2016/08/29

五輪前に景色が変わる町──下北沢

2016.8.11【東京都】──「目黒川を歩く_8」 北沢川_5

 今回は、京王線 笹塚駅付近を水源とし、下北沢駅周辺の谷を浸食して北沢川に流れ込む、下北沢東支流を歩きます。




北沢中学校

 上の標高図のように笹塚駅周辺は、3水系(神田川、渋谷川)の谷頭(こくとう)が迫る分水嶺に当たります。それぞれの谷は湧水により浸食されたと思われるので、かなり豊富な地下水脈があったようです。
 現在も付近の玉川上水では、代田橋付近同様に少量ながら湧水があるため、水は上流よりも澄んでいるとのこと。

 北沢中学校の手前を通る井の頭通り拡張工事は、学校のある上流側を避け、手前の下流側の用地買収が進みます。
 上流側の平坦地は利用価値や価格が高く、買収が困難なのは分かるが、下流側の拡張では右の段差が大きくなり、下流側の住民だけが不便を被る差別のようにも。


 上は立派な質屋の蔵ですが、看板はあるも営業しているかは不明。
 お付き合いがないため想像ですが、蔵はステータスですし、利用者にはその大きさが信用のバロメーターとなるのでしょう。その一方、客から搾り取ったお金で建てたと考えると、取り立てが厳しいのでは? と思ったりしそうです。
 質屋は貨幣経済が始まった鎌倉時代に、物々交換の融通が利かずに困る庶民の助け舟として生まれ、明治期以降は庶民金融として給料日前のやりくりに気軽に利用されるも(消費者金融の原点)、まじめな利用者が多く質流れはほとんどなかった(?)らしい。
 落語ばなしのような、冬に蚊帳を持ち込み夏に受け取る客の話に接し、沖縄のクリーニング店の話を想起しました。「おばあの服まだ預かっているよ〜」「大切に扱ってよ〜、使う時に取りにいくからね〜」……


下北沢


 上には、本多劇場のルーツである俳優養成所「本多スタジオ」の稽古場が作られ、その後改築し最初の劇場とされます(現在グループの劇場は付近に8つある)。
 劇場1階のすずなり横丁には、役者連中がたむろしそうですが、下北から想起するのも、原田芳雄、桃井かおり、松田優作ら、1970年代から銀幕で躍動した飲んべえ連中や、映画『ざわざわ下北沢:2000年』監督の市川 準さん。
 いまも裏道ですれ違いそうな町の空気感は変わらないが、再開発の道路計画地に含まれるため、この建物も姿を消すようです。


 解体が進む下北沢北口駅前食品市場で、最後まで抵抗し営業する店舗は、名残りを惜しむ客でにぎわいます。
 外部の者は町の生命力と受け止める「闇市の名残り」ですが、自治体には早く除去したい目障りな存在らしく、演劇の町、古着の町、すれ違う若者の「ここはデートで来る町でしょ!」というカラーで町を整備し、古くからの怪しい勢力を一掃したいようです(国の市街地再開発事業に含まれない、都・区による再開発事業とのこと)。
 父の実家に暮らす伯母と買い物に来た記憶や、下高井戸駅前市場もよく行ったとの話を思い出すと、前回オリンピック前に体裁を整えるためバラックが排除されたように、今度の五輪を迎えるまでに東京の景色は大きく変わりそうと……

 小田急線開通(1927年)後、無計画に谷沿いの田んぼに店舗や住宅が建設され発展したおかげで、現在の楽しげな迷宮が生まれました(1933年 井の頭線開通)。
 駅周辺の猥雑さを整理したい自治体は(緊急車両の通路確保は重要)、小田急線の地下化工事を機に「それいけ!」と、反対意見を振り払い突き進みます。都が小田急の後押しをする印象があったのは、このためかと……
 ですが、地下鉄 副都心線開業から、小田急線から渋谷へ向かう流れは、千代田線〜 副都心線(明治神宮前駅乗り換え)にシフト傾向とのこと。井の頭線は混み過ぎ!+その先も東京メトロ利用客は運賃が安いかも。
 右は、深〜い下北沢駅地下3階ホームからの光景(以前ホームから見えたビリヤード場は健在)。



 鉄道開通まで集落の中心は、下北沢東支流と北沢川の合流地付近でした(地域の鎮守 北沢八幡宮が鎮座)。
 山門にある「粟嶋の灸」の札は、腰痛に苦しむ和尚が夢枕で伝授された、粟嶋=淡島神(あわしまのかみ)の灸の秘法を広め評判になったことによる。
 TVで目にしたことがある、豆腐に古針を刺し供養する行事は世田谷区指定無形民俗文化財。
 また、歴史ある富士塚を取り壊したのは苦渋の選択と思うが(墓地整備のため)、信仰の「はやりすたり」を認める潔さも必要なのかも知れません(でも残念)。
 右はチベット仏教の「マニ車:経文が納められる」のように回すものかと思ったら、弁天堂とのこと。

2016/08/22

ダイダラボッチの足跡──代田

2016.8.6【東京都】──「目黒川を歩く_7」 北沢川_4

 今回は、世田谷区 代田の地名由来とされる「ダイダラボッチの足跡:谷地」付近を水源とする、下北沢西支流(ダイダラボッチの川:現在は暗きょ)を歩きます。
 ダイダラボッチは日本各地に伝わる巨人伝説で、映画『もののけ姫』のデイダラボッチは別名の一つ。国造り神話以前の自然崇拝(古代原始宗教)が起源とされ、各地の山や湖は巨人が作り、その足跡は水が涸れない肥沃な窪地になる、などと伝わります。




代田橋


 駅名の由来とされる玉川上水の旧代田橋は、ダイダラボッチが架けたと伝わるも(って、江戸時代にも存在した?)、上は巨人への捧げものではなく、駅前の居酒屋に置かれた古い防火水槽を利用した金魚水槽と、配達された食材。
 地味な下町っぽさが残る駅前も、京王線の高架化事業(笹塚〜仙川間)に加え、駅前に広がる和田堀給水所の老朽施設解体と、井ノ頭通りの直線化工事が進行中で、完了後はこぎれいになり記憶もたどれない町になってしまいそうです。
 各停だけの停車でも新宿に近く交通の便に文句は無いが、甲州街道×環状七号×井ノ頭通りのトライアングルを想像するだけで、のどがイガイガしてくる……


 玉川上水沿いに上の表札&門の跡が残されます。
 以前は、東大のお膝元にあった本郷館(賄い付きの高等下宿 ←不思議な字面)のように、富裕な家の学生も暮らしたため、高級感を強調しようと「御」をつけたのか?

 右は玉川上水沿いの環七横断地下道で、上水に架けられた古い橋がオブジェのように残されます。環七地下のむき出しの埋設管は頭を下げてくぐる必要があり、排水設備が無いため大雨時に水没する昭和遺産でも、利用者は多く住民には欠かせない地下道のようです。


大原

 右は住所表記の道しるべで、上に彫られるのは「バク」に見えますが、ひょっとしてダイダラボッチ?
 父の実家に暮らす伯母から聞いた「昔は都心方面が見渡せた」景色は、標高図の武蔵野台地が、ここから東側は浸食され低くなる様子から想像できます。
 台地は先端に向かうにつれ地表が浸食されるため、高台でも水脈の浅い地下水が湧き出し、地名のような広い湿地が生まれたのではないか?(以前の実家の井戸水はおいしかったし、現在も上水にはキレイな湧水があるそう)
 ダイダラボッチの川は、付近の豊富な湧水が生み出した大原(多くの水をたたえた)を水源としたため、「足跡」のような深い谷を刻んだように見えました。


井の頭線踏切


 上は井の頭線 新代田〜下北沢間の盛り土した踏切(流路は右の線路下に確認できる)。明大前〜東松原間は前回の羽根木支流(玉川上水の分流)沿いを下り、東松原〜新代田間は丘陵地を開削し、新代田〜下北沢間ではこの谷に盛り土した上を通過します。
 井の頭線の車窓風景は起伏変化がいそがしいため全体像をつかめなかったが、谷間の踏切に立ち両側の駅を見上げた際、ジェットコースターのような起伏が続く沿線は、車窓からではなく歩いて確認すべき、と納得しました。


旧小田急線踏切付近


 上は以前、小田急線下り列車が下北沢駅を出て最初に通過する踏切付近で、谷の盛り土に通された踏切って車は通りにくそうと、車窓から眺めていました。線路はクレーン位置だったので、車窓とは逆の方向ながらも小田急線利用者なら分かるのでは? 
 地下化工事自体は、トンネルに線路を通し、地上線路の撤去で済みますが、地形を変えてしまった盛り土を元に戻すわけにもいきません。下流側は盛り土に沿って町が整備されたので、その斜面に建てた家の前を削ると崖になってしまいそうです。何事でも下流(しも)側は日陰の存在にされてしまう……


 戦時中、井の頭線は小田急に組み込まれたため、井の頭線 新代田駅〜小田急線 世田谷代田駅間に代田連絡線が敷設され、連絡線は今回歩いた支流付近を通されたらしいも、廃線後は住宅地となり痕跡は残らないとのこと。──両線の軌間(線路間隔)は1067mmで乗り入れ可でも、京王線は1372mmで不可。
 連絡線の盛り土を減らすため、下北沢側の傾斜地を経由するルートを選定したとすれば、小田急線に対して鋭角的に接する1枚上の道路&踏切は、ポイント前の線路の角度に見え、思わず「ガッテン!」です。
 上は下北沢で、夕方は「英会話教室 OPEN」の看板を出す飲食店。


追記──「歴史を塗り替えた」でなく「未来を変えた」としたい、五輪選手団の躍動!

 夢(目標)に向かい努力を続ければかなえることができると、体現してくれた選手たちに、元気づけられた方も多かったことと。
 これまでは「男子400mリレー決勝のセンターレーンで、ボルトと競いたい」などと口にしても一笑に付されたが、これからは「東京五輪で金メダルを目指します!」に「頑張れ!」と応援したくなるのですから、東京五輪を目指す若者たちの「未来予想図:夢(目標)」を塗り替えたと言えます。
 おかげで、若者だけでなくオヤジたちも、2020年まで頑張れるパワーを与えてもらいました(その先は……)。
 選手団に「ありがとう!」の拍手を送りたい。

2016/08/15

幼きころの記憶──羽根木

2016.7.23【東京都】──「目黒川を歩く_6」 北沢川_3

 今回は井の頭線沿い(明大前〜東松原駅間)を流れ、小田急線 梅ヶ丘駅付近で北沢川に合流する羽根木支流を歩きます。明大前からの流れは玉川上水の分流らしいが、羽根木の流れは湧水(湿地?)に始まったように見えました。




東松原

 近くのアパートに暮らした大学同級生の顔が浮かびます(豪徳寺モスバーガーでバイトの彼:スキューバーで潜った沖縄ケラマの話をよく聞いた)。横須賀からの通学が大変でアパートを借りたいと話すうちに、一緒に住む? と盛り上がるも、結局別の男と暮らすことに。
 一度アパートに行ったが、印象に残るのは掃除機だけというありさまで、彼を選ばなくてよかったと(卒業時にその掃除機をもらった記憶があります)。
 右は、木が倒れ道をふさぐ事態に対処する方々。交通規制が必要なため警察が出動しています。


羽根木


 付近に父の実家があるので積極的に地名は使わないも、上・右の「羽根木の森」とされる一画は地域で胸を張れそうな一画です(わたしには関係ないが)。
 1997年にスタートした農地再開発プロジェクトで、記憶に残る大木を1本も切らず、住宅・オフィス・店舗を配置した、理想的な再開発に見えます。
 通りの印象は変わらないが、何かありそうな雰囲気に誘われ、「中はどうなっているの?」と、ガキ時分からの興味を押さえられず勝手に入っちゃいました。
 そこに広がる「思った通りの光景!」は、軽井沢を想起させる避暑地のようなたたずまいで、夏でも虫除け対策をすれば心地よく過ごせそうです。

 羽根木の流れは、井の頭線(最後の踏切写真)付近の谷は深くなるが、谷頭(こくとう:谷の最上部)周辺はなだらかな地形なので、水源地は池というよりも湿地だったのではないか? いずれにしても水が豊かな地域だったおかげで、広い農地を維持できたように思えます。
 右付近の苔の様子が、しばらく洪水は起きてないように見えたのは、旧農地をはじめ、低層住宅が多いため住宅の庭などの地面に雨水がしみ込むおかげではないか? と。
 そんな半分田舎ともいえる環境が、世田谷区のエコな住みやすさをもたらしている、と再確認できた気がします。




 日本で初めて常設された羽根木公園プレーパークは、開設40年とのこと。
 子どもの遊びは季節に関係なく「火遊び(?)」や「水遊び」が混在するため、たき火の横に簡易プールが並んでいたりします(防火用水のため?)。またプールから排水されたわずかな流れも遊び場と化すので、想像通りみんなドロドロです。
 面倒を見るリーダーのオヤジたちも、ガキ大将というか「エヘヘ、どうだ〜!」と、子ども以上に遊びたい連中が集まるため、どんどんエスカレートするようにも(木製のすべり台を大人が修復中)。遊び方まで指導する必要があるのかと思うが、そこから子どもたちは新しい遊びのヒントを見つけるようです。


羽根木公園周辺の思い出


 ガキの時分、父は世田谷区軟式野球連盟の審判をしており、連れられて区内の球場(砧公園など)に行った覚えがあります。羽根木公園が印象に残るのは、父の実家で祖母・伯母が作る審判団の昼食のおにぎりを運ぶ、伯父の自転車に乗せてもらい球場に向かった思い出によります。
 子どもの目に父の審判姿はカッコ良く見えましたが、活躍する役回りではないし、試合中の選手からアイスをもらい「審判を買収するのか?」とヤジられたことも。
 上は現在の様子で、自分も草野球をしていた時分は審判に敬意を払いましたが(暑い中、ありがとうございます!)、いま思えば小遣い稼ぎだったのだろうと……


 伯父の自転車に乗る際は、荷台におにぎりのトレイを積むため、映画『ニューシネマパラダイス』のようにフレームに乗せられたが、映画同様の至福感を覚えています。
 上の跨線橋と右の踏切は200m程度で、どちらを通っても遠回りにはならないので、「今日はどっちから行く?」と問われ、「踏切!」とせがんだ記憶が残ります。
 いま思えば、ガキを乗せて坂を上るのは大変と反省するも、「そうか」と坂を下り上ってくれた伯父の表情が思い出されます……
 上・右の大木は「羽根木の森」地主の敷地にあり、以前のまま残されることに、感謝したくなります。


追記──目標を見据えた日本選手団が躍動するリオ五輪!

 オリンピックでの日本選手の活躍は往々にして散発的なため、応援する気持ちはあっても「やっぱりダメかぁ〜」と、いつの間にかフェードアウトしてしまうが、リオ五輪前半は成績だけでなく選手たちの懸命さが伝わってくるので、ついつい見てしまう方も多いのではないか?
 次の東京大会をターゲットとしたロードマップを描く若い選手たちが、リオ大会を「世界にチャレンジする最初のステップ」とし、失敗をおそれず挑んだことが好成績につながったのでしょうし、きっと本番の糧になるはずです。
 後半の躍動からも東京大会に思いを馳せたいと、ついつい見てしまいそうです……

2016/08/08

ふたをしたい分別盛り──下高井戸

2016.7.16【東京都】──「目黒川を歩く_5」 北沢川_2(松原赤堤支流)

 今回は京王線 明大前〜下高井戸駅間を水源とし、小田急線 豪徳寺駅付近で北沢川に合流する松原赤堤支流を歩きます。元の流れは少ないため灌漑用に玉川上水から分流したらしく、世田谷線沿いの流れは、親水施設として整備されました。




日本大学文理学部(出身大学)


 市街地同様キャンパスでも戦後期建築物の建て替えをよく目にするが、ここにもタワークレーンが並ぶため、よりどころがあるうちに確認しておこうと門をくぐります。
 在学時から半分程度建て替えられた状況ながら「道半ば」の意思が感じられるので、近いうちに以前の面影は消えてしまいそうです。中庭をつぶして教室数は確保できたため、上の1号館だけはシンボル(昭和12年:1937年建設)として保存するようです。
 訪問日はオープンキャンパスが開催され、多くの子どもたちが走り回っていましたが、マンモス学校にとって次世代へのアピールは、必修課目に違いありません。
 リオ五輪陸上代表ケンブリッジ飛鳥(卒業生)の垂れ幕を目にし、応援しなきゃと……


下高井戸駅

 昭和の香りが残る下高井戸駅前市場では、「刺身上がったよ!」と威勢のいい魚屋は元気でも、数件あった八百屋は閉店しました。ライバルとの競争ではなく、近々始まる京王線連続立体交差化工事の立ち退きか?
 京王が目指す「カーブ状ホームの解消」には、駅を左側に移設し駅前市場付近を通す必要があります。町は時代と共に移り変わる宿命を持ちますが、今度の駅前は便利になりますことを(現状は不便でも、いい雰囲気でした)。
 駅前市場付近のシャッターには「昭和の青春」がしみ込んでいる(ドラマは夜に生まれるのです)、と感じる人は多いのではないか……


松原赤堤支流の水源付近

 右は、京王線 下高井戸駅から明大前駅を見た絵で、途中の谷地は記憶にありますが、そこにあった水路に関心を抱くまで、数十年かかりました。
 江戸期以前は細いの流れで十分でも、人口増+耕地拡大により、玉川上水の水を引く必要に迫られたようです。
 川というのは、下流に向かうにつれ主流に集まる人間の静脈のような存在ですが、上水は、下流に向かい枝分かれする毛細血管のように、細やかに水を行き渡らせる目的を持つ動脈のような存在です。
 付近ではこの支流のように、耕地との高度差が小さい(浸食力の弱い)流路が灌漑用水として活用されました。

 右は支流沿いにある震災時井戸水提供の家(世田谷区内に2000箇所以上あるそう)。
 場所によっては水流が細くなったり、熊本地震後のように地下水脈が影響を受け、使えなくなる可能性もあるため、平時からそんな事態も想定した備えが必要です。
 人は水に恵まれた地域に集まり(付近の公園が水源だったらしい)、最初は共同で井戸を掘り地域で利用し、後に各家庭用の井戸が掘られたのでしょう。掘っても出ない場所への融通は可能でも、需要の増加から枯渇する地域もあったのではないか?
 水道に頼り切りのわれわれは、緊急時の水問題に対処する術を持たないので、確実に水難民になりそうです……


赤堤(世田谷線 松原駅付近)

 付近で暮らした学生時分、世田谷線沿いの用水路は開きょのどぶ川でしたが、現在はふたがされ歩きやすい親水施設に整備されました。
 大学周辺からよみがえる当時の記憶は、周囲に迷惑をかけた恥ずかしいものばかりで、年齢と共にネガティブな記憶を思い出すことが増え、そこだけふたをしたいと思ったりします(分別がつく年ごろの中年を「分別盛り」と表現するそうです…)。
 当時の生意気な言動を見逃してもらった経験から、若い世代に対し寛容に接するつもりも、世代間ギャップのためか時折イラッとすることがあります。その免疫は子育てから身に付くようで、経験の足りなさと……



 外からは丘陵地のように見える巨木に囲まれた一画は、地元で「六所の森」と自慢げに呼ぶ立派な森です。赤堤地区の鎮守(六所宮とされる府中「大國魂神社」を勧請したもの)で、手水舎(ちょうずや)の亀(カメの甲羅は六角形つながり)は、センサー稼働で驚かされます。
 世田谷城が築かれた時分(1400年前後 室町時代)、付近に「赤堤砦」が設けられ、江戸時代には幕府の天領とされます。江戸期の天領といえば鷹場ですから、玉川上水の水を引いたのは獲物を育てるためか?
 以前世田谷線には六所神社前駅があり、その後移設され現松原駅になったそう。


世田谷線 山下駅


 小田急線 豪徳寺、世田谷線 山下と異なる駅名が隣接するも、山下の山は豪徳寺のことで、両線が立体交差するように、異なる表現で地域のシンボルをアピールしています。
 世田谷線は10編成(各2両編成)で運行され、各編成で異なる車体カラーは、以前のカラフルなiMacのような「多様化時代」の対応を目指すのでしょう。好みが分かれることを前提に、井の頭線のように車体カラーに関心を向けさせた狙いは成功では?


追記──甲子園のグラウンドから女子マネージャーをつまみ出す規則

 監督のゲリラ的な計画は排除覚悟のように見えたが、窮屈と感じる野球競技(全般)の取り決めへの、見事な一石となったのでは?
 高野連が説明する「安全面の配慮」とは、各校のグラウンドでの事故は学校の責任だが、甲子園での事故は自分たちに責任が及ぶので困る、と理解していいでしょう。
学生野球の基本原理
 学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする。

 とあるが、その後の細則でどんどん理念が狭められていきます。押しつけではなく、疑問を抱く関係者(元球児など)の意見に、耳を傾けるべきと感じた事例です。


追記──ドーピングを排除できないリオ・オリンピック開幕

 近ごろの競技会にドーピング問題は付きもので、バレない不正を目指す側と、検査精度向上により不正をあばく側の、いたちごっこの人体実験場の印象があります。
 不正排除を目指す(?)国際オリンピック委員会(IOC)に影響力を持つ裏の力(金?)が存在することは、ロシア選手のオリンピック出場を可能とするも、パラリンピックを見放す「意思」から見て取れます。
 イベントの看板が腐ってしまったイメージがあるが、「スポーツマンシップを取り戻す東京オリンピックに!」しなければなりません。

 現在携わる乗馬関連の配信動画に出演いただく福島大輔 氏が、障害馬術(ジャンプ)代表に選ばれ応援せねばと思っていますが、期待感や人気の無いことからBSでも放映されないようです(LIVE配信で応援します)。

2016/08/01

ひまわりは見るだけよ!──上北沢

2016.7.10【東京都】──「目黒川を歩く_4」 北沢川_1

 今回から、池尻大橋付近で烏山川に合流する北沢川を歩きます(その下流が目黒川)。
 通った大学(日大文理学部)付近の暗きょを北沢川と認識して歩くのは初めてでも、川沿いの何げない景色から当時の記憶がよみがえります。





将軍池(都立松沢病院)


 北沢川の旧水源とされる将軍池は、都立松沢病院の敷地内で立ち入れません。
 ここは精神科専門病院として設立され、当地移転に際し院長の要請「治療・療養には、患者さん一人に100坪が必要」が受け入れられ、広大な敷地を有します。上の池は治療の一環として患者の手で造られたが、庭園として高い評価を受け海外に紹介されたそう。名称は作業者の患者が自称した「将軍」にちなむ。
 以前から湧水のある湿地帯だったらしく、尾根筋(玉川上水が通された分水嶺)から少し低い場所に湧水があったことは、この先を歩く上のヒントになりそうです(流量が少ないため、玉川上水の水が引かれた)。同級生が付近に暮らしていたような記憶も……




 学生時代に通った自動車教習所では、クランクのバック通過をやらされています。「後部ドアの三角窓に○本目のバーが入ったらハンドルを切る」のような、車種で変わることをマニュアル通りに教えるの? と思ったが、今となれば「説明が難しい」ことも理解できます。いまどきはリアモニター搭載車で、前輪が膨らむ感覚を練習しているのか?
 路上教習では環八通りや246号線をガンガン走らされビビったが、アクセルを思いっきり踏み込ませて「それは踏み過ぎ」の練習で、流れに乗る感覚を理解した覚えがあります。
 当時の車体は全身「ライトグリーン」の派手さで目立つため、余計に緊張した記憶がありますが、この地らしいイメージカラーの印象も。


 教習所周辺には現在も所々に農地が見られます。
 宅地に囲まれた農地は往々にして、後継者不在から老夫婦では手入れできない区画を手放したものらしく、マンションの存在感と比較されると取り残された印象になります。
 農地の一画に設けられた即売所から、客との弾んだ会話が聞こえます。
 狭くなった農地の出荷品目は限られても、手売りでの近所付き合いを楽しめるなら、適度な労働で小遣いも稼げる老後を送れますし、近隣住民にも「地産地消」による互いのメリットを浸透させることができます。
 「今度、ひまわりを分けてよ!」に対し、「ダメ〜、ひまわりは見るだけよ!」の返事は、自然の恵みを糧に生きてきた知恵なのでしょう。みんなで夏のシンボルを楽しめば、子どもの記憶に刻まれ、写真も撮れますから、共有を目指す姿勢こそ本来の「エコ」ではないかと感じます。


桜上水 周辺

 右の荒玉水道道路は、多摩川のきぬた浄水場から板橋区大谷口へ送水する地下水道管上の歩道が車道とされたため、水道管保護用の車両規制ゲートや、両側の電柱も障害物として残され、直線なのに走りにくくモヤモヤする道。
 付近にはタクシー運転手も走りづらいと嘆く、あぜ道を道路としたような迷路が続くため、結局この道を選択するしかなかった記憶があります。
 住民のモヤモヤ解消に向けた取り組みは、世田谷線松原駅前の道路拡張に見られるも、途切れた先には住宅街が広がり、区画整理には「なが〜い目」が必要なようです……


桜上水ガーデンズ(旧桜上水団地)


 現在の施設は「ぬけられません!」。
 至る所で「私有地」と差別化を主張する様に、入ってやるもんか! と思うような、高級分譲マンションに生まれ変わりました(古くは牧場)。
 近隣に商業施設は無いが、買い物は下高井戸商店街というスタイルは結構いけそう。
 桜上水団地(リンク先は懐かしい写真)当時は学生がご迷惑をおかけしたと思いますが、桜並木の通り抜けは見事でした。卒論の担当教授が団地にお住まいで、ウイスキーの瓶を冷蔵庫で冷やす様子に「飲んべえのいじらしさ」を感じたことも。
 手前は日大のグラウンド。右端の大木付近に弓道場があり、脇を通る際「シュッ」「ポス」(矢を射り、的中した音。確か外した音も区別できた)の音を耳にした瞬間「変わらない!」と、当時の空気感がよみがえりました。


小田急線 豪徳寺駅・世田谷線 山下駅 周辺

 豪徳寺駅前を通ると『男たちの旅路 車輪の一歩:山田太一脚本 1979年 NHK』を想起します。──車椅子生活者は周囲へのサポート依頼を尻込みしてしまうが、社会はその勇気を無視しないはずである。
 舞台とされた豪徳寺駅前の階段は、高架工事に伴う駅改築の際にバリアフリー化されました。
 まだ町中には不便な箇所が多いと思うも、公共施設のバリアフリー化が一気に進んだように、国は自治体の要請に耳を傾け、きちんと旗を振るべきと感じた事例です。
 YouTube動画に車輪の一歩のラストシーンがあります。右は宮坂側の路地。

 上のYouTube動画の背景に映る「モスバーガー」の店で同級生がバイトしており、テリヤキバーガー初体験の衝撃を思い出しました(現在閉店)。
 付近にある右の「満来:まんらい」は200円ラーメンで知られ、TVで「自分が生きている間は値上げはしない」と宣言した先代は101歳の大往生。
 二代目の値上げも250円(2012年)と心意気を受け継いだが、現在「しばらくお休みします」の張り紙と、メニューにラーメン300円とある様子から、二代目の苦労が察せられます……(以前100円は勘違いか?)


追記──元千代の富士(九重親方)が亡くなられました

 以前、六本木ヒルズですれ違った際、Z軸(身長)以外のXY軸(肩幅、胸の厚み:お腹ではない)のガッシリした体に見入ったことがあります。背のない体で格闘技の頂点に立つための努力は並大抵とは思えないし、「小よく大を制す」の体現者として人気を博したことを再確認しました。
 売り出し中だった若手の貴乃花に負け、引退した情景は「世代交代」の儀式のように、印象に残っています。
 お疲れ様でした……


追記──「メーヴェ」が飛んだ!

 宮崎駿さんのアニメ作品『風の谷のナウシカ』に登場する「凧(たこ:劇中表現)」をモデルとした、小型飛行機が空を舞いました(タイトルリンクに動画があります)。
 夢を実現させた努力は賞賛しますが、あまりにも無謀な挑戦という印象を受けます(落ちたらOUT)。ですが、ライト兄弟に対する周囲の目も同様だったと考えれば、人類におけるエポックとなるかもしれません……