2013/12/30

「逆さま」という視点──練馬春日町〜光が丘

2013.12.21【東京都】──大江戸線を歩く_28


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光が丘団地(Map)


 現在では死語となった(?)「マンモス団地」の表現を思い出す光景が広がります。
 この集合住宅群は、現在の都市再生機構(UR)と東京都住宅供給公社が建設しますが、入居開始の1983年から1991年大江戸線開業まで通勤には不便な場所柄でした。
 最寄り駅も、東武東上線 or 西武池袋線という広い住宅群のため、入居申込みに当選しても場所が選べないため、不便が予想される団地でした。
 上戸彩ちゃんはこの団地出身らしく、団地育ちとしては親近感を覚えたりします。

 思い出すのが、板橋区蓮根で暮らす時分に観た、映画『となりのトトロ:1988年』のテーマソングを買うために、ここまでオートバイで走ってきた記憶です。
 どうしてもその日「トットロ!」と声を出して歌いたかったんでしょうね……


光が丘公園(Map)

 団地を背にした公園側には広い空が開けます。
 戦争時まであった日本陸軍成増飛行場や、敗戦後接収され米軍家族宿舎のグラントハイツとされた時分は、建造物の高さ規制が必要でも、それには及ばない時代でした。
 米軍施設返還後の再開発で、景気づけの高層団地建設は単発で終わり、現在も付近では高い建物は必要とされないため、広い空が保たれているようです。

 公園には、陸上競技場、野球グラウンド、テニスコートなどの運動施設が整備されたことから、敷地は広大でも「だだっ広さ」を感じない、神宮外苑的な性格に見えます(右写真は振り返っちゃいました)。


 武蔵野の雑木林の記憶を伝えるためか、落ち葉をそのままにした林を歩く感触からは、じゅうたんなど比べものにならないほど、ファンタスティックなものが伝わります。
 それは、落とし穴があったりするかも? の、ドキドキ、ワクワク感に近いかも……


 前日の雨で出現した水たまりが遊び場となるこの区域はプレーパークとされ、施設管理者の元であれば火を使うことも許される、子どもたちの「自由空間」です。
 右の絵から宮沢賢治の世界を想起したので調べると、「逆さま」というキーワードを目にします。
 鏡で左右の逆を知り、水たまりから天地(上下)の逆を知ることにより、物体や事象の奥行きを学んでいくという、素晴らしい視点!
 「そこに映る姿はボクに似てるけれど、どうしても自分とは思えない」(創作です)、などと悩みながら世界を広げていくのでしょう……

 正・逆は物理学にも通じる「対称性」を示す状態です。
 賢治は、2013年ノーベル物理学賞とされた「自発的対称性の破れから生まれるヒッグス粒子」の研究(内容の理解に自信はありませんが)を、自然観察から感じていたのか? そんな視点で著作を読み直してみたいと、思ったりします。
 

 上は4面の野球グラウンドが、四つ葉のクローバーのように配置された外野が接する場所で、右ポールは右グラウンドのレフト、左ポールは左グラウンドのライトポールです。
 草野球では、仕切りのない広いグラウンドを複数面で利用することがあり、外野の部分が隣と接する場合があります。
 往々にしてグラウンドルールには「外野を抜けたらフリー:隣のグラウンドに入ってもオンプレー」が適用されます(隣ではプレーを止めて、成り行きを見届けます)。
 それも草野球らしさですが、ここではこの土手をゴロで越えたら2ベースというルールの下で、人権が尊重されるプレーができるのでは? と思ったりしました……


練馬大根・キャベツ畑(Map)


 12月始めに「第7回練馬大根引っこ抜き競技大会」が開かれたと耳にし大根畑に足を運ぶも、主に年末年始向けの「たくあん」用とされる収穫は終わっていました。
 上は、農家で利用する分が残された様子。

 普段の社会活動はビル街中心なので、不平を言う気はありませんが(ビル風は何とかならないか?)、「空が広い!」と感じるの心象から、われわれは必要なものを我慢していることに気付かされます……

 右は練馬らしい風景ですが、これが平成版「東京の原風景」なのでは、という気がします。
 この付近には、我慢できる程度の不便さで、のんびりとした環境で暮らせる魅力を感じたりします……


追記──仲井真沖縄知事が、辺野古沖埋め立てを承認

 沖縄がおかれた状況での、現実的選択のようです。
 わたしとしては、沖縄人(うちなー)をなめきった日本政府(やまと)の態度を許すべきではないし、可能であれば「独立国家」を応援したい気持ちはありますが、現実的ではないとの判断なのでしょう。
 ですが知事は、琉球王国時代から唯一の武器とした「交渉力」で、自身が「盾」となり、やまとの首相から「約束の言葉」を引き出しました。
 その功績は大きくとも、うちなー全員が満足できるものではない現実があります。
 そのため今後も「沖縄の政治家」は、明確な意志を持って「うちなー」を守る覚悟を持たねばなりません……


追記2──ドラマ「海の上の診療所」終了

 瀬戸内海の無医島を巡る病院船で働く医師の物語です。
 そこには「Dr. コトー診療所」後継の鉱脈を探し当てたか? の期待や、美しい瀬戸内の景色を舞台としてくれ、感激しきりの思いがありました(もっといい景色はいくらでもありますが…)。
 毎回登場するマドンナに失恋する様や、ラストで松田翔太&武井咲(いい娘だねぇ)二人による、往年の「時間ですよ!」の堺正章と浅田美代子のような場面で、咲ちゃんの「ちゃんとして!」のスリッパ叩きは痛快でした。
 ですが、医療ものでのおちゃらけが敗因か、視聴率は低調だったらしい。
 せっかく瀬戸内海が舞台の物語ですし、続編を願っていたのですが……

2013/12/23

エルドラドの夢──豊島園〜練馬春日町

2013.12.14【東京都】──大江戸線を歩く_27


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豊島園付近の寺町(Map)

 地下鉄大江戸線豊島園駅前に、田島山十一ヶ寺という浄土宗寺院が軒を連ねる一画があります。
 元は浅草にあった誓願寺の塔頭(たっちゅう)でしたが、関東大震災の後に本寺は府中に移転するも、塔頭はこの地に集団移転します。
 塔頭とは、本寺の高僧の死後、弟子が師を慕って敷地内に建てた小院のことなので、本寺と分かれてしまうと、より所あらずの印象を受けます。
 ですが、広い墓地を共に守る姿からは、共同体の大切さが伝わります。
 右の手榴弾のような石は、立ち入るべからずのしるし。


としまえん(Map)


 園内の回転木馬は、1907年にドイツで製作され「カルーセルエルドラド」の名を持ち、日本に現存する最古の遊戯機械として2010年「機械遺産」に認定されます。
 彫刻はすべて木製の手彫り(もちろん木馬も)だそうで、細部を見ると子ども向けではない、作者のロマンや世界観が込められた、芸術作品的な味わいがあります。
 アメリカで乗ったとされるアル・カポネは、退廃的な「黄金郷:エルドラド」を夢見たのではあるまいか。
 そんな舞台にロバート・デ・ニーロが登場したならば、馬の表情も豹変し倒錯した世界になりそうな怪しさを秘めています……(そんな映画のシーンありましたっけ?)


 プールの監視台を転用? のソリは、スケートリンクで格好の遊具になります。
 ガキ時分のリンクに遊具の類はありませんが、札幌冬季五輪の時代なので、選手をマネして楽しんでいた気がします(もうスケート、スキーは行かないだろうなぁ)。
 子どものヘルメット着用義務は大切ですよね。ニット帽をかぶっていても、不意の転倒で後頭部を打つと「\☆/」が飛びましたもの。
 ガキ時分はスケートに限らずよく頭を打ちましたが、結構大丈夫なもんだと思っていますが、それは間違いです。

 練馬区なのに「豊島園」とは、以前豊島氏が治めた練馬城跡地に立地することに由来。


点在する生産緑地(Map)


 夕方の野菜無人販売所は、近所の人が入れ替わり立ち寄る人気スポットです。
 何たって値段の安さ、地産地消の新鮮さ、生産者への信頼感の三拍子ですから、生鮮品直売の基本といえそうですが、ロッカー式なのは都市近郊ゆえの不心得者対策のようです。
 ですが全部売れても1万円に満たないと考えると、サイドビジネスではなくご近所サービスに近い気がします(消費者の笑顔に接することが喜びなのでしょう)。

 右は、農地で体験農場の世話や、採れた農産物でもてなすレストランを経営している農家の屋敷です。
 農地を全部見てはいませんが、生産緑地に指定された農地でも農業とされる生産活動はしてないように見えます。

 副業で生活しているように見えるのはカモフラージュで、本業となる「大地主」では賃料収入だけで左うちわの、土地成金なのでしょう。
 以前「練馬大根」で名をはせた農地を、全部手放せなかった農家は、節税対策で生産緑地指定を受けるも、30年間は転売できないため、ご近所へのサービス業として「庭いじり」程度の活動を「日課」としているようです。

 右は高松八幡神社で、大根畑に浮かぶ鎮守の森が、現在は住宅街に囲まれ、環状八号線を背負う場所柄となり「性格変えなきゃ!」(って、昔なかった?)かも……


追記──猪瀬東京都知事辞職

 周囲に政治のプロがいなかったとすれば、石原前知事のアドバイスが足りなかったと受け止められます。
 最大の使命であった「東京五輪招致」を成し遂げてご苦労さんでは、青島元知事(都市博中止)のパフォーマンスと変わりませんし、毎年知事選挙をする都市を首都とする国への信頼も失われかねません。
 利権が集中する東京の頭を各政党は虎視たんたんと狙うようですが、住民とすれば、特別な都市ではあるが「普通の生活をさせてもらいたい」と、願うことでしょう……


追記2──ビッグコミックオリジナル『あぶさん』完結。

 ついに、その時が!(連載期間:1973年〜2014年2月終了予定)
 調べると主人公「あぶさん:景浦安武」は、南海の藤原満、ロッテの有藤道世、阪神の田淵幸一、広島の山本浩二の同期とあります(ご存じの方は少なさそう)。
 近ごろは、歴代ホークス(福岡ダイエー、福岡ソフトバンク)が優勝すると、思い出したように買う程度でしたが、実在の関係者を取り上げる「ヒューマンドラマ」的な物語から、舞台裏の人情を垣間見た思いがして、とても引かれる作品でした。
 大阪の地下鉄に「中百舌鳥:なかもず」の行き先表示があり、登場した南海ホークス二軍練習場があった場所に一度はと思っていました(付近の「仁徳天皇陵」を訪問)。
 漫画でしか描けない面白さ・痛快さが込められた物語でした。
 ありがとうございました。

2013/12/16

若く見えるのはなぜ?──練馬〜豊島園

2013.12.7【東京都】──大江戸線を歩く_26


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練馬大鳥神社(Map)

 練馬=郊外のイメージでは失礼と思うも、練馬駅北口側の第一印象「高い建物が見当たらない」は、正直なところです(空が広い、くらい言わなきゃ…)。

 右は駅南口側にある練馬大鳥神社で、三の酉まであった祭事も終わり閑散とした境内で目に留まったのが、ちょうちん文字の周囲に描かれたヒゲ(?)です。
 仕事柄思ったのは、文字にシャドウをつけて、立体的に見せるための工夫ではないか? というもので、墨一色ででグラデーションを表現する技法とも。
 その意図はしっかり伝わってくる気がします。


信行寺周辺(Map)

 右写真は美術館かと思うような建造物ですが、お寺の入口です(右に信行寺とある)。
 今風のデザイナーに依頼したかの斬新さは、カッコイイとすら感じますが、それよりも檀家さんは納得したのか? 意見を聞いてみたいところです。
 いやだからと先祖の墓は移転できないにしても、設備のバリアフリー化は大切な要件なので、その辺が落としどころかも知れません。
 以前は、苦労しながら足を運ぶことも供養でしたが、段差の有・無には天と地の開きがあります……



練馬総合運動場(Map)


 石神井川に面した練馬総合運動場の周囲はイチョウの大木に囲まれており、光りの加減ではまぶしいほどなので、ボールの遠近感判断が難しそうな気がします。
 以前は中央大学のグラウンドで、競技記録会において、日本で初めてスターティングブロックを使用したとされます。
 川のはんらん原のような広場でも、野球やサッカーが同時に何面も取れるグラウンドを使える現代のガキどもをうらやましく感じますが、みんな将来のスター選手候補ですから(?)楽しみに!

 考えてみるとガキ時分の少年野球グラウンドは、学校の校庭くらいしかなかった気がします(事故防止のため、自転車でなく歩いた記憶がある)……


 子どもを見守る今どきのお母さんの姿はカッコよく、自分の小学生時代と比べると、初産高齢化とされ年齢は高いはずなのに、若く見える気がします。
 ナチュラルな化粧やカジュアルな格好は、活動的と感じるさせる力がありそうです。
 昭和期の母親には、外出時の身だしなみに「赤い口紅」をつける習慣があり、それが子どもを委縮させたようにも思ったりします……

 あおりを受けるオヤジたちはイッパイな上に、パートで働く奥さんからグチの先制攻撃を受けると、グチも封じられ言葉数も少なくなります。
 ガキの頃と現在の視線は違うにしても、「お母さんは若く見える」に対し「オヤジは変わらない」ですから、「オヤジ頑張ってるか〜⁉」のエールを送りたくなります……


西武池袋・有楽町線 練馬駅(Map)


 2013年3月相互直通運転を開始した地下鉄副都心線〜東急東横線を初めて利用し、グレーゾーンだった池袋から先の東武・西武・地下鉄有楽町線との関係を理解しました。
 副都心線は東武東上線と乗り入れる和光市駅を起点とし、小竹向原駅までは線路・駅等の施設を有楽町線と共用しますが、そこから池袋間は独自の施設を有する複々線となります(以前新線とされた部分)。
 池袋〜渋谷間では埼京線と競うため、副都心線には急行が運行されます。
 メインの東上線から乗り入れる急行列車は東横線で特急になるため、とても便利な印象がありますが、渋谷から東横線に乗る人はほとんど座れなくなりました。
 一方、西武有楽町線(練馬〜小竹向原間)から乗り入れるサブ的な西武池袋線は、東横線で急行となります。

 都内最後の地下鉄とされる副都心線建設には、これまでのノウハウと最新技術が注がれており、1927年開業の銀座線と比べると「隔世の進歩」を実感できます。
 都内では、1951年丸ノ内線〜2004年副都心線開業まで、穴を掘り続けてきました。
 もう作る場所も無いので「もう十分」と思う反面、ずっと建設中の時代を生きてきた者は「東京の伸び代も頭打ち?」と、さみしさを覚えたりします……


追記──「カー娘」が「カーママ」として復活!

 カーリング女子がソチ冬季五輪出場権を獲得しました。
 その戦いでは、トリノ冬季五輪(7位)で「カー娘」と呼ばれた「チーム青森」の小笠原歩(旧姓 小野寺)と、船山弓枝(旧姓:林)のリーダーシップが発揮されます。
 追い詰められた場面での勝負強さに感心させられる小笠原選手には、女性版「星 飛雄馬」のような闘志が感じられ(魅力的!)、引き込まれてしまいます。
 五輪では、結婚〜出産からの復帰に「お母さんガンバッテ!」と応援しましょう!


追記2──大河ドラマ「八重の桜」が終了しました。

 当初は、綾瀬はるかで大丈夫か? でも、頑張っていたと思います(彼女色を出すにはまだ10年かかりそうですが)。

 明治維新において、新政府からいわれなき追討令を受けた会津の人々は、新政府の中枢を担う長州藩を現在まで恨み続け、震災支援を受け入れるまで拒絶し続けたとのこと。
 そんな会津人の腫れ物にさわるような題材なだけに、きちんと描くことに気を使うばかりで、主人公の「ハンサムウーマン 八重」の輝きに物足りなさを覚えます。
 本作のおかげで、会津人気質と当時味わった遺恨の深さを理解できたと思うので、困難でも「やるべき題材」に挑んだことを評価すべきなのでしょう……

2013/12/09

学生街+商店街の楽しさ──新江古田〜練馬

2013.11.30【東京都】──大江戸線を歩く_25


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西武池袋線 江古田駅周辺(Map)


 いきなりですが、駅のホーム脇にあるダンススクールと言えば? 映画『Shall we ダンス?』(周防正行監督 1996年)で、役所広司が草刈民代を見かけたダンス教室と思うも、ホームに屋根ができたため見上げられません。
 映画では3階を見上げる様子も、ここはホームと同じ高さの2階。撮影は3階を借りたのか?
 建物の入口にピンと来て、健在のうちに会えてよかったと(隣接地はさら地)。

 右は、日本大学芸術学部のイベントスペースで、芸術作品をアートしようと……
 初めて訪れましたが、建て替えられた校舎はキレイ過ぎちゃって、趣のかけらもないただのビルでした。
 ※この駅名だけ「えこだ」で地名は「えごた」と読む。

 見事なネーミングに目が留まりますが、健在? 確かめてませんが営業しているようです。
 カウンターが逆U字型のカクテルバーで、売りは名物ママとのこと。日芸の学生が多いことからも、気軽に入れる店らしい。
 コンパとはドイツ語の「仲間」等を語源とする「みんなでワイワイ飲むお店」のことらしく、われわれが使用した意味と大差ないようです。
 そういえば、以前他の町でも「○○コンパ」の名称を見かけた気がしますが、現在東京ではここだけとのこと。
 それにしても、入口にあるアーチ状の電飾には、昭和のキャバレーを想起してしまいます。


 三大学キャンパスの最寄り駅で、駅を中心とした狭い地域に肩を寄せ合い活気を生み出す商店街に、通った大学近くの京王線下高井戸駅周辺を想起します。
 関東大震災(1923年)以降、地方からの流入者は下町ではなく高台を目指すようになり、武蔵野の人口が爆発的に増加し、東武東上線(大山 等)、西武線、中央線、京王線、小田急線(下北沢・経堂 等)、東急線(三軒茶屋、戸越 等)沿線に、庶民の町が誕生します。
 商店街に感じるなじみやすさや親しみは、食料品や日用品を扱うからではなく、日常生活の一部となる「アイコンタクト:あいさつ」や「仲間意識」の楽しさにあることを、ひとりで暮らすようになって実感するようになります。
 現在暮らす田町付近にあるのは商店街ではなく飲食店街ですが、「労働者の苦悩」が伝わる空気感には、ある種の共感を覚えたりします……


武蔵野音楽大学(Map)


 江古田駅の看板に「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子の漫画。それを原作にしたテレビドラマ・テレビアニメ・映画などがある)の絵があるのは、漫画がこのキャンパスを舞台に描かれたためらしい(どれも未見)。

 幼児教育にも取り組むようで、子どもたちが楽器を持って駆け込んでくる姿を目にすると、どの子も応援したい気持ちにさせられます。
 楽団員が楽器を運ぶ姿を、一度撮りたいと挑んだのですが……

 下は武蔵野稲荷神社の派手な装飾。
 天理教系の新興宗教施設を武蔵野稲荷神社が利用しているため、こうなるらしい。



武蔵大学(Map)

 本学の前身である旧制七年制高等学校は、1922年東武鉄道を中核とする根津財閥により開設されます。
 南青山の根津美術館は、初代のコレクション展示施設。

 関連として、父の実家に近い羽根木公園(世田谷区)は、以前根津財閥所有地だったため「現在も地元の古老には『根津山』と呼ぶ人がいる」とはその通りで、父方の親せきは皆そう呼んでいます(地名にはない)。
 もうみんな「古老」とされてしまうのかと……

 武蔵野の地にこだわった校名のようですが、東武鉄道系なのに現在は西武池袋線沿線になります。
 どちらの事業者も、事業拡大の買収を目指していた時代の名残のようにも……


 右は交通情報でよく耳にする環状七号線の豊玉陸橋(目白通り×環七交差点)。
 下を通る目白通りはいつも混雑する印象があり、訪問の土曜日はスムーズでも、2010年東京都内の交差点事故発生数でワースト2とのこと。
 右・左折時の事故が多いらしいが、それは交差点の構造や信号表示の改善で減らせるはずですし、分かりづらい交差点が多数野放しにされているのは、管理側の責任に思えてなりません。

 大江戸線はこの交差点の地下を通り練馬駅へ。


追記──サッカーワールドカップの対戦相手決定

 どこを見ても格上ばかりですから、いい悪いを言える立場では無く「チャレンジあるのみ!」です。
 対戦相手国の紹介を見ていて、対戦の予備知識として相手国を研究することが「世界観を広める」に通じることに気付かされます。
 コロンビアやコートジボワールという国に、これほど関心を寄せたことなどありませんもの。
 勝負なので何としても勝ちたいのですが、その対戦から各国間との理解や交流を深めることができれば、大きな意義として記憶されることでしょう……

2013/12/02

受け継がれる遺産──落合南長崎〜新江古田

2013.11.23【東京都】──大江戸線を歩く_24


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トキワ荘モニュメント(Map)


 前回薄暗い帰り道に見かけたので明るい時間に再訪すると、「あった!」と目指す人がいたりします。
 トキワ荘は、かつて手塚治虫、藤子不二雄たち漫画家が暮らした伝説のアパートで、1982年に解体されました。
 ガキ時分は「マンガ禁止」(テレビアニメは可)だったため、漫画家たちへの思い入れが形成されることはありませんでした。
 でも関心はあるので、歯科等の待合室でむさぼるようにマンガを読んだ記憶があります。当時は予約制でなく果てしなく待たされても「マンガタイム」を楽しみました。
 そんな連中が社会人になってはまるのか、職場で回し読みした記憶があります。

 当時の住所表記は豊島区椎名町で、最寄り駅である西武池袋線椎名町駅の発車メロディには『怪物くん』(藤子不二雄Ⓐ作品)主題歌が流れます。


みずのとう──野方配水塔(Map)


 モスクのようにも見えますが、この建造物も人々に「安心感」を与えてくれる施設です。
 この塔は、関東大震災(1923年)後の東京市近郊の急激な都市化による水需要の要請から、世田谷区喜多見の砧(きぬた)浄水場から多摩川の水を引いた「荒玉水道」の配水塔で、現在は中野区の災害用給水槽として活用されます。
 通った大学に近い京王線桜上水駅前の一直線に伸びる道は、導水管上に設置された荒玉水道道路で、真っすぐでも道幅が狭い上に電柱が邪魔で走りにくい道でした……

 今回も妙正寺川沿いを歩こうと立ち寄った哲学堂公園は紅葉まっ盛り(下)。
 京都「哲学の道」の紅葉を思い出します……



江古田公園(Map)

 妙正寺川沿いのこの公園も、下流域と同じく地下に調整池が整備されます(洪水が繰り返された地域)。
 この公園付近で支流の江古田川との合流し、下流域では氾濫危険度が高くなるため対策が進められますが、調べると2005年の集中豪雨では、これより上流の西武新宿線野方〜新井薬師前駅間で大きな被害を受けました。
 その後の対策では、環状七号線の地下にも調整池を建設したそうで、知れば知るほど都市インフラの複雑な構造に驚かされます。
 江戸時代の上水道確保・洪水防止も大変な事業でしたが、制約の多い現代では何十倍も複雑でお金のかかる事業となっています。


江古田の森公園(Map)


 2007年に開園した公園は、隣接する福祉保健施設「江古田の森:老人ホーム等」と共に、以前の国立療養所中野病院(主に結核患者の養生所)跡地が活用されます。
 上写真は療養所時代から受け継がれる森で、立派な大木が残された遺産といえるような一画です。

 一帯は、施設全体が防災施設としての活用を念頭に設計され、洪水時の調整池、耐震性貯水槽、防災用井戸などが設置されています。
 右は、外国人お父さん×日本人お母さんの家族ではなく、奧のベンチを紹介したかったものです。
 それは「かまどベンチ」とされ、座板を外すと災害時にかまどとして使用できるそうです。
 この公園だけで、周辺住民全体の面倒は見られないにしても、防災意識の啓もうにはとても役立ちそうです。

 公園を歩いて気になったのが「江古田」の読みです。
 われわれ来訪者には、西武池袋線駅名の「えこだ」の印象が強いのですが、中野区の正式名称は「えごた」で公園名も同じ表記です(「えこだ」読みの引用元は不明らしい)。
 都営大江戸線も「えごた」とくれば、あまのじゃくは西武鉄道。
 昔は「他社線とは乗り入れしない」と突っぱねたと聞きますから、有楽町線・副都心線と乗り入れた現在では少しは柔軟になったのか……


追記──アイソン彗星消滅

 100年に一度とされたアイソン彗星は消滅してしまったのか?
 太陽と非常に接近する予測から明るく輝くほうき星を期待するも、直径4.8km(推測)の物体が煙のように散る様には、宇宙のダイナミックさを思い知らされます。
 映画『スター・ウォーズ』(1978年)のデス・スター爆発ではなく、太陽に接近し過ぎて霧散してしまう「はかなさ」(鉄腕アトムのよう!:ロケットを抱え太陽に突入した)には、感情を投影できる気がします。
 国際宇宙ステーションの若田光一さんが、超高感度4Kカメラで撮影する計画も霧散(?)の可能性が…… わたしも早起きして写真撮れるか? と妄想していました。


追記2──近ごろの中国の強硬姿勢は「北朝鮮と同じじゃん!」

 反応はそれだけで十分という気がします……

2013/11/25

哲学(考えること)の必要──中井〜落合南長崎

2013.11.16【東京都】──大江戸線を歩く_23

 若い時分、西武新宿線花小金井駅付近に3年ほど暮らしましたが、同沿線急行通過駅の下落合・中井駅を利用した記憶はありませんし、車窓からの記憶もかなり怪しくなっているので、タイムマシンのインパクトが弱まってしまいました。


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中井駅付近(Map)


 中井駅は妙正寺川が丘陵地を浸食した狭い谷地にあり、その川っぷちに連なる長屋的建物には、染め物や工芸品の工房が並びます。
 昭和30年代まで染色関連業が盛んでしたが、それを受け継ぐ「染の小道(そめのこみち)」の催しでは、妙正寺川に反物をたなびかせる「川のギャラリー」が開かれます。

 上写真も川を背負う建物ですが、左看板にある「湯のし」って何?──仕立て前の反物に蒸気をあて、縦糸と横糸の繊維を均等にし、幅を整える作業とのこと。
 廃業した店舗のようですが、染め物が盛んだった時代を垣間見たようで、いい所に目が留まったと……


坂の上の住宅地──目白大学付近(Map)


 上は目白大学のはす向かいにある洋館ですが大学の施設ではないらしく、調べても実態は不明でGoogle Mapには「(株)秀英」とだけあります。

 谷間を通る妙正寺川と西武新宿線から北側の丘陵地に向かう坂には、東から西へ一の坂〜八の坂の名があります。
 四の坂には林芙美子記念館があり、右は七の坂。

 坂上の高級住宅地と川沿いの長屋的生活空間のギャップには、豊かさだけではなく、水害の有無という大きな問題を抱えているようです。
 何度も水害に遭った地域らしく川沿いには、地下に洪水防止用遊水地を供えた公園施設が点在します。

 下は、八の坂上に鎮座する中井御霊(ごりょう)神社。



哲学堂公園(Map)


 ここは、東洋大学創設者で哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祭る「四聖堂」建設に始まります。
 公園内ではさまざまな「考えるためのヒント」を目にしますが、個人が師と仰ぐ方々を祭っただけですから、特段の由緒があるわけではありません。
 後継者により拡張されたようですが、学術用語をそのまま表記するだけでは、もしそれを解説する人がいても「ふぅ〜ん」と、少し距離を置きたくなりそうです。
 ならば「哲学のテーマパーク」を目指し、一休さんのとんち(これも立派な考えること)等を取り入れ、子どもや若者の関心を引いては? としたら先生方に怒られるか……


 ここの建造物は、歌舞伎で見得を切るように「どうだ!」の自信作らしいが、解説を要する点では新興宗教の教祖様と変わらない印象を受けます。
 かみ砕いた説明を試みても、哲学は「考え方」の訓練であり、宗教のような「教え」ではないので、具象化された時点が「その考え方」の終点と感じられる面があります。
 考えは何度でも組み立て直せても、人は物質を作り出せません(建築物を立て直すことは容易ではない)。
 シンボルを建設するよりも、材料を与えてくれた「八百万の神:やおよろず」を原始宗教として封印せずに、考え直す方がよほど哲学的ではないかと思えます。

 若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
 さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
 ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
 それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(久しぶりの哲学テーマに熱くなりました)


 上は、哲学堂公園と妙正寺川を挟んだ反対側の妙正寺川公園で、下に貯水施設が見えますが、増水時には公園も水没するようです。
 ここで注目すべきは、奧にある住宅下部が柱だけの構造で、洪水時は住宅の下まで雨水があふれることになり、一度流れ込めば悪臭や衛生面の対応が必要になります。
 住宅建設の規制緩和のおかげ(?)としても、認めた国や自治体、住むことを決めた住人も「100年に一度の災害は頻繁に来る」と、覚悟を新たにした年ではあるまいか……


追記──「スイート・キャロライン」フィーバー!

 キャロライン・ケネディ米駐日大使が着任しました。
 日本側の歓迎ぶりには驚きましたが、彼女の物腰や品の良さが血筋以上に日本受けしたようにも感じます。
 近ごろ騒がしい中国の動向をけん制し、日米同盟の安定感をアピールするための看板には最適な人選と思われます。ヒラリー・クリントンは敵が多そうだが、彼女を悪く思う人は少なさそうなので、軽く丸め込まれちゃったりして……
 外交ですからすべて円満は無理としても、彼女に親日派となってもらえるようにアピールしたいところです。
 ですが着任のあいさつ後早々に、東北の震災被災地に足を運ぶ姿勢はパフォーマンスには思えず、ポイント取られっぱなしです……

※ニール・ダイアモンドの『スイート・キャロライン』(1969年)という曲は、彼女を歌ったものとは知りませんでした。
 リンク先の映像は2013年MLBオールスターのもので、くるものがあります。

2013/11/18

ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井

2013.11.9【東京都】──大江戸線を歩く_22


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東中野駅付近(Map)


 上は東中野にあるマニアックな映画館「ポレポレ東中野(旧BOX東中野)」。
 自分もマイナー映画好きの自覚はあるも、この映画館にはその下のアングラでも足りない「趣味」「ボランティア」のような印象があります。この日の上映作品は『ねむの木の詩』(宮城まり子監督 1974年)。
 写真の人だかりは、産直野菜(?)販売の買い物客で、奧のイベントスペースも「何の群れ?」と思うような人込みです。
 身近な仕掛けがうまいらしく盛況ですが、なるほど好きではない空間のニオイのせいで映画館にも足を運ばなかったのかと、納得しきりです……

 東中野駅は1906年(明治39年)、JR中央線の前身である旧甲武鉄道「柏木駅」として開業します。
  資料にも「柏木〜立川間の約27.4キロにわたる一直線路線は、新幹線以前は全国で3番目に長いとされた」と残る。
 右の「柏木不動尊」は、以前の地名が残っている程度の関心でしたが、手入れが行き届くだけでなく、毎年4月と11月にはお菓子や甘酒がふるまわれると知り驚きます。この写真も招かれ撮らされたのかも知れません。
 何でも、写真家篠山紀信の出身地は「東京市淀橋区柏木」の表記だとか。

 東中野日本閣(結婚式場)は再開発後、高層のツインタワーとなります。以前あった看板のインパクトが消え、建物内に健在も、無くなった? の印象を受けます。


小滝橋(おたきばし)付近(Map)


 上は神田川に面した甘味処で、小滝橋の近くになります。
 現在のコンクリート護岸では風情もありませんが、江戸時代には茶屋が並ぶような散策地だったそうですし、谷地という場所柄で人が集まりやすく、色気もあったのでは? という気がします。
 現在都営バス小滝橋車庫があり、ここより新宿大ガード西交差点に至る通りは小滝橋通りとされます。


落合中央公園、せせらぎの里公苑(Map)

 遠くからも目に入る高い場所にある野球場の照明灯には、何か川崎球場のような懐かしさが感じられ、かなり前の有藤、村田兆治などパリーグ選手がプレーしていそうな空気が漂います。
 落合水再生センターの屋上に作られた公園施設(1964年)なので、近ごろの太い鉄柱1本で支える照明灯は建てられないのかも知れません。
 こんな天気でも、草野球チームは張り切ってヘボ練習(失礼!)をしています。メンバー集めで苦労する分も草野球を楽しんだ記憶がよみがえります。


 同水再生施設上に設けられた「せせらぎの里公苑」には、右のようなレトロレンガ(汚水処理後に出る汚泥焼却灰を利用)が敷きつめられています(写真では分からないが、不思議な光りを放っていた)。

 なぜ下落合駅前の市街地に下水処理場が必要かといえば、新宿高層ビル街のトイレ等で再生水を利用する「新宿副都心水リサイクルセンター」プロジェクトの役目と、水源の枯渇から水質が悪化した渋谷川・古川、目黒川、呑川に送水する役目とされます。
 そういえば、目黒川沿いの川の資料館(中目黒)で教わった気がします。
 一方で、麻布十番付近の古川(谷地形)では、水害対策の古川地下調節池整備事業(2008〜16年)が進行中です。
 水を守り、水から人を守ることは都市の必要条件ですが、大都市での施設建設の困難さがうかがい知れます。


下落合駅付近の商店(Map)


 下落合駅近くの、以前は商店が並んだと思われる通りで、鮮魚店に出会います。
 ショーケース内に立つ値札の数が、元気さを物語っています(リンクの地図に名前が載るとは有名店?)。
 この光景に、20代の時分お世話になった板橋区蓮根中央商店会を想起しました。
 魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
 今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます(銭湯の番台に座るおばちゃんの顔も覚えてる)。

 近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……



追記──ポール・マッカートニーは惨敗でした……

 「最速予約」「先行予約」等の抽選にもれ、最後は「オークション」も初めてチャレンジしましたが、初心者では太刀打ちできないとあきらめました。
 ヤフオクなどでは、自動入札(落札希望者が設定した最高額までライバルと競り合う)機能があるため、こちらが金額を上乗せしても即座にその上の額を提示してきます。
 オークションはそうして競り合うものでも、相手のペースで金額だけつり上げられた末、相手の限度額に達して降りられたら、自分だけが丸裸で取り残されるような恐怖を感じました(不正な駆け引きが介在しそうな印象も)。
 予約の時点から金儲け連中の人海戦術に太刀打ちできなかったような気がします……

2013/11/11

JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野

2013.11.3【東京都】──大江戸線を歩く_21


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淀橋(Map)

 淀橋浄水場や、ヨドバシカメラの名称は、中野・新宿区境の神田川に架かる青梅街道の橋に由来します。
 かつての東京市時代にあった淀橋区ですが、当時からにぎわった新宿駅東側(旧内藤新宿:新宿三丁目付近)は四谷区に組み込まれたので、落合や早稲田大学付近などの農村地域がくくられた行政区だったようです。
 その後、牛込区、四谷区との合併で新宿区とされますが、当時はおそらく現在の横浜市のように、新興住宅地が隣接する農村を侵食していったことでしょう。

 世間に電気自動車は普及し始めているらしいが、充電や蓄電の様子を見かける機会は少ないと感じ、戸建て住宅のガレージにて。
 ですがエネルギーのチャージ中は、特撮ヒーローと同様に無防備な姿をさらすことになります。
 時間もかかりそうですし通りに面した場所なので、いたずらされないかと心配になります。

 付近でかぐや姫『神田川』の石碑を目にし、そんなものがあるのかとビックリ。
 イメージ的には早稲田周辺が似合いそうでも、この辺りが作詩の舞台だったということか。


中野氷川神社(Map)


 中野氷川神社は旧中野村の総鎮守社で、上のように立派な神輿蔵が立ち並ぶ様子からも、祭りの盛大さがうかがえます(例大祭9月14・15日)。
 関東で目にする氷川神社は、武蔵国総鎮守とされる埼玉県大宮の氷川神社の流れをくむ信仰で、元は水神とされたものをスサノオ信仰として神道教義に取り込んだらしい。


 その境内に鎮座する謎の金属物体。
 海中に設置する機雷のように火薬を詰め込んだ? と思うも、説明は見当たりません。
 横浜市磯子区の八幡神社に似た奉納物があるらしいが、そこも不明らしい。
 長崎くんちの鉄球を飾る曳き物では大砲の弾とされるも、お城を壊すために使われたとの解説があります。
 やはり、何らかの武勇伝がなければ奉納されないと思うのですが、その実体とは……


東中野(Map)

 JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
 その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
 なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。
 その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします。


 追記──自治体の「ハザードマップ」が届きました。

 中には「津波」「液状化」「揺れやすさ」「浸水」の危険度を示す地図が入っています。一度見たいと思っていました。
 現居住地は、江戸時代の海岸線付近(陸側)というキワなので、津波、浸水は大丈夫そうも(本当か?)、液状化と揺れやすさでは「黄色:注意」の判定です。
 落下しそうなのはエアコン程度ですが、注意点が明確になり防災への意識も高まったと思えるので、とても有意義な行政サービスと感じます。
 ですが「タモリ俱楽部」番組内の情報で、居住地一帯は品川〜田町間の山手線新駅建設に伴う再開発地区に含まれることを知りました。
 このボロアパートは真っ先に取り壊されそうです……


 追記2──宇宙飛行士若田さん「船長」に!

 スペースシャトル引退後のアメリカが、ロシアのソユーズに国際宇宙ステーション(ISS)への人員輸送を託す時代を、誰が想像しただろうか?
 そのおかげか、協賛国レベルでしかない日本の若田さんが、4度目のミッションで「ISSの船長」に抜擢されます。
 ガキ時分にあこがれた、アポロ11号のアームストロング船長に匹敵する若田船長(リンク先の絵が似てる!)を、現代の子どもたちはとても近しく感じることでしょう。
 振り返れば、小学生時分に天体望遠鏡を与えてくれたおかげで、天文・気象など自然科学への関心が開かれた思いがあり、大きなエポックだった気がします。
 ガキどもよ、宇宙のロマンを学び、あこがれ、宇宙を目指せ!
 消費税が上がるのは困るけど、宇宙の夢への投資なら応援する! 気持ちはある……