2014/03/31

川に挟まれて大丈夫?──ハートアイランド

2014.3.21【東京都】──「隅田川を歩く_2」


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ハートアイランド(Map)


 上は前回目に止まった、路線名部分がハートマークの都営バス。
 途中ハートアイランド(足立区新田。遊歩道の愛称に由来)とされる大規模集合住宅を経由する路線のマークで、介護施設的な住宅か? と思ったりも。
 かつてのトーアスチール(鉄鋼メーカー:1999年解散)工場跡地の再開発としても、当時から隅田川と荒川に挟まれた土地を、問題なしとした判断が理解できません。
 昨今では百年に一度の豪雨被害をよく目にするので、事前に「想定外」を言い訳にできないよう取り組まなくては(おそらく防御は不可能……)。


 上写真は何か加工した? と思ってくれたら報われるような、めちゃくちゃ強い北風が吹き荒れ、京葉線などは当然運転を見合わせた「春分の日」の様子です。
 堤防の上で受ける突風でも、向かい風には踏ん張れるのですが(反骨精神は大丈夫)、斜め後ろからの追い立てられるような風(下からの突き上げ?)には浮き足立ってしゃがみそうになり、「踏ん張りが利かなくなった?」と自信が揺らぐ事態に……

 下は、以前五色の桜が咲く名所から「五色桜大橋」とされますが、響きが重くない?
 上下2枚は、隅田川・荒川が堤防で接する付近の様子。



トンボ鉛筆(Map)

 ハートの路線には「トンボ鉛筆前」のバス停があり、お世話になった印象からモダンな本社ビルに足を運びます。
 縁遠くなった「鉛筆業界ってどうなの?」と思うも、MONO消しゴムなど「MONOブランド:修正テープ、スティックのり等」はよく目にしますし、現在は世界的ブランドとのことで、大変失礼しました。
 鉛筆に記された「Tombow」の表記は懐かしくも、トンボマークが180度変わったことに気付きませんでした。
 言われてみれば思い浮かぶ、頭が下向きのマークは「お客様に頭を垂れる商の姿勢」でしたが、上向きは「トップを目指して意気込む姿勢」とのこと。


石神井川周辺(Map)


 手前から流れる石神井川は、写真奥で隅田川に合流します。
 上を通る首都高速中央環状線の板橋JCT〜江北JCT間(2002年)は新しく、上下の2階建て構造とし道幅を一般道路幅に収め、用地買収を最小限にしたことが自慢らしい。
 低コストがマストの時代でも、阪神大震災被害が頭をよぎる「一本足構造」より、防音対策の成果をアピールすべきと思うほど静かでした(振動は無理)。


 普段目にするタッチの鳳凰が飾られるのは国立印刷局王子工場の門で、ここでは郵便切手や証券類を製造しています。「お札と切手の博物館」を併設。
 国立印刷局は1871年(明治4年)に創設されるも印刷技術が未熟なため、紙幣製造はドイツやアメリカに依頼していました。
 現在も紙幣製造を他国に依頼する国があるように、以前の日本も単なる印刷物に国が魂を込めていました。
 現在の、国債という単なる印刷物をバンバン発行〜買い取ることに魂を込める連中に問うてみたい。政治家や役人は任期中にいい顔をして「引き継ぎヨロシク!」でいいのか? そのツケは次世代に回されても自分の子どもたちは、ツケに困らないよう教育をすればいい、とでも考えているのか……


 追記──「笑っていいとも!」終了

 ハードディスクレコーダー購入以来(もう10年?)、生番組で人物好感度の↑↓がよく分かる「テレホンショッキング」(結局全編)を録画していました(印象に残るのは、子役時代に嫌な思いをしたらしい「宮﨑あおい」の扱いの難しさを、見守りたいなど)。
 民放番組の終了に首相が登場したりの大騒ぎとなる事態からも、「日本で知らない人はいない」大きな足跡を残す番組と認められたようです。
 「笑ってる場合ですよ!」の後に登場したころ、現場仕事の食堂(利根川だったか)で「この番組は10年くらい続きそう」の意見が大勢を占める中、自分だけ「んな訳ねえだろ!」と異を唱えたことを覚えているのは、「まだ続いてる」と感じるたびに思い出していたせいかも知れません。大変失礼しましたが、ありがとうございました!
 今後は何と言っても「ブラタモリ─全国版」の実現を!


 追記──「財布のひもがゆるむ〜」増税前夜

 消費税「8%」となる景色を想像できない憂うつ感なのでしょう、ニュース映像の「財布のひもが緩む」発言に共感し「参加しなきゃ!」と腰を上げました。
 ビール、ウイスキーやタバコを少し多めに買いましたが、可能な準備をした「自己満足」で気持ちが落ち着くようです。
 消費税「3%→5%」移行期の印象は残ってないので、「5%→8%」の印象をブログに記録したいと思っています。


 速報?──花見客満開の上野 3月29日(土)


 陽気もよく、王子へ向かう際も上野駅で大勢降りる様子から、帰りに寄ってみようと。
 周囲の「これって、ディズニーランドよりすごくない?」よりも、初詣に近い印象があります。
 桜の開花に春の訪れを感謝し、活力を得ようと「詣でる」のですから信仰に近しい行事です。
 程度問題ですが、桜の下で盛り上がりたい心情は理解できるので、この時季だけは周囲も「バカどもが!」と思いながらも、見過ごせる気持ちの温かさを持てます。

 右は、奧に富士山が見えれば「浮世絵のよう」と感じた光景で(身なりは違うが、気分は江戸時代と変わらない)、浮世を「はかない世」とすれば、まぼろしのような「瞬間」を楽しんでいる、ということかも知れません。
 江戸の活気を受け継ぐこの都市は、生きています!

2014/03/24

春は隅田川?──岩淵水門周辺

2014.3.15【東京都】──「隅田川を歩く_1」

 春一番の嵐もやってきたので「春のうららの隅田川〜♪」(瀧廉太郎『花』:滝の字は上が正しいらしい)っと、今回から隅田川沿いの下町を歩きながら、ぼちぼちスカイツリーでもと考えています。

 隅田川の名は元々入間川(荒川支流)下流の俗称でしたが、荒川本流とされた時代を経て、明治末〜昭和初期に建設された荒川放水路(岩淵水門〜葛西臨海公園付近の河口まで:下地図右の流れ)が荒川本流とされ、岩淵水門〜竹芝桟橋付近の河口までを正式に隅田川(下側の流れ)としたのは1965年になります。


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赤羽駅周辺(Map)

 赤羽駅に降り立つのは久しぶりで、駅の大規模な改修工事中は「乗り換えはどこに行けばいいの?」とさまよいましたが、完成後のホームは「雲に上る」ようで驚きました。
 駅前も今どき風に整備され、下のアンデス音楽(フォルクローレ)パフォーマンス(BGMには心地いい)も可能な広場が作られます。
 逆光気味なのにライトを当てたような明るさは、ビルの反射光(光って大切!)。

 一歩路地に入れば以前と変わらず、昼間から店先にテーブルを出す立ち飲み屋(やきとり等)が並ぶ様子は健在で、これぞ赤羽! の光景に安堵します……


江戸時代は渡しのあった岩淵の宿場が栄えますが、鉄道の開通以来、高台にある軍施設の元で駅を中心に「軍都」として発展します。
 右のカトリック赤羽教会は、空襲で軍需工場が焼き払われた跡地に建てられたもので(1949年)、戦後の赤羽復興の歴史を残す姿です。

 戦後復興の自由な空気というか野放し地帯のため、いたる所に「車通り抜けられません」のワクワクする看板があり、「右 or 左?」と迷路を楽しめる地域が健在です。
 ガキのようですが、一期一会の究極の選択で、選んだ理由と○ or ×の結果をキチンと反省し学習することは、とても大切なことです!
 付近では、利便性を考え袋小路にしない方針らしく「どっちも正解」で「何だぁ〜」の路地ばかりでした……


岩淵水門付近(Map)

この日はまだ春を感じる陽気ではないも、穏やかな晴天に「空が広くて、気持ちいい〜!」と、一足早く「春の伸び」をします。

 以前暮らした新丸子は多摩川に近く川沿いをよく歩きましたが、河川敷の広い荒川からは、およそ15年前まで暮らした高島平在住時の記憶がよみがえります。
 河川敷が広いおかげで「いたばし花火大会」は、都内最大の「尺五寸玉」を上げられると自慢げでした(多摩川の花火を小さく感じるほど実感がある)。
 また、若い頃は毎週の徹夜仕事明けの足でストレス発散(?)に歩いたこと、等々を思い出します……


 江戸時代まで現在の隅田川から江戸川に至る低地には、飯能方面が水源の入間川、秩父が水源の荒川や、群馬・栃木県を水源とする利根川も流れ込んでいたため、現在下町とされる一帯は広大な湿地でした。
 そんな湿地を水田として開発しようと挑みますが、縦横無尽に流路を変えるような洪水に集落単位で対抗できるわけもなく、本格的な開発は江戸幕府による「利根川の東遷:現在の銚子方面への流路変更」等の改修事業と歩調を合わせることになります。
 とはいえ湿地を埋め立てた地域なので、将来まで水害対策と縁を切れない場所柄です。


 一枚上の赤い旧岩淵水門は役目を終えましたが、東京都歴史的建造物の指定のおかげ(?)で現在も保存されます。
 下は現役の岩淵水門で、防災計画の要請により規模は格段に大きいが、赤い水門と比べるとデザインより機能重視(リンク先は水門の役割を示す看板の写真)とされるのは仕方ないのでしょう。
 上写真は旧水門付近のオブジェ。


 ですが、以前目にした衝撃が忘れられない大規模水害による地下鉄への浸水予測シュミレーション(以前紹介したリンク先が健在なので再度紹介します)には、この付近の堤防決壊を想定した場合、都内の地下鉄は甚大な被害を受けると示されます。
 近頃の水害では、水門のような構造物は機能しても、シュミレーション不足の橋や堤防部分に被害が多い印象があるので、再確認してもらいたいと願います。


 堤防沿いのテラス建設現場では川底に基礎を設置する作業中らしく、潜水士とつながる司令船(右下の白い船)のスピーカーからダイバーが指示する声が響きます。
 おそらく「あまちゃん」種市先輩のようなヘルメットを被る、南部もぐり姿でしょう。
 クドカン(宮藤官九郎の脚本)は容赦ないですから、「あまちゃん2」はこんな場面からスタートするかも知れません。「おらやっぱ北三陸さ帰(けえ)る!」とか……

 久しぶりの郊外の絵は「開放感ある!」のですが、この先の隅田川には河川敷はないので思いっきり空気を吸い込んで、本格的な春の訪れを待つことにします……

2014/03/17

東京が祈りを捧げた夜──赤羽橋〜大門

2014.3.8【東京都】


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芝公園周辺(Map)


 東京タワーのライトアップが消された2日間(3月10日:東京大空襲から69年、3月11日:東日本大震災から3年)の、「東京が祈りを捧げる」ような姿には響くものがあり、震災後真っ暗になった町の様子がよみがえりました……
 様々な思いを胸に「あの時感じ、考えたこと」を忘れぬよう心掛けるつもりでも、現在何の備えもしていない現実にたどり着きます。
 阪神淡路大震災を受け非常持ち出し袋を準備し、東日本大震災で期限切れの保存食を処分した、では語る資格もありません。
 非常時は「できるだけ自」だけでなく、微力でも周囲に援助ができるような準備を目標にすべきなのでしょう……

 上は「ザ・プリンス パークタワー東京」のブライダル施設。

 少し時間が空きましたが、西新宿から芝公園に移植された新世界の梅(右)を確認しました。
 数羽のメジロが食事をしていますが、動きが速くて難しい!
 春が待ち遠しい季節にメジロを目にすると、「メジロがおるで〜!」(by 映画『祭りの準備』の馬淵晴子さん)を想起し、旅立ちの季節も間近と感じます。

 近頃テレビにも露出する胴長リムジンの車庫が付近にあり、普段バスの車窓から見かけるのでカメラを持って行くともぬけの殻…… またの機会に。
 どうやって車庫入れするの? という場所にあります。

 浜松町駅周辺は裏路地でも、ウエディングへの出席者とおぼしき着飾った女性を見かけます(二次会までの暇つぶしか?)。
 周辺にはプリンスホテルが2つあり、貿易センタービルや竹芝にも式場があり、密度が高いようです。

 右は、古美術商の英国風煉瓦造りの洋館(5階建て)「ザ・クレッセントハウス」で営業される、フレンチレストランのエントランス。
 以前目黒に、ランチで気軽に入れる小さな店がありましたが、フレンチってどう向き合っていいか分からない面があり、なかなか縁がありません……


 上は大門から増上寺へ向かう人通りの多い参道で、人の途切れた合間を歩くアベックが立ち止まり何かを見上げた様子。女性のマフラーに光が差したのはラッキー。
 暗い基調のコントラストで、モノクロの濃淡に色合いを少しふりかけたような印象に満足しています。こんなの撮ってるからモデルさんに怒らるんです。
 京都としても通じそうに思う、ならば行ってこい!(やはり日本すごろくの「あがり」は京都です)


世界貿易センタービル(Map)

 1970年に、日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング(1968年)」を抜き高さ日本一となるも、「京王プラザホテル(1971年)」に抜かれる短命のNo.1ビル。
 当時の超高層ビル建設ラッシュの記憶は子供心に刻まれており、「展望台→」の看板に誘われ上ってみると、これが意外と楽しかった!
 右は展望台用エレベーターの停止階ボタンですが、40階分並ぶ様子に時代を感じちゃいます(アメリカの古いビルのようで、ボタンを探すのが大変!)。
 当時、直通エレベーターの発想は無かったようで、途中階のボタン押してみればよかったと思うも、誤動作して止まったら閉じこめられてしまいます……

 普段六本木ヒルズの一服処からは、周囲に高い建物も増え当時の面影も薄れた印象がありましたが、東京湾を見下ろす展望は見事で、シートに座り港を眺めたいアベックには穴場のようです(混雑していない)。
 ですが、現在大門駅側に広がる更地を含めた再開発で、2014年度に取り壊しが始まるとのこと。
 この訪問は虫の知らせか?

 右は、直前に男性が腕を伸ばした指し示す姿を撮るも、女性が小さく指を伸ばす絵を選んだ絵。
 背景は豊海にそびえるTOKYO TOWERSの存在感。


古川河口(金杉橋)(Map)


 山手線の車窓から見える古川河口(金杉橋:首都高速下)付近の船だまり。
 この日も営業準備をしており、寒い季節でも利用者がいるようです。

 これまで意識していなかったのですが、増上寺(徳川家菩提寺:現在芝公園)の西端にあたる場所柄から、当時差別化された譜代大名と外様大名(主に関ヶ原の戦いを元に線引きされた)屋敷の立地を分けた、境界的な意味を持つ川だったようです。

 ベイサイドにたどり着き路線も一回りしたので、「大江戸線を歩く」シリーズは終了になります。
 お付き合い、ありがとうございました、


追記──あの姉ちゃんは、STAP細胞騒ぎの「恥」を理解できたのか?

 現在真偽の調査中ですが、一般的に論文発表後は他の研究機関の検証を元にしたQ&Aのやり取りがあるはずなのに、真偽疑惑から反論もなく論文取り下げに至る事態に接し、理化学研究所理事長でノーベル賞受賞者である野依先生の失意は推し量れません……
 彼女が研究目的に利用された背景もありそうですが、そんな研究姿勢ながらも世界から注目を浴びる立場まで歩めたことは、当事者の意識とともに未熟な指導者側が後押したことにほかならず、日本科学界の「不信感」を印象づけてしまう恐れがあります。
 「割烹着が売れてよかったですね」が、彼女の成果だとしたら、実験写真をプリントした割烹着でも売れば? と思うも、もう大阪辺りに出回っていそう……
 科学の利は名誉のためでなく、万民が享受するためにある! はずです。

2014/03/10

東京タワーは日本の「へそ」──赤羽橋

2014.2.22【東京都】


麻布狸穴町(まみあな)周辺(Map)


 この地名は何と読むのか? との動機で足を運びました。
 まみ()とはアナグマの意味のらしいも、容姿が似ているためタヌキと混同され「狸」の字が当てられたようで、本来の意味から外れるも概要は伝わりやすい、と。
 現在も、三鷹の大学キャンパス内にアナグマが生息する様子を、NHK「ダーウィンが来た!」で興味深く学びました。
 江戸時代にはアナグマや狸に加え「古狸:老練の狸で人を化かす」も生息した(?)とされる周辺は、何とも楽しげな地域に思えます。

 上は元郵政省庁舎で現在「日本郵政グループ飯倉ビル」とされる、存在感のある建物。


 郵政省ビルの斜め向かいに、勝手にクリミアを制圧するロシア大使館があり、その裏手の丘陵地斜面に面した場所に、上写真の会員制社交クラブ(って何?)「アメリカンクラブ」(リンク先に動画)があります。
 見学もできないわたしに関係ない施設なので、存在を知ったことで十分ですが、近しい人物は、高倉健、石原慎太郎、長嶋茂雄氏レベルとのこと……

隣接する以前海まで見渡せた丘陵地に、「日本経緯度原点」がひっそりとたたずみます。
 以前この地にあった東京天文台は(1888年:明治21年〜1924年:大正13年)三鷹へ移転します。アナグマの生息地と天体観測に適する環境は、似ているのだろうか?


 日本のへそとしては無防備なモニュメントのように見えますが、東日本大震災などで高さ・位置の変動を受けた際でも、ここを基準として変動前後の比較・補正が行われるため、原点にはさほど厳密さは求められません。
 映り込む絵から視線を上げ、間近の東京タワーは日本の「へそ」だったのか? と、また違う感慨で見上げることができました……


右は、狸穴と稲荷大明神(キツネ)の取り合わせが面白い「狸穴稲荷大明神」の鳥居。
 周辺の谷地には、けもの道のような細い路地が健在で、区画整理せずに新しい住宅が建てられています。
 高台に暮らすの富裕層(?)には見下す表現がありそうと思えば、水上滝太郎『山の手の子』にその情景が描かれています。
 でもいまの人は気にしませんから、新しい「狸穴意識」を築くことでしょう。


麻布永坂町(Map)

1962年の住所表示変更の嵐を、港区では麻布狸穴町と麻布永坂町の2つだけが生き延びました。
 一帯には、古くからの名士所有と思われる広大な区画の建物が並び(ブリヂストン美術館永坂分室など)、そんな方々が町名変更に異議を唱えたためとされます。
 そこには、松山善三(映画監督)、高峰秀子(女優)夫妻の名もあるらしく(石橋家の隣人)、師匠である木下惠介さん(映画監督)も晩年近所に暮らしたとのこと(高峰さんが面倒を見たのでしょう)。

 右の道路脇に残される「永坂町町会」と記された古い電灯柱にも、そんな思いが宿っているのか? と思ったりします……


追記──Mac BookPro に続きiPod nano 購入

 旧iPodのディスク容量も余す現状から、同容量ながら体積5分の1程度のiPod nanoを選択しますが、スリム軽量化の弊害で「小さすぎて使いづらい!」印象があります。
まだ現役でも旧iPodも10年選手なので、周辺機器の転用はできず全交換です……
 以前旅行で使用した、車内のiPodからFM電波を送信し、カーラジオで受信する機材も使えなくなり、沖縄のキャンプ瑞慶覧(ずけらん)付近で遭遇した「強力な妨害電波」の存在を知る手だても失われます(現在はケーブルで接続)。
 周辺機器の購入は2度目なのでワクワク感はないも、揃えなきゃという「義務感」を植え付けたiPodは、ライフスタイルに浸透する見事な提案だったようです。
 ですが、新しい「Lightning」コネクタに対応する周辺機器はまだ出回っていないので、しばらく待った方がよさそう……

2014/03/03

麻布で一番庶民的な──麻布十番

2014.2.22【東京都】


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十番稲荷神社(Map)


 年末に酉の市でにぎわう神社(境内は無いに等しい手狭さだが、商店街の通りが参道になる)に鎮座する上のカエルは、江戸時代の大火からある屋敷だけが火を免れたのは、屋敷の池に棲む大ガマが水を吹きかけて屋敷を守った、との言い伝えによるもの。
 がま池は、「仙台坂を上ったあたりにあるAVANTI(アヴァンティ):TOKYO FMで21年間続いた番組で設定された架空のバー」近くに現存するも、見学できないらしい。

 現在このカエル像は「若がえる」「復縁(幸せがかえる)」で人気らしく、「とりあえずお願いしておこう」の心情は、江戸時代と何も変わらないようです……


パティオ十番(Map)

 麻布十番といえば、町中の広場「パティオ十番」が印象的ですが、区画整理のつかなかった土地活用法とのこと。もうひとつの公園を含め「地域独特の流儀?」と思ったりします。
 右は、野口雨情の「赤い靴」に描かれた「岩崎きみ」ちゃん像。
 「赤い靴」と言えば横浜山下公園と思いますが、「異人さんにつれられて」(ひいじいさんではない)船に乗ったと思いきや、彼女は結核で船に乗れず鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」で亡くなります。
 教会はカナダ・メソジスト(プロテスタント)教会のもので、隣接する東洋英和女学院(中学・高等部)はその教育機関として設立されたもの。


善福寺(Map)

 地下鉄麻布十番駅の改札前で看板を目にし、気になっていました。
 都内では浅草寺につぐ古刹(824年)で、虎ノ門は本寺の山門があったことに由来し、杉並区の善福寺池はこの寺の奥の院とされます(スケール感が想像できない…)。
 ここは初代アメリカ公使館とされタウンゼント・ハリスを迎えるも(1859年)、幕末の混乱期に壤夷派(じょうい:外敵撃退)の襲撃により焼失します。

 併設幼稚園の子供たちが本堂前でかならずお辞儀をする姿を目にし、ガキ時分には「面倒くせえ〜」と思ったが「それこそ正しい姿」と現在は改心しました……
 背後は「ご本尊?」のような元麻布ヒルズ。目にするたびセンスを疑う建物です。

 参道にある「柳の井戸」は、開祖とされる弘法大師空海の伝説が伝わるもので(寺は真言宗から浄土真宗に改宗)、背後に大きなくさびを打ち込まれても(上写真)、地下水路は無事のようで、わき出す様子がうかがえます。

 ここは「麻布山 善福寺」とされ、地名由来とされます。
 麻布でも庶民的と感じる付近は川沿いの低湿地だったため、古くから庶民が暮らした歴史によるのでしょう。
 きちんと楽しませてくれそうな「まじめさ」への期待はあるも、気取った顔が多い町なので、そんな連中向けにシフトしている印象を受けます。
 西麻布も楽しそうですが、海老蔵事件のように六本木に飽きた不良たちが引っかかる場所柄と比べると、安心して歩ける町に見えます。


三田小山町(Map)

 何年か前この地を訪れた際、再開発の波に飲み込まれる寸前に見えた町並みは健在でした。
 周辺の再開発計画は港区主導で工期設定があるも、すでに完了した2区画の建物を見上げると、行政相手の抵抗ではだだをこねる程度しかなさそう、と思えてきます。

 以前は水車小屋のある低湿地で、その水を利用する製紙工場もあった地域ですが、現在では「麻布十番至近」という場所柄から、税収アップのターゲットとされます。
 部外者の目から再開発の建物は「できちゃった」で終わりですが、昔ながらの町並みには何度も足を運び、懐かしさに浸りたい心情を引きつける力があります……


追記──ビットコイン問題の「痛さ」を理解できない

 「ビットコインがなくなりました」の謝罪会見には、子供銀行の仮想紙幣をなくした子供の「哀れみを乞う」ような姿が重なるため、なおさら「ままごとだったの?」と感じる面があります。
 利用者が価値を認め世界中に広まったなら、それを狙うサイバー泥棒は懸命にその鍵穴を狙うことは理解できるはずなのに、「システムの不具合」を理由とするあたりに「サイバーキッズの未熟さ:社会見識不足」を感じてしまいます。
 ルパン三世は鼻で笑って手を出さないが、峰不二子には小遣い稼ぎに「ちょっと拝借!」と小手先でできそうな犯罪に接し、どれだけ「裏で取引したいマネー」が存在するのか? と呆れます。
 そんな社会のゆがみに対し「世の中は間違っている」と感じながら生きていくのでは、希望すら感じられなくなりそうです……