2013/06/24

意匠(デザイン)を競う──両国〜蔵前

2013.6.8【東京都】──大江戸線を歩く_5



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江戸東京博物館(Map)


 地下鉄大江戸線両国駅は、JR駅と江戸東京博物館(右)をはさんだ反対側に位置し、付近には以前暮らしたとされる葛飾北斎の浮世絵を飾る「北斎通り」が整備されます。
 その通りは、本所南割下水(わりげすい:道の中央に通した下水路)を暗きょ化した道路で「南割下水通り」とされますが、響きがよくないため江戸東京博物館の建設に伴う整備で名が改められます(以前の名をよく付けたと思います)。
 ですが、北斎に関する正確な記録は残らないため、根拠は心細そうです。


 江戸東京博物館の巨大な傘の下(江戸東京ひろば)で、江戸芸かっぽれ(大阪住吉大社の住吉踊りに由来する)家元の、櫻川ぴん助社中の大道芸に遭遇します。
 自己紹介では「東京都知事石原慎太郎に認定された」と、同級生のような口ぶりです。
 年配の踊り手たちが体を張り「ご祝儀を!」とアピールするも、客層が違いすぎて苦戦の様子(右下に認定証を掲示した投げ銭受けのトランクがある)。


東京都慰霊堂(Map)

 関東大震災での身元不明者の遺骨を納める震災記念堂として建てられ、現在も都知事出席で慰霊祭が行われます。
 当時付近には陸軍の施設があり、被服廠跡(縫製工場)の名が通る地です。
 コンクリート製で存在感ある三重の塔(地震・火災に揺るがぬ建物を目指したのでしょう)ですが、内部の質素な様子から教会を想起するのは、祈りの場という性格によるのでしょう。



「駒形どぜう」(Map)


 店内からナオト・インティライミのような姿が出てきます。
 1801年創業当時の駒形は浅草寺参りのメインストリートで、かなり繁盛したようです。
 道路は真っすぐ伸びるも、いまどき門前は「仲見世通り」までの認識でしょうか。
 「どじょう」は当時「どぢやう」or「どじやう」と表記され、それを嫌った店主が看板を「どぜう」としますが、現代でも通じますから英断と言えそうです。
 以前、利根川付近で食べたものはおいしかった記憶があります(ここは未経験)。




バンダイ本社(Map)

 どぜう屋の路地向かいに、ドラえもんやウルトラマンが立ち並びます。著作権使用料だけでも、人気者を並べるにはお金がかかりそうです(奧には仮面ライダーも)。
 ここは玩具メーカー「バンダイ」本社で、お金は払っても「やれるのはウチくらい?」が自負のようです……

 この家族には勢いがあり、他人のカメラを気にすることもなくはしゃいでいたので、撮っちゃいました。

 野球盤ゲームの「エポック社」も近く関連会社と思うも、「ガシャポン:ガチャポンと思ってた」で特許権を争う間柄と。共に玩具問屋が多い地に立地したようです。


 この地に勤めたらアフター5が楽しそうだなぁ〜。



厩橋(うまやばし)周辺(Map)

 右は厩橋のたもとにあり、一見「ピカソ?」の印象もすぐにピンとくる、これぞアートのあるべき姿という公衆トイレです。

 付近には歴史や意匠(の表現が似合う)に関心引かれる建造物が多く、四つ角で見回すと「アレは?」と気になる建物がひとつふたつ目に入るため、横道にそれるばかりでなかなか前に進めません。
 2時間程度の行程を3時間半くらい楽しめました。
 それを「粋を競う町」とするならば、素晴らしい伝統が継承されていると言えそうです。
 付近では倉庫を改装した店舗(Cafe、レストラン、バー)がはやっていて、どこもイイ感じの印象です。
 近ごろの「バイク:自転車」にはスタンドがついてないので、サドルを引っかけて駐輪するようです(右)。
 これって西部劇映画で目にした、店の軒先にある馬をつなぐ柵のようで、カッコ良く見えたりします。
 手前のスタンド付き(左下)は、仲間はずれです……
 今どきの結婚披露パーティは目新しい場所を選ぶらしく、付近でもそんな集団を見かけますし、ウエディングドレス姿の女性が町中を走る姿を見かけました(映画『卒業』のキャサリン・ロスのようでカッコイイ)。
 地方出身の方は地元と生活の場で開くらしく、東京のパーティではじけたくなるのかも知れません。

 以前は「どぶ川」呼ばわりされた川が、「リバーサイド」として持てはやされるのですから、「環境資源は再生可能」をキーワードにできれば、さまざまな場所でもっとビジョンが広がるという気がします……(右写真奧の窓は隅田川に面する)


追記──富士山が世界文化遺産に登録されました。

 近ごろは登山者が増え過ぎ、環境保全のために入山料を徴収するらしいが(1,000円程度なら皆よろこんで払いそう)、これ以上登山者が増えても困るような気もします。
 でも周辺地域への観光ツアー誘致には、絶好の起爆剤になりそうです。
 海外からの観光客にも「spiritual」とシンボリックに映るようなので、地元の方々と気持ち同じく、多くの人に「fujiyama」を見てもらいたいと全面的に応援します!

2013/06/10

永遠に不滅の下町文化──森下〜両国

2013.5.25【東京都】──大江戸線を歩く_4


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かき氷屋(Map)


 上は森下駅近くの裏通りにある「岸氷室(ひょうしつ):製氷店」では、夏場だけかき氷を出してくれます。
 全品100円の手頃感や、時間をかけて凍らせた透明で堅い「純氷」(焼酎の名前?)の使用が人気のようです。

 これぞ「下町」の光景で、遊んでいる子どもや、家族で外出の際「寄らない?」の誘いに、全員が「行く行く!」と即決しそうな気安さが感じられます。
 店先の縁台で口にすれば、全身がシャキッとして「もう一汗」いけそうです。

 右奧のビルは、下町文化の銭湯は「永遠に不滅」を織り込んで隣接地に建てたのでは?
 洗濯物も見え「下町の銭湯至近。煙の心配なし!」が売りで、入居者も銭湯に通っているかも知れません。
 それは、ひとつの贅沢です……


江島杉山神社(Map)

 第5代将軍綱吉は、江ノ島弁財天に月参りする杉山検校(けんぎょう:江戸時代は視覚障害者最上級の官名。彼は江ノ島で鍼治療を会得)をふびんに思い、欲しいものを尋ねると「ただ一つ、目が欲しゅうございます」の答え。
 それに対し綱吉は「本所一つ目の地を与え、江ノ島弁財天を勧請した」逸話が残ります(「○つ目」は、隅田川から○番目の橋の意味で、三つ目通りなどに名が残る)。

 江ノ島に祭られる宇賀神は梵語の「ウガヤ:白蛇を意味する人頭蛇身の弁天様」なので、ここの岩屋にも白蛇が供えられるようです。


竪川(たてかわ)(Map)


 森下と両国の間には人工水路の竪川(小名木川と平行に開削された)があり、真っすぐに伸びる水路上には現在首都高小松川線が通ります。
 仙台堀川同様に大横川以東は、公園や親水公園とされます(水路存続には水位調整が必要になる)。

 上は、背後が竪川に面する建物で、以前は材木屋と思われるたたずまい。
 竪川は石材商、大横川には材木商が多かったとされますが、いずれも資材輸送路である水路際に栄えました。
 水路が木材で埋め尽くされ「木場:現木場公園付近」が整備されますが、その後ゴミ埋立地に追い立てられ、新木場に移転します。


吉良邸跡(Map)

 観光名所としたい「吉良邸跡:忠臣蔵の敵役が討ち取られた地」には、なごり程度の区画が確保され、隣接の土産物店が続けられる程度の人出はあるようです。

 右は近所にある「鏡屋」の2階にはられた鏡。
 カメラ位置の向かいのマンションからは、光の反射に苦情がありそうですが、逆に「マンションが建ったせいで、輝きを失った!」の反論もありそうな気がします。

 下の光景から、下町では必要なものは受け入れるが、飾ることなく次の必要に備える、合理性(エコ=倹約)の意識を感じましたが、その印象って伝わります?



回向院(えこういん)(Map)

 ここは1657年「振袖火事:明暦の大火」で亡くなられた方を葬るための「万人塚」に始まります。
 そのためか、江戸時代の義賊(ぎぞく:違法・反社会的行動が大衆に支持される)鼠小僧の墓もあります。
 鼠小僧の墓石のかけらを持つと「賭けに勝つ」「運がつく」とされ、受験生には「するりと入れる:それを縁起担ぎと言えるのか?」で評判らしい。
 現在墓前には「削り墓石」が置かれ、右のように削る手は休みないため、「手タレ」で登場いただきました。

 1781年境内で行われた勧進相撲が現在の大相撲の起源とされ、付近に旧両国国技館が建てられました(1909年)。


両国国技館(Map)


 大相撲期間中の両国国技館に接したのは初めてで、のぼりも番付順に並ぶ様子に納得した次第。
 この日は五月場所(夏場所)14日目で、横綱白鵬 vs. 大関稀勢の里の全勝対決で盛り上がり、便乗も含めて周辺は「ざわざわ」していた印象があります。
 この日負けた稀勢の里も内容は良かったので、次場所でも活躍できればファンの心をつかめると期待しています。


追記──祝 サッカーWカップ出場決定!

 わたしも「思いっきり、ど真ん中にけり込んでやれ〜!」と声援を送っていました(言うのは簡単ですが……)。

2013/06/03

情緒を創出する「庶民力」──森下

2013.5.18【東京都】──大江戸線を歩く_3


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西深川橋(Map)


 小名木川に架かる西深川橋の北側に、シーラカンス像があります。
 江東区の橋梁景観整備事業により設置され、題名は 「ゴンベッサ」。
 コモロ諸島(アフリカ大陸とマダガスカルの間)でのシーラカンスの呼び名で、食用に適さず「役に立たない」に由来するらしい。
 役所は、意味も無い役立たずでも、話題作り(になってる?)でGOしたようです。 
 上写真は「それでいいの?」を伝えるために掲載しました。


高橋(たかばし)のりば(Map)


 「江東水上バス」は2002年に廃止されますが、待合所は以前と変わらず憩いの場としての情緒が保たれています。
 正面の色あせた看板には「高橋のりば」とある。

 ほかの閉鎖施設は荒廃などで立ち入り禁止とされますが、ここは遊歩道に面し、近所の方々も利用するためかとてもきれいで、対岸からは「もうすぐ船が来そう?」な、にぎわいに見えたりします。
 ここは亀戸〜お台場航路の停船港で、ルート設定に疑問も感じますが、前回歩いた扇橋閘門(こうもん)を通ったことを知り、乗ってみたかったなぁ、と……


萬年橋(Map)


 付近は相撲部屋の多い場所柄で、道を歩くゆったりとした相撲取りの動作や、橋のたもとで耳にする三味線の音には、時間の流れ方が違う? との錯覚に陥ります。
 上は江戸市中側の小名木川入口である萬年橋で、当初の川船番所は付近にありましたが、後に旧中川側(前回の水陸両用バスのスプラッシュポイント)へ移されます。
 浮世絵でよく見かける大きな弧を描く太鼓橋の姿は、絵師たちの誇張にも思えますが、川の入口にあたる橋は「門」として派手な造りとされました。

 橋の奧に見える、形状は違うが橋のデザインに倣うような建物は、地図を出版する昭文社のビル。景観への配慮という粋な計らいが、町を楽しいものにしてくれます。


 小名木川が隅田川と接続する北岸には、松尾芭蕉(1644〜94年)が暮らした「芭蕉庵」がありました。
 現在その地には「芭蕉稲荷神社(上)」が祭られ、川岸には「芭蕉庵史跡展望庭園」が整備されます。
 運河と川が接続する付近の水面(みなも)は広く、当時は見通しも利いたことでしょう(現在も風が心地いい)。
 また、「水路の角地」の夜はものさみしかったことも、落ち着けた理由かも知れません。
 芭蕉は蛙の石像を好んだそうで、神社には多くの像がありますが、上はもっともそれらしく見えた蛙。

 付近に配される芭蕉の句に接し、この歳でようやく味わえた? に至るには「年輪」が必要だったようです。
 そんな教材を小・中学校で押しつけられても、理解できるわけがありません。
 でも、それを忘れなかったのはとても大切なことです。

 右は展望庭園脇にあるCafeの装飾。


 隅田川堤防に広がる「緑化プロジェクト」のようで、気持ちよく歩けますし、とてもいい取り組みと実感できます。
 近ごろ多く目にする子どもたちがペイントした壁は、表情が変わらないためほほ笑ましく感じるのは一瞬ですが、季節の変化には無意識に関心が向くことに気づかされます。
 植物に覆われると亀裂点検などの障害となりますが、そこは最新技術でカバーして欲しいと思うところです。


新大橋(Map)


 隅田川に架かる国の重要文化財清洲橋に隣接する「新大橋:斜張橋」は、清洲橋が体現する重厚さの対極を目指したようにシンプルな構造です。
 何事も「シンプルなものほど美しい」を信条としても、これは単純化しすぎに見えてしまい、「主塔やケーブルは飾り?」の間違った印象を与えそうと思ったりします。


 森下の地には、ずいぶん前のプロジェクトがぽしゃった際、仕事の手伝いで訪れて以来か? の記憶をたどると、サッカー日本代表の「ドーハの悲劇」にたどり着きます。
 てことは「Jリーグ開幕20年」と同じ年なので、20年ぶりだったか……
 「安いのにネタがいい!」と驚いた、大人気の居酒屋「魚三」は健在でした。今度行きませんか?