えないにせよ、温暖化の影響と考えたくなります。
 パリ協定(気候変動枠組条約締約国会議:COP21)を米国・中国が批准しましたが、発効されても効果を実感できるまでには数十年という時間が必要になり、それまでは近ごろのような台風の季節が続くかも知れません。
 自分はその成果を見届けられるのか? と、身近な事象に対して初めて「限られた時間」を意識し、これが「次世代に負の遺産を残さない責任感」かと、思い知りました。
 でも、リニア新幹線には乗ってみたいので、計画通りに建設されますことを……