2014/06/30

「川の手」暮らしの魅力──荒川土手

2014.6.21【東京都】──「隅田川を歩く_14」


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荒川土手(Map)

 荒川の両岸はスーパー堤防としてきっちり整備されますが、階段は利便性を無視した場所に設置されるため、必要な場所には道が開かれます(階段は100m程先)。
 設計された階段よりこちらの方が「ワクワク感」が高まるので、当然ここを歩きます。

 人によって土手に通された「けもの道」の、水平面との角度や土手の傾斜に対する比率などを調べると、地域文化の特徴が比較できるかも、と思ったりします。

 その土手上では「青空理髪店」が営業中です!
 切りくずを気にしなくていいし、切られる側も「サッパリ」できそうですが、鏡が無くて大丈夫?
 以前パーマ・カットのモデルをした際に、余計なことを言って失敗したことがありましたから(全部やり直し…)、相手を信じて任せましょう!
 成年男子のツーショットに、友情が芽生える際の「無垢」な素直さが見えた気がして、若い記憶をたどりうらやましく感じたりします(同性愛でないことを…)。

 腰掛けているのは荒川のキロポスト(河口からの距離表示)で、工事で使用される標柱と思われます。学生時代のバイトで、対岸にある標柱との間にワイヤーを張り川の横断測量(断面図作成)した際、ここもやったか? と。

 右写真対岸の建物は小菅の「東京拘置所」。
 元は巣鴨にあり、戦後米軍に接収され「巣鴨プリズン:現サンシャインシティ」とされ移転してきましたが、閉鎖後巣鴨に戻るも再移転してきます。

 死刑執行は拘置所で行われることから、江戸時代の小塚原刑場付近が選定されたなら、ちょっと迷惑な話です。
 拘置所の存在は「社会の問題」でも、近隣住民には「地域の問題」であり、子供たちは河川敷で汗を流す間にも死刑執行が行われることを、学ばねばなりません。
 拘置所近くに暮らさない者には考えることのない現実です……


 テレビドラマ『3年B組金八先生:1979〜2011年』のタイトルバックに使われた場所らしいも、あまりピンとこないのですが、伝わります?(堤防上は舗装された)
 都会周縁にあたる川の手には、何が起きても不思議ではない「混沌」とした空気を持つ地域がある、という舞台設定が時代の空気に合っていたのかも知れません。
 川沿いには、ロケ地とされた「足立区立第二中学校」の統廃合で誕生した「千寿桜堤中学校」があります(千住を千寿と表記)。
 当時「たのきんトリオって、楽しい金曜日のこと?」と言う娘がいたことも、はるかなる思い出です……


 上は「荒川で屋形船?」の桟橋ですが、準備をしているのでお客さんは集まるようです。

 右は荒川放水路の建設まで隅田川に流れ込んだ旧綾瀬川で、現在は荒川と隅田川の連絡水路とされ、洪水から隅田川を守るための水門があります。右奥の建物は南千住汐入付近の再開発地区。
 荒川放水路の名の通り、洪水の防御は「荒川にお任せ!」との都市計画で、川の手の命運は「荒川土手」に託されています。


堀切〜北千住(Map)

 海抜0m地帯ながら、室町時代から「堀切:城や屋敷周囲の地面を切り通した堀」の名があるらしく、当時から管理された水路等があったのかも知れません。(下は柳原千草園)


 右の千草通りから北千住に向かう道すがら、おばあさんの歯切れのいい口調(耳心地よく、スカッとする)や、台所で包丁がまな板を叩く音などを耳にします。
 癒されるというより「とけ込みそう」で、「ただいま」と口にした途端に「川の手」暮らしが始まりそう……
 でも心配なのは「川に挟まれている」ことです。
 何度も洪水を経験した地域なので、対策や準備もぬかりはないと思いますが、極端な天候が多い昨今ですから、これまで以上に気をつけられますよう。

 川の流れは存在理由が明快(水が海に流れる)なので、日常生活の「意識変化」を投影しやすいように感じます。
 荒川・隅田川も持ち合わせるそんな性格は、京都の川や、四万十川と同様の「なごみ」作用があるのでは、と思ったりします。

 「広い」「大きい」対象物をのびのび撮れた「川の手」では、小杉・丸子の多摩川より、蓮根・高島平で足を運んだ荒川の方に引かれることを確認できた気がします。


追記──W杯グループリーグ日本敗退

 世界に対して、日本が「攻撃的」とする姿勢で「殴り合い」を挑みますが、追いつくのが精一杯で、その先に活路が開けない現実は、差は縮まっているにしても「実力不足」とされても仕方ないところでしょう。
 戦術に手詰まり感を覚えたのは、日本人の「きまじめさ」のせいではないか?
 中継で「自由人 大久保」とあったが、彼が一番楽しそうに見えたし、常に工夫することが楽しさにつながるような気がしました。
 次回大会に向けて、選手たちには心身共に休養が必要です。
 お疲れ様でした……

2014/06/23

住民の愛着を感じる──北千住

2014.6.8【東京都】──「隅田川を歩く_13」


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 北千住に降り立つのは初めてで、メジャーな印象から大々的な再開発が進んでいると思いきや、下町の空気が漂う繁華街では、気取らない若者や若ぶるオヤジたちの活気が町をもり立てています。
 下町育ちが中央線沿線のように「モダンさ」を取り入れている、で伝わるだろうか? 住民が町に愛着を抱いている印象に、ちょっとファンになっちゃいました。


北千住駅周辺(Map)


 上は駅前のメインストリートにたたずむ「大橋眼科」の建物で、1982年老朽化した先代に近い姿で改築されます(比較的新しい)。
 通りの両側に続くアーケードも、ここだけは景観に配慮して作らないこと(ここだけ傘が必要)を、納得している住民も素晴らしい!

 ラーメン屋が目につく中で「みそラーメン」が多いのは、これから「みそ」が流行る前ぶれ? 付近には北海道出身者が多いのか?

 訪問者は右を「敷石が真っすぐじゃない」と感じるも、下町育ちは「どこが曲がってるんだ?」と反論しそうです。
 彼らは「曲がったことが嫌い」でなく、曲線を描けないだけで(怒られそう)、「角度の違う直線が続く」なんて言われたら、ごもっともと引き下がるしかありません……


氷川神社(Map)


 歩いたルートだけでも4つの氷川神社を見かけたように、本社が大宮にあるため付近も氷川信仰の中心地とされ、町内ごとに祭られた氷川神社が現在も守られています。
 祭神はスサノオなので、南千住の素盞雄(すさのお)神社も同じ流れのようです。
 平坦地が広がる「川の手」(山の手に対する表現)ゆえか、富士山(山岳)信仰である富士講の富士塚を多く目にします。


名倉(なぐら)医院(Map)


 江戸時代から「骨接ぎの名倉」と各地に知られ、最盛期には夜が明けると門前の道が患者の行列で埋まったとされます。
 いまも現役の門(上)や門の脇に建つ倉(下)など、古くからの施設が残されており、門が開いていれば見学したかったのですが、日曜なのでそれは無理……

 土曜日は土砂降りで、日曜のこの日はかろうじて歩けましたが日差しは無く暗いため、どの写真も明るく撮ろうと露出オーバー気味になっています。



長圓(ちょうえん)寺(Map)


 上は、長圓寺門前にある「めやみ地蔵」に掛けられた絵馬。
 「め」の字をひっくり返すデザインは、春日のこんにゃくえんまさまでも目にします。 絵柄的には両目の様を想起させますが、実際の両目では同じように「め」「め」と見えるはずで、このデザインには「ちゃんと見えない」の意味が込められているとも……


お化け煙突モニュメント(Map)


 以前この地にあった千住火力発電所(1926年〜63年 石炭→重油)に立つ4本の煙突は、見る角度により本数が変化するため「お化け煙突」と呼ばれました。
 老朽化や豊洲の新東京火力発電所建設(1956年〜2000年 現在の新豊洲変電所:ビッグドラム周辺)により役目を終えます。
 当時は浅草(蔵前)にも火力発電所があったと知り、煙害のため繁華街や住宅地近い場所から埋め立て地に追いやられたことは、首都圏では危険とされ遠い福島に原子力発電所が建設された経緯につながるように感じます。

 稼働当時は近代化に欠かせない電力供給のシンボルであるも、映画『東京物語:1953年』にも登場し、近代化を危惧する側にもシンボリックとされる存在でした。
 下側の円弧は、展示される煙突断面の一部。

 神奈川で育った時分は、東京の反対側を「ひとくくり」にイメージしていたため、そんな町をひとつひとつ確認しながら歩く行程は、ガキ時分の「冒険」のようでとても楽しく、ツッコミどころばかりの「愛すべき(?)」下町育ちを、身近に感じられたような気がします……

2014/06/16

旧街道が住民のより所──千住大橋

2014.5.31【東京都】──「隅田川を歩く_12」


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 毎年突然発表される「梅雨入り」は、時節柄仕方ないとあきらめ気分でも、豪雨による幕開けには気分が重くなります。
 この日は梅雨入り前ながら熱中症搬送者が多数出る陽気で、歩きながら今年初めて膝裏など足の汗を自覚しました。


千住大橋(Map)


 徳川家康の手で隅田川に最初に架けられた橋が「大橋:千住大橋」とのこと。幾度もの改修により、江戸期300年間一度も流されなかったとは見事(明治18年流出)。
 当時の江戸は爆発的に人口が増え、住宅需要の高まりから橋のたもとには材木商が軒を連ねたそうで、現在でも名残が感じられる場所です(芭蕉もこの橋を渡った)。


中央卸売市場足立市場(Map)


 北千住側にある足立市場は都内唯一の水産物専門市場ですが、マグロや鮮魚の扱いは少なく、半分以上は冷凍品や加工品という品目からその性格が理解できます。
 築地はそう遠くないにしても、みんなで押し掛けたらパンクしてしまうので、保存可能な商品は各地の市場で売りましょう、という場のようです。
 われわれが寝ている間は活況でしょうが、昼過ぎには食堂も閉店しその後は閑散とする空間を、何かに活用できないか? と思ったりします。


旧日光街道周辺(Map)


 市街地で現役の「竹材店(さおだけ〜、の声を思い出す)」や、竹の若葉(上は源長寺)を見かけ、竹つながりで「尾竹橋」の由来を調べてみると、ルーツは以前あった「尾竹の渡し」で、その「お竹」とは付近にあった茶屋の看板娘の名前、とあります。
 そんな由来でいいの? と思うも、「これホント!」と言いそうな土地柄なので納得しちゃいます……(竹材の縁は見当たらない)


 派手なのれんと目が止まったものの、周辺の銭湯にも同じものが下がっています(サッパリできそう)。
 付近の銭湯に牛乳石鹸が配ったらしいので、今後のれんの分布域をチェックしながら歩こうと思います。

 「ゆ」の字は銭湯の顔なのに、以前お世話になった浴場に下がるのれんを思い出せません。
 その一方で、統一戦略である黄色い風呂桶の「ケロリン」には、イコール銭湯の郷愁をすりこまれました……

 右は氷川神社境内にある弁天様で「江嶌神社」とあるのは、江ノ島の弁天様を祭ることによります。
 まだ北千住の中心部ではないためか緑を多く目にします。旧日光街道沿いに寺社が多いこともありますが、現在でも「旧街道ありき」と、街道を中心とした町づくりを受け継ぐ姿勢に拍手を送りたくなります。
 それは裏通りも同様で、「町の形」を継承しようとする取り組みのようにも感じられます。
 お年寄りが暮らしやすい町に必須の介護施設も狭い裏路地にあり、右の「散歩がてら」気軽に立ち寄れそうな立地には、さすが下町の配慮! と、勉強させられます。

 そんな町中に、魔が差したかのような東京芸術センター(足立区と日本芸術センター)の高層ビルには、「黒澤明 シネマシティ:シネマ ブルースタジオ」(黒澤さんの名は冠だけ)との映画館があり、現在ルイ・マル監督特集で『死刑台のエレベーター』を上映中。
 いわゆる名画座でも、ニュープリントフィルムをスクリーンで観られる施設で(DVDのデジタルリマスターもスゴイが)、「1本 1,000円」です(以前の名画座は3本立 300円)。
 ガツガツ観たい時分と、ゆったり観たい気分は違うが、「映画は劇場で観て楽しむもの」には変わりないはずです……


追記──2014 FIFAワールドカップ(ブラジル大会)開幕

 開幕戦のネイマールのゴールは決して美しくないも、開催国の意欲が込められたもので、乗ってしまうとブラジルの勢いを止められないのでは? と、盛り上がります。
 6月15日、日本初戦後の山手線で「青い服」が目についたのは、「負けても渋谷は大騒ぎ」の連中だったのか?
 負けても「お祭り」の意識ならまだしも、ただ「騒ぎたい」連中が集まるのでは迷惑な「集会」へ苦情が殺到しそうです……

 個人的提言──テストマッチのように、3点取られても「4点取ることを目指そう!」。
 4点取って負けたなら仕方ないと、選手もサポーターも納得できるのではないか?
 それくらい思い切ってやって欲しい! と期待します。

2014/06/09

のびのび「リバーサイド」──旧汐入地区

2014.5.24【東京都】──「隅田川を歩く_11」


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南千住駅東口 旧汐入地区(Mapは上)


 知名度で北千住に水をあけられた南千住には、現存のJR隅田川貨物駅や東京メトロ車両基地に加え、以前は広大な大日本紡績、鐘淵紡績の工場が広がっていました。
 工場移転後の1987年に始まった一部貨物駅を含む大規模な再開発により、高層マンション群や公園が整備され、現在は若いファミリーが集まる地域となります。
 上のショッピングモール正面には、不動産案内写真ではカットされる貨物駅の施設があります。
 都内の貨物駅(汐留・飯田橋等)廃止の影響から稼働率が高まっており、右の地下鉄車両基地移転も見込めない中で、いびつな形状の再開発となりました。
 アクセスは山手線日暮里駅から常磐線で2駅と文句無く、水質に目をつぶれば隅田川のリバーサイドで空も広いので、立地の人気は高いようです。


 物輸の主力が船舶であった明治期より隅田川沿いに工場が建ち並びますが、今どきでは大型船が航行できない隅田川沿いの立地がネックになりそうです。
 そんな地域ゆえ、仮に上写真の施設が移転した際は、下写真のような堤防に作りかえるチャンスかも知れませんし(そんな都の条例がありそう)、そこに「都会のオアシス」の夢を描けそうです。

 汐入とは「海水の混じる土地」の意味で、現在も海水が混じる汽水域のためか、多摩川のようなドブ臭さは感じません。


 汗ばむような陽気のせいか、堤防付近で日光浴をするオヤジたちを見かけます。
 「水辺好き」が集まると思うも歩くうちに、「ガキのいない静かな場所なんだ!」と気付きます。
 ガキどもが公園施設やグラウンドで遊ぶばかりで水辺に寄ってこないのは、ここでは水に入れない、ということのようです。
 そんな状況の理解から、棲み分けのためにも大切な施設なのか、と……


 川のほとりでは、岸辺に高い建物があっても川の上には空間が広がっているため、遊ぶ姿も「のびのび」しているように感じます(上は汐入タワー)。

 明治期に石炭集散地として開設された隅田川貨物駅の構内には、右写真奥の隅田川と行き来できる水路が通され、陸運と水運をつなぐターミナルの機能がありました(右は水路跡の公園で、背後に水門跡が残されます)。
 再開発後も残されたこの一画のおかげで、数百m先の貨物駅との関連が一目で分かりますし、水路跡がトラックの出入り口とされ、付近の線路間隔が離れている様子も、歴史の記憶として見て取ることができます。

 近ごろ目にする機会の減ったガスタンクに引かれましたが、これはTV版『あしたのジョー』の背景に登場したガスタンクなんだそう(未見なので不明)。
 ジョーの記憶がないためか、「山谷」が近いことも気付かずにいたので、近いうちに歩かねばと思っています。

 東京スカイツリーもかなり近くなってきました。
 近ごろ来場者は伸び悩みと耳にしますが、混雑しそうな夏休み前までにたどり着かねば……

 ここは貨物駅ですが線路が並ぶ光景から、「北海道から九州までつながっている」ロマンに思いを馳せ、TVドラマ『大いなる旅路』(1972年日本テレビ:国鉄に関わる人々が各地で苦悩・奮闘する姿を描いたオムニバスドラマ。個人的には竜雷太(ゴリさん)が印象に残る。主題歌は小椋佳) を想起しました……(リンク先動画は「これ、これっ!」の懐かしさ!)

 以前は「鉄道」の存在が国民の夢をけん引してくれましたが、現代では単発的な東京五輪などのイベントしか見当たりません。
 だからといって、ロシアや中国が求心力維持の手段とする旧時代的な「国力のアピール」に頼るようでは、「将来に希望を持てない国」の病状は重くなるばかりです……


追記──「それでもSTAP細胞はあります!」と言えねば研究者ではない。

 共同研究者に批判されても、自分は信じると訴えながら論文を取り下げた人格には、もはや研究者を名乗る資格もない。
 理研がIPS細胞研究に対抗したいあせりから、奇妙な「キャンペーンガール」を祭り上げた、というところか。
 ガリレオの「それでも地球は動いている」には、宣伝ではなく「真理」を訴える信念がありました(彼の言葉の有無ではなく例えとして引用)。

2014/06/02

前途三千里のおもひ……──南千住

2014.5.10【東京都】──「隅田川を歩く_10」


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つくばエクスプレス(Map)

いい機会なので秋葉原から乗ってみましたが(南・北千住を通る)、第一印象は「シートが固い」です。
 シルバーの面構えが「強そう!」と鉄人28号(グリコのタイトル動画リンク)を想起するも、どうも鉄人はシルバーではないらしい…… 

 2005年に開業した第三セクター方式の鉄道で、巨額の投資を6両編成で回収可能? と思うも、資金はJR東日本に次ぐほど潤沢で、現在の秋葉原から東京駅まで延伸を目指すらしい。
 営業成績も右肩上がりの「イケイケ!」で、沿線開発は盛んなようです。


素盞雄神社(すさのおじんじゃ)(Map)

地元では天王様と呼ばれるため、神社脇の交番は「天王前交番」とされます。
 社も立派ですが、 南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町の総鎮守とされ、例祭「天王祭」の盛り上がりは迫力ありそうです(今年は6月3日)。
 写真左はたたまれた野点傘(のだてがさ)。

 母乳の出ないお母さんが、皮を煎じて飲んだとされる「子育てのイチョウ」には、現在も子育て祈願の絵馬が鈴なりにかけられます。
 神話でスサノオはアマテラスの弟。
松尾芭蕉『奥の細道』の「矢立ての初め:旅日記の書きはじめ」に「千じゆ」の名が登場することから、旅立ちの地とされます。
 江戸時代「大江戸八百八町」の外れとされ、奥州・日光・水戸道が分岐する最初の宿場「千住宿」で、江戸を離れる寂しさを感じたのでしょう。
 そこに記された「前途三千里のおもひ胸にふさがりて…」の思いは、「母をたずねて…」など「果てしない旅」のルーツ? と調べると、中国の唐時代には「三千里流罪の刑」があったことから、「今生の別れ」との覚悟が込められていたようです。右は碑の前に飾られる笠。


東京スタジアム(東京球場)跡(Map)


 ここは以前、東京スタジアム(毎日大映オリオンズ:後のロッテの本拠地。1962年〜72年)があった場所で、現在は上のグラウンドと背後にある荒川区スポーツセンターとされます。
 球場オープニングゲーム「大毎オリオンズ 対 南海ホークス」で、第1号ホームランを打ったのは南海の野村克也氏とのこと。ホント、昔はヒーローだったんですから!(パ・リーグの……) ボヤキたくなるのも分かります……
 この地(朝鮮半島出身者が多く暮らす)が本拠地ゆえに、球団譲渡先がロッテ(韓国系)の理由がよく分かった気がします。
 球団オーナーの永田雅一(大映社長当時『羅生門:監督 黒澤明』がヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞)は、娯楽や芸術を生み出すことより「自分を売りたい」人物で、黒澤の賞を大映本社に飾り「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」(語呂の古くささに懐かしさを覚えます)の批判通りに会社をつぶします。


小塚原刑場跡(Map)


江戸玄関口付近の街道筋には、上京する者への犯罪防止の見せしめに、仕置場が設置されます(東海道:鈴ヶ森刑場、甲州街道:大和田刑場(八王子))。
 奥州街道など北の玄関口に置かれた小塚原刑場では、吉田松陰など20万人以上が処刑されたとのこと。
 回向院(両国)の住職が刑場隣接地に死者を弔う施設を設けたものが、その後の回向院(南千住)と刑場跡の延命寺(右写真)に至ります(現在その間を常磐線が分断)。

 右は処刑場跡に祭られた首切り地蔵。斬首による処刑のむごさを伝えるためとはいえ、残酷なネーミングです。
 東日本大震災で崩れ落ちるも、早々の再建を実現した寄付には、犯罪や死刑の無い世の中への祈りが込められていることでしょう。

 上は付近の跨線橋からJR隅田川貨物駅を眺めたもので、次回お伝えします。


追記──5月末日にエアコンのスイッチを入れるなんて……

 年々、暑さの到来が前倒しになり、今年は5月末にエアコンをつけました、と嘆くつもりが、以前には「5月26日前後に…」の記述があり、もう常態化しているのかと驚きです。
 ささいなことですが、記録に残すことの大切さと「温暖化」を実感する次第です……