2012/06/25

祭りの季節到来!──浅草

2012.6.17【東京都】──「山手線を歩く! 23」

 前回上野の山から「東京スカイツリー」がよく望め、早い機会に一度ふれておこうと思うも予約チケットは無いので、今回は「スカイツリーを意識しながら浅草を歩く」という寄り道です。


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隅田公園(Map)

 右下写真には「新・東京物語」などのタイトルをつけたくなります(映画『東京物語』1953年小津安二郎監督作品の引用)。
 小津さんは採用しないでしょうが、現在の東京で続編を作るとしたら、きっと使いたくなるビジュアルと思います。

 第一印象「デカすぎ!」「これまでとは次元が違う」「言葉通じる?」のとまどいから、昭和育ちと平成生まれの違いにも似た「どう接すればいいの?」の困惑がありました。
 東京タワーを見上げて育った昭和人が、結局足元にも及ばない現実を思い知る年齢に「今度はBigサイズ、2倍に増量!」とされても、励みの材料として受け止められません。
 きっとこれからの若者たちは「(東京タワーの高さ)2倍の志!」を心の支えとし、シンボルとしていくのでしょうねぇ(オヤジはもう投げやりです……)。
 夢は大きく目標はより高みに置くべきと思うも、大きすぎて「手が届かない存在」と感じてしまう年ごろのようです……


仲見世(Map)

 この日も前週同様、土曜雨→日曜天気回復のせいか観光地浅草は人であふれています。
 付近では、入れなくてもスカイツリーを見たい日本人と、「ツリーより浅草!」という外国人旅行客の温度差が感じられます(海外からのツアーにはツリー訪問も入ってたりして?)。

 外国人観光客も増えた買い物袋のまとめ方に腐心していますから、土産物店の商品に関心が向いてしまうようです。
 わたしも以前海外旅行で何枚もTシャツを買いましたが、テンション高かったんでしょうね。
 そんな気分も計算する「観光産業」なので、観光誘致には「国家戦略的対応」が必要です。

 結局は地域振興を目指すものの、浅草は「日本でここにしかない町」なので、多くの人に見てもらいたい思いがあります(京都の上は無理としても)。


浅草寺(Map)


 何で外国人観光客の頭が入った写真を選んだかというと、日本の首都東京で人々が煙をたく様子に「何とエキゾチック!(異国情緒)」と、彼らがよろこぶ様子を伝えたいと思ったからです。

 アジア系の人たちは、土産物には関心を示しますが、寺院は見慣れています。一方欧米系の人たちは、東洋的文化に強い関心を見せますが、食べ物に関しては「これ食べ物?」的な拒絶反応を示します。
 観光誘致の観点からアジア系向けには、神道(伝説に関心を持つか分かりませんが)の生い立ちや、仏教伝来の時代背景の解説があれば理解しやすいのではないか。また、欧米系向けには食品のパッケージや説明(成分・製法等)に理解しやすい表示の工夫が必要かも知れません。
 アジア系の観光客が増えたことは観光地には朗報ですから、来てくれた方の好感が将来の「種」となるよう工夫したいところです。

 本堂におみくじを結ぶ場所がありますが、写真の娘たちの年齢には何を願うのだろう?
 自分を振り返ると、当時は100円と思う宝くじを1枚しか買わないくせに、神頼みに足を運んだような記憶があります(それが親のためなら美談なのですが)。

 前にも書いたかも知れませんが、ずっと以前にこの寺に初詣で参拝の際、おみくじで「凶」が出たことがあります。
 正月は印象の悪いくじは外すとも聞きますが、「運だめしにハレとケ(非日常と日常)無し」という厳しさは嫌いではないので、次の機会も「凶を引くぞ!」という意気込みを、活力にさせてもらってます。

 三社祭(さんじゃまつり:浅草神社の例大祭。江戸時代まで浅草寺と一体の祭りが、明治時代の神仏分離により浅草神社単体での祭りとなる)は5月ですが、これから市中にある神社の夏祭りが始まるので、祭りの無事祈願に集まったらしい法被(はっぴ)姿の世話人衆(?)が本堂からゾロゾロ出てきます。

「お祭りは神社でお祓いを受けるのでは?」と思うのですが、参加者の多い行事では寺の本堂にある広いスペースを使うのかも知れません。
 というか、「花やしき:遊園地」を含む一帯の大地主である浅草寺は現在でも地域の名士のため「筋を通す」気持ちや、祭りの歴史を曲げられた反発から「昔からのやり方で祭りは続けるべき」との心意気を通しているのかも知れません。


浅草六区(Map)


 萩本欽一やビートたけしが巣立った「浅草六区」は、明治時代に広大な浅草寺境内を七区画に整備・開発した六区にあたり、見せ物小屋等の移転から歓楽街となります。
 当時「浅草寺裏」とされた通称には、あやしくも魅力的な響きがあります。
 現在の歓楽街は、ウインズ浅草(場外馬券売場)の客以外は期待できない様子なので、飲食店街も「土日開催」の状況に見えます(日曜で張り切っていたのか、ばあさんの呼び込みに声を掛けられました)。

 彼らも週末だけ営業なのか? 芸能の町をアピールする大道芸人が町のあちこちでパフォーマンスしています(ガマの油売りもいた)。
 街角のパフォーマンスとして思い浮かぶのは「野毛大道芸:横浜桜木町付近」で、野毛には趣味ながらも「芸のプロフェッショナル」を目指そうとする姿勢を感じましたが、ここには「これで食っていけるか?」と、職業として「パフォーマー」を目指す人たちの「修行場」のような印象があります。
 地味に見えますが、町の人の感想から刺激を受けて芸を磨くような、それこそ欽ちゃんやたけちゃんを育てた町の気質はいまも変わらない、と言えるのかもしれません。


 訪問前に調べたページで「えびす屋の…」「時代屋で…」の表記を目にし、人気店舗があるかと思いきや、人力車観光サービスの会社でした。
 女性は普段から、車の助手席やタクシーに乗ることをよろこぶようですが、人力車の座席に見かけるのはほとんどが女性であることも、その延長上かも知れません。

 それは男たちが女性に「サービスしない」ためで、それゆえ男から「サービスしてもらう」ことでよろこびを感じる場面が、商売として成立することになります。
 確かに男が女性に気を使う場である、美容室、ジムやホストクラブ(?)には積極的に足を運ぶ印象があります。

 そんな欲求も分かる気がしますが、それより元凶を解決すべきと思うも「そんなことができるか!」となりそうです……


合羽(かっぱ)橋(Map)

 路地の先にスカイツリーが見える場所を探していると、合羽橋南交差点付近に具合のいい道がありました。
 現在はロケーションだけに見える商店街ですが、路地の先にスカイツリーを望むのですから(右写真)、これは売りにすべきでしょう!
 ここで写真を撮るのはわたしに限らず携帯で撮る方も多く、路上で撮影中も車はクラクションを鳴らさず待ってくれる気持ちには、きっと地元の自慢もあると感じました。
 ツリー近くで人気の「タワー丼:海老天が3本立つ」に負けない、このロケーションに合ったアイデア商品を提案できれば、下から見上げるよりもきれいな姿の借景が楽しめる気がします(まずは、ライトアップが売りになりそう)。


矢先稲荷神社(Map)

 その通りを振り返えった上野方面で「矢先稲荷神社」例大祭に遭遇します。
 「矢先」の名は徳川家三代将軍家光の命により、弓の稽古場のため京都三十三間堂を模した「浅草三十三間堂」が建てられるが火事により焼失し、その「的」先の地に建てられたことに由来するそう(その後、深川富岡八幡宮隣に再建されるも現存しない)。


 上は「曳(ひき)太鼓」に群がる子どもたちで、奧に大太鼓がある。
 お囃子屋台とは独立した屋台で、渡御(とぎょ:神輿(ご神体)が氏子を巡ること)の際、両側に女の子が乗る写真からすると、子どもたちの参加が認められる領域らしく、そんな「解放区」は大人気のようです。
 子どもたちを祭りに「招く」場の設定は、将来に向けてとても重要です。

 祭りの装束は、法被(はっぴ)と半股(短パンの長さの股引)と決まっていますが、ここでは「カラフルなふんどし」を着けている人が多いことに驚きました。
 赤系の目立つ色づかいが多く、♥をちりばめるオッサンもいます(そんなの撮れな〜い)。
 湯気が立つようなHOTな印象には、同性も強烈なセックスアピールと感心します。
 女性にも「真っ向勝負」のアピールは、まとを射ているのではないか? それほどあからさまなアピールです(祭りはそんな場です)……

 神輿(みこし)の周囲には、神妙な表情で歩く人たちがいます。調べても分からないのですが、おそらく同じ神を守る立場の中で、担ぎ手は「ハレ:祭」、周囲を守る人たちは「ケ:日常の生活で神・故人を祈る姿」を表現しているのではないか? と感じます。
 神と巡行する時間こそ、礼節が大切とする心情はとてもよく理解できます。
 この後には無礼講が待ってますし……


追記──鞆(とも)の浦(ポニョの浦)埋め立て計画中止!

 わたしの中では「瀬戸内海随一」である鞆の浦湾内埋め立て・架橋計画を、広島県知事が中止と決めました。よかった……
 付近の主要道は海沿いにあるため、古い町並みを通る個所では大型車両はすれ違い困難な道幅なのは確かですが、何も『春の海:正月のテーマソングのような箏曲』のイメージとされた舞台を埋め立てる選択肢は、NGと祈っていました。
 安どと同時にさまざまな景色がよみがえり、手招きされているような気分が盛り上がってしまいます……

2012/06/18

背中から伝わってくること──鶯谷〜上野

2012.6.10【東京都】──「山手線を歩く! 22」

上野動物園(Map)

パンダ

 わてが来日した上野名物「人寄せパンダ」どえす。
 寝ている間もワイワイとやかましいなんて、聞いてないんですけど……


 雨模様だった土曜の翌日が晴れた日曜のため人出は多いようで、パンダ舎では上下2段の見学通路とも渋滞する様子に、例の「立ち止まらないでください!」のアナウンスが聞こえます。
 以前の訪問時にはのんびり見学でき、ササを食べる姿が見られ「パンダがよく見えた!」と満足できた印象がありました。
 上野動物園にはパンダがいるものだという認識が、約3年間の不在期間の経験により「会えるうちに行かなくちゃ!」と、意識が変わったのかも。
 いまも子どもたちのパンダ人気は変わらないので、人寄せなどといわれる年間1億円近いレンタル料も、「お金では買えない」判断の根拠になることは、上写真のような姿でも理解できる面があります。


テナガザル

 精悍(せいかん)な表情は威嚇的な態度に見えますが、まったく動こうとしません。
 この姿勢で動かないため「どこにいるの?」と気付かれないようです。
 「エサはまだか?」という時間帯だったのかも知れません。

 この付近が動物園の北端にあたり園外を見上げると、前回歩いた東京藝術大学美術学部の「木材を扱う建物(工場:こうば)」が隣接しています。
 鳴き声や奇声は慣れるでしょうが「においは大丈夫?」と思ってしまいます。
 都会の施設なので、特に気を配って対応しているとは思いますが……


ゴリラ

 擬人化しやすいフォルム(姿)と、どっしりとした落ち着きから「頼れる父親像」を思い浮かべ、親近感を覚えたゴリラの背中です。
 振り返る際も「何か用?」と上半身だけ向けるしぐさが、無愛想ながらも存在感を示す一家の大黒柱的なイメージに結びついたりします(この場所からの姿が見学者にも一番人気でした)。

 ここでは見られませんが、いざというときは胸をたたく「ドラミング」で敵を威嚇する頼りがいのある姿を、「勇ましさ」や「存在感」を失いつつあるオヤジたちは、見習わねばと感じたりするかも知れません……

 園内には「見えないよ〜」の子どもの声が響きます。それは親の「ほらスゴイよ、見てごらん!」に対する、子どもたちの「目線の違い」を指摘する声のようです。
 親がいくらしゃがんで子どもの目線で説明しても、見ようとはしません。仕方ないと親に担ぎ上げられると、急にご機嫌になります。
 要するに、周囲の子どもたちと同じように「抱き上げてもらいたい」要求なのでしょう。
 最初に抱き上げられる姿を目にした子どもから、きっと無限連鎖のように「甘えたい気持ち」が伝搬するようです。
 親の側もよろこぶ顔を見たいので構うものの、「またやって攻撃」の対応から、親子共に機嫌が悪くなってしまいます……


オオアリクイ

 運動施設内の同じルートを周回する様子をカメラを構え待っていると、背後から外国人パパの「Oh Anteater !」(ant:アリ+eater:食べる人[動物])と子どもに伝える声に、何と分かりやすい表現! と……
 生き物の名称は(学術名は仕方ないも)万国で共通認識を持てるように、分かりやすい表現とする意識を、一例ですが理解できました。

 でも、彼らの食事はどうしているのか?
 大きなアリの巣を与えてもすぐに食べ尽くしそうだし、多すぎると外に逃げだしそうです。
 彼らには歯が無いため動物園では、鶏肉、牛レバー、卵黄等を流動状にして与えるとのこと。アリを食べさせてもらえないAnteaterです。


プレーリードッグ

 彼らはネズミに分類されるリスの仲間になります(右写真もリスに近そうな姿)。
 北米の草原地帯(「プレーリー:肥沃な土地」と習った覚えがある)の地面に巣穴を掘り、イヌに似た鳴き声からこの名で呼ばれます(イヌは地面に巣穴を掘る習性がある)。
 彼らは見張りを欠かさず、見通しのため巣穴周辺の身長より高い草を刈り取ります。
 そんな習性が草原の環境を守るようで、彼らが去ると草原は砂漠と化すとされています。

 ここの運動場は日も当たらず草も生えない暗い大木の下にあり、主食の草がまかれています(巣穴を掘れないようにしてあるのか?)。
 背景には、繁殖力が旺盛(?)などの問題があるように感じました。


ヒツジ


 何だか「倒錯した演劇の装飾?」のように見える羊です。この季節になっても毛皮を身につけるため、暑くてグッタリしてるようにも見えます。
 ここは「こども動物園」で、園内で放し飼いされた動物たちと触れあえる子どもに人気の施設です。
 人←→動物間、互いの疫病感染防止のため、入退場の際には手洗いが義務づけられています。
 その場所で「ビオレu:花王」が「きちんと手洗いキャンペーン」に協賛しています。
 家に帰って子どもが手洗いする際に「うちはビオレじゃないの?」などと言いそうですから、うまい宣伝と感心しました。
 子どもに手洗いの習慣がつくならと、親は考えますものね。


ヤギ


 温厚そうに見えるヤギですが、その角は闘うためにあります(雌雄を含めて角の有無は品種で異なるそう)。
 写真の2頭はまだ若いのか、じゃれ合ってる程度ですが、大人同士では流血沙汰もあるそうです。
 沖縄の多良間島では「ピンダアース:ヤギの決闘」という大会があり、出場するヤギは体格がいいので角(頭?)がぶつかり合う際には「ゴン、ゴン!」と迫力ある音が響きます。
 沖縄にはヤギを食べる習慣があり(においが強烈なヤギ汁、それほどにおいが気にならないスペアリブを食べたことがあります)、ペットとして育て、闘わせ、最後は食べるという、実利的な「家族の一員」(と表現する彼らの心境は理解できない)なんだそうです……


ワオキツネザル

 右写真はワオキツネザルで、生息域はマダガスカル島の南部に限られる珍しい動物です。
 その名前は、キツネザルに似ていることに「ワオッ!」と驚いた訳ではなく、尾に白黒の輪が並ぶことから「輪尾」とは、「ヘェ〜!」としかいいようがありません。

 不忍(しのばず)池のほとりに作られた「アイアイのすむ森」は、前回訪問後(2009年5月)にオープンしたので初めて目にしましたが、この空中散歩は開放的で彼らの休みなく動き回る姿は、今回一番楽しめた気がします。

 動物園や水族館には何度足を運んでも、その度ごとに新たな発見があるので、何度でも誘われてしまいます……

 動物園内の人通りの多いベンチで、堂々と子どもに授乳している若いお母さんを見かけました。
 それが悪いわけもなく、視線を向けて驚いたこちらが悪いことをしたような気持ちにさせられますが、子どもはきっとおおらかに成長することでしょう。


追記──洗濯機が動かない!
 本来は、オウム事件最後の手配者逮捕や、アウン・サン・スー・チーさん大活躍! について書くつもりでしたが、「洗濯機が動かない!」の衝撃にすっ飛びました。
 洗濯機が壊れたことに気付く状況とは、洗濯物がたまったころ(わたしは主に土・日の夜)に、シャツの襟などにスプレー洗剤を付け15分ほど置いた時点ですから、ここで「できない」といわれても、他の策を選択できる状況にありません。
 まずは、近所のコインランドリーを探す必要がありますが、田町にあるのか?
 危機管理の想定が甘かった(?)ため、ちょっとオロオロしています……

2012/06/11

「芸術の森」に託した願い──日暮里〜鶯谷

2012.6.2【東京都】──「山手線を歩く! 21」

 この日は鶯谷(うぐいすだに)駅を起・終点として、上野桜木町・上野公園(という地名があります)周辺を歩きました。

 鶯谷の地名は現存しませんがその由来には、江戸時代寛永寺の住職として訪れた京都の皇族が「江戸の鶯はなまっている」と京都から運ばせ、鶯の名所にしたとあります。
 江戸時代政治の中心はこの地でも、天皇が暮らす御所のある京都こそ都という意識を持つ都人(みやこびと)たちは、「野蛮人の町」程度に見下したのでしょう(明治時代に認識の古さに気付き、慌てることになります)。 

 なまっていない(?)「京都弁のウグイスの鳴き声」を聞いたことがありますが、雅さの足りないわたしには違いが分からなかった気がします……


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鶯谷(Map)

 鶯谷から想起するのは看板を見ただけの、グランドキャバレー「スター東京」(バンド演奏の舞台やダンスフロアがあり、映画『キャバレー』のライザミネリに通じる明るいイメージ)ですが、既にビルも取り壊されました。
 通りの反対側にある「東京キネマ倶楽部」(大正時代開業のダンスホール)は、現在イベントホール的なスペースで女子プロレスなども行われます。
 夜の社交場が林立した背景には「吉原(幕府公認の遊廓)の玄関口」という歴史があり、現存するラブホテル街には受け継がれた実態が散見されます。

 ホテルが密集する地域で営業を継続するには、多くの利用者が必要になりますが、そんな「ムラ」は「施設を必要とする商売」を育てていきます。
 おそらくホテル街への反対活動なのでしょう、送迎車に乗り込む出張の女性を至近距離で撮影するアマチュアカメラマン(おばさんもいる)たちの、「ヤツらの人権は認めない!」的な行動にはやり過ぎの印象を受けます。

 この付近にはびこる根は深そうで、暴力団関係者が代々受け継ぐ「根城」のように強固な歴史がありそうです。
 若いファミリー向けのマンションを建てにくい下町では、横浜黄金町の地域住民が結束したバイバイ売春運動続編のリンク)のような動きは難しそうに思えました。


寛永寺(かんえいじ)〜上野桜木町(Map)

 上野寛永寺は、徳川幕府三代将軍家光が1625年に開いた天台宗(比叡山)のお寺です。
 山号を東叡山(とうえいざん;東の比叡山)とし、比叡山を従える天台宗本山として権勢を誇るも、1868年上野戦争(江戸城無血開城後に起きた、徹底抗戦を貫く彰義隊(しょうぎたい)と新政府軍の戦い)により焼失します。
 また第二次世界大戦の空襲で、残っていた徳川家霊廟の大部分も焼失します(篤姫の墓は残るそうだが、見学不可)。

 本堂から外をうかがう僧侶の姿が目につくと思えば、中では見学会の最中で、写真撮影を警戒していたのかも知れません(どれほど秘蔵のものなのか?)。


 ここは寛永寺に近い浄名院(寛永寺36坊とされる子院)になります。
 予備知識のないまま本堂周りを歩いていると、奇妙な色・形状の実のようなものが干されており「これへちま?」と……
 ここの「へちま地蔵」は咳や喘息に効用があるとされ、旧暦8月15日にはへちま供養が行われます(へちまでこすると先代の「巣鴨とげぬき地蔵」のようになってしまいそうな……)。

 ここは、信号待ちで見かけた外国人観光客と思われる兄ちゃんが目指す場所のようなので、寄ってみるか的な気分でした。
 入ってみると「彼が引かれたのはこれか!」と納得できる光景を目にし、いい場所を教えてもらい感謝しています。
 ここでは1876年(明治9年)8万4千体の地蔵建立を目指し、当時の皇族をはじめ多くの人の協力で具体化しますが、まだ成就されていないようです。

 寛永寺を含めたこの地域は上野桜木町とされ、転居好きな(?)川端康成が『雪国』執筆当時はこの付近を点々としていたそうです。


 言問通り上野桜木交差点の角に、下町風俗資料館付設展示場があります。
 谷中で江戸時代から代々続いた酒屋の建物を移築し、屋内に酒屋で使われた道具や資料を展示しています。

 ちょうどその前の広場で紙芝居が始まりました。白昼の広場を舞台にして、語りで絵に関心を集め展開を期待させる力は、まさに「話術」なのでしょう。

 最初は最前列の親子だけですが、次第に周囲の大人たちが「懐かしさに呼ばれようか」と腰を下ろす方が増えていきます。
 いっときを過ごす人が増えれば、それが評価となるのですが、徐々に腰を下ろす大人が増えたのは「座りたい」だけかも知れません……

 この方の情報見つけました。「紙芝居屋の三橋とら」という方で、自作自演(脚本、絵、製本製作)の「紙芝居屋」とのこと。
 でもブログには「北海道にお引っ越し〜」とあるので、しばらく会えないかも知れません……

 芸大の門前町ですから、凝ったデザインの建物や、装飾(右写真)が見受けられます。


東京藝術大学(Map)

 東京藝術大学は、前身である官立の旧制専門学校「東京美術学校」と「東京音楽学校」が、1949年(昭和24年)に統合され設立されました(現在の英語表記「Tokyo University of the Arts」の響きがカッコイイ!)。
 現在上野キャンパスで一般人が立ち入れるのは、通りをはさむ南側の大学美術館がある「美術学部」だけで、北側「音楽学部」(右写真に隣接の赤レンガ1号館(旧教育博物館書庫)は都内最古のレンガ建築物)には入れません。
 南側の美術学部には、作品の素材に使用する木材・金属・岩石・石こうを扱う「工場(こうば)」が並ぶような印象があります。

 キャンパス内では、かなり以前に造営されたと思われる「彫刻の森:木々の中にたたずむ彫像」や、えらく太い大木があるままの姿で、コンクリートの建物と共存しています。
 芸大のコンセプトも「イマジネーションは自然に学べ」と受け止められ、自分のスタンスを確認できたような気がしました。

 一方の立ち入れない「音楽学部」は、感性+ひたすら技術向上を目指す場のようで、制約の下で「集中力を高められる環境」が与えられているようです。それ自体をプレッシャーに感じそう……

 現在右は「国際子ども図書館」とされる、児童書を専門に扱う国立国会図書館の施設になります。
 この立派な建物は、1906年に帝国図書館として建設されます。
 その後国会図書館と統合され、1961年現在の国会図書館(永田町)に東京本館が移され、ここは国会図書館分館とされます。
 そして東京本館の増設に伴い蔵書が減ったため、国会図書館には残されていない児童書を専門に扱う図書館として再出発します。

 何度来てもよく撮れないと思うのは日差しによるもので、それは「午前中に来い!」ということなのでしょう。もう少し年取って、朝早く目覚めるようになったら来ます……


上野公園(Map)

 右写真は、東京都美術館裏手に残される、上野動物園で以前使用された門の様子です。
 入園券売場やゲートの様子も見られるので、昔はここが出入り口だったようです。
 次回は、久しぶりにパンダ見物でもと考えています。

 下は東京都美術館入口にあるオブジェで、球体の鏡面ですから撮影者は小さくても中心部に映ってしまいます。
 美術館や博物館が集まる場所なので、見学に足を運ぶ機会は他の場所に比べて圧倒的に多いのですが、東京都美術館に足を運んだのは1回(?)程度の印象です。
 1975年「新館」オープンから活動方針として「現代美術館:いわゆる前衛芸術の展示」を目指します。それがピンと来なかったばかりか、現在展示中の2012年4月リニューアルオープン記念の「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」にも「?」なので、美術「通」向けのプログラムには反応できないようです。


 ちょうど季節柄、不忍(しのばず)池に下りようかと思っていたら、噴水池付近が改修され広場となった場所で「さつきフェスティバル」が開かれています(これを見たかった)。
 以前は不忍池のほとりで「皐月展」として開催されていましたが、2008年から上野の山の上で行われるようになります(ちょうどこの辺りに栄華を誇った時分の寛永寺がありました)。
 大学時代の4年間(不忍池のほとりで開かれていたころ)、この展示会の夜警のアルバイトを学科の仲間で仕切っていた思い出があります。
 時代が違うので状況は分かりませんが、不忍池周辺の「猥雑」とした雰囲気が若い身には刺激的に感じられましたが、現在山の上での夜警には何されるか分からない「怖さ」があるように思います。
 酔っぱらいの相手をすれば何とかなった時代との違いを感じます……

 上野の山のロケーションでインパクトがあるのは、大噴水の先に東京国立博物館(特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」には長蛇の列)を望むの絵で、その光景を引き立たせようとする改修工事はこの4月に終わったばかり。
 博物館への見通しは広くなり、脇にオープンテラスのカフェが新設され「ここは上野?」とも思いますが、花見の季節を除けば世界にも通用するロケーションになりますって!
 世界の町も、さまざまな経緯を経て地域を浄化していったのですから、上野だってできないはずはありません。

 右は国立科学博物館前の様子で、ここは見応えのある博物館で1日楽しめた印象から、「楽しかったけど、疲れちゃったね」の会話かとシャッターを押すも、きっと違った疲れなんでしょうね……


追記──社用携帯電話がiPhoneになりました

 何で? と思うも、事業主が会社の金でiPhoneを使いたいとか思った程度の理由なのでしょう。
 パソコン的な機能があるので、気軽に手に取れる反面制約はあるわけで、それを不便と感じるかが利用継続の分岐点では?(ランニングコスト高いし)。
 ですが、電車の中で楽しそうに見えた動画観賞を、今回サッカー日本代表が快勝した試合のダイジェストで体験してみると、「これは楽しいなぁ!」と。
 そこに求めるのは、画面の大きさや画質ではない「ささやかな自分だけのよろこび」とでも言うのか、外出先でもプチサイズで楽しめ、元気をもらう活力源になると感じます。
 情報ツールだけでなく、元気ツールと考えると手放せない人の多いことを、ようやく理解できた気がしました。

2012/06/04

イキさを感じるリサイクル──西日暮里〜日暮里

2012.5.26【東京都】──「山手線を歩く! ⑳」

 この日は日暮里駅を起・終点として、西日暮里〜鶯谷付近に広がる谷中地区を中心に歩きました。
 起伏のある地域に加え夏日の散策に慣れてないこともあり、へばりましたがその分ビールがおいしかったこと!
 6月ですからまもなく梅雨入りのカウントダウンが始まります。
 今年は何度も「豪雨」を経験しているので、無くていい気がするも、キッチリやって来るのでしょう。


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日暮里(Map)


 駅東口は「日暮里・舎人(とねり)ライナー:ゆりかもめと同じ都営新交通システム(無人運転)」乗り入れに伴う駅前再開発により、かつての駄菓子問屋街は上写真奧に並ぶ3棟の高層マンションに置きかえられました。
 住居施設以外の商業施設を探しましたが、目に入ったのはスーパー程度なので、商店街などに配慮した再開発のようです。
 後で知った駄菓子屋がビルに入店した様子は、建物に入らなかったため目にできず。

 再開発の影響を受けない尾久橋通り先の繊維問屋街は健在で、その先には「EDWIN:ジーンズ」の本社があります。
 わたしには関係ない町ですが、生地屋・クラフト関連の店では、不器用な男でも楽しめるDOit的雰囲気のように、レジに並ぶ女性の目に「やるぞ!」とキラキラした意欲が感じられる気がしました(右上は革を展示するハンガー)。


谷中(Map)

 週末の下町商店街が「江の島の参道のよう!」な様相を呈しています。
 地域振興としては歓迎にせよ、「テレビは取り上げ過ぎ」なのでは?
 評判の店があるようで、原宿とは違いここでは揚げ物? を手にした姿が多く見られます。
 駅周辺からどうもザワザワしていたので、商店街通り抜け(?)は断念しました。

 猫ものんびり昼寝できない騒がしいスポットを避け、現在でも富士山が見通せる「富士見坂」ルートへ。
 近くに「6年ごとの御柱祭でけが人続出」で有名な諏訪大社ゆかりの、諏訪神社があります。
 立派な神輿庫(しんよこ:神輿を格納する倉)があり、どんな山車なのか見てみたいところです。


 富士山を望めない日も、街灯の富士山の飾りがなぐさめてくれる坂の上で、近所の子どもたちのメッセージを目にしました。
 そこには、この地から富士山の方角にビル建設の計画があり、完成すると富士見坂から富士山が見えなくなってしまうので、建設反対に協力して欲しい旨の訴えです。
 景観保全は地域文化に大切なことですが、相手が富士山となると地域内では解決できない問題になります。
 リンク先のダイヤモンド富士に集まる人々の群れには驚きますし、「愛されている」様子が伝わってきます。守られますことを……


 谷中地区は空襲被害を免れたため、東京の中では古い建造物が残る地域になり、そんな地域遺産を活用する取り組みが広がっています。
 右は1716年(江戸時代)〜1940年(昭和期)まで営業した質店の土蔵(大正期)と店舗(江戸期 右側)を、展示スペースに活用する様子です(2000年国の登録有形文化財登録)。
 下写真は古い民家を再利用した地域の催事会場脇の路地にあり、店舗のように見える。
 また、銭湯の建物をギャラリーとするなど、この町の財産を「あるままの姿で使おうとするリサイクル指向」が感じられます。
 空襲で焼け残っちゃったではなく、生き残ったことを伝えていかねばという思いが、古い建物に息吹を吹き込んでいるようです。

 しょせん京都には追いつけないも、東京なりの文化を育てていこうとする姿勢こそが「粋」の原点ではないかと感じました。


 右下写真の女性は、シャッター押してあげたからいいだろうと掲載。
 そのカメラが、半押しかシャッターか分かりづらく、確認してもらったら写ってないため、再度ポーズをとらせてしまいました。
 言葉の感じでは韓国出身という印象か? 彼女に関する情報は以上です。

 大木はヒマラヤスギで、鉢植えから根を張り育ったらしい(左はパン屋)。

 前回の資料調べで初めて知った「藍染川に沿って被差別部落があり、道灌山下には非人溜め」の記述を確かめたく付近を歩くも、いまどきそんな痕跡が残るはずもありません。
 その書き込みは、2チャンネルのような書きっぱなしではない、結構お年の方が集まり昔話に花を咲かせるサイトに記述されていました。

 被差別地域ではないと思うが、「小石川周辺の谷地もスラム街で、大塚の台地の先にもスラムがあり、『本郷もかねやすまでは江戸のうち:本郷三丁目の角「かねやす」の土蔵までが江戸』で、見返り坂(東大付近から)は場末とされ、岡場所(非公認の売春業)は根津、白山にあった」とも。
 耳にしただけの情報も含まれる印象があるも、それは小石川にあった「氷川下セツルメント:スラム街などにボランティアが居住し生活改善をはかる活動」の記録からも確認できます。

 そこからわたしが想起できたのは、被差別地域の人々は「着物は渋染、藍染とすること:派手な身なりをしてはいけない」の達しから、藍染しか許されない地域ゆえ、染め物の伝統と川の名称に歴史を残したといえるのではないか? ということだけです。
 駒込にある、気軽に入れそうな藍染屋をのぞいてみようか、と……


 京都では「目の前の現実」に思考が停止してしまったので、一度整理したいと思っていました。
 差別用語である「非人」の表現は仏教に由来し、平安時代反逆罪に問われた役人が姓・官位を剥奪され、天皇から「非人」の名を受けました。ですが復権したことから、当時は形式的な名称だったと思われます。
 また「穢多:えた」とされる階層も平安時代に起源があるらしく、江戸時代に確立された「士農工商」に含まれない最下層身分の蔑称として定着しますが、明治時代に廃止されます。
 「士農工商は身分制度」と教わった気がしますが、そこには貴族や僧侶、そして穢多、非人も含まれません。
 考えてみるとそれは「税金の取り立て区分」に思え、含まれない存在は免除だったの? と思ったりします(経済的指標で判断する現代人の悪癖?)。

 西日本のように古い慣習が残らなかったのは、東京が新しい(歴史のない)都市だったおかげなのでしょう。
 また、そんな若い都市(当時300年の歴史もたかだかとされる国です)が首都とされ、しがらみが無いおかげで「明治維新でリセットできた」と思えますし、その後の発展への可能性を広げたのではあるまいか……


谷中霊園(Map)

 右は江戸時代最後の将軍、徳川慶喜の正室の墓です。
 慶喜の墓は左側にありますが、そこにはおしゃべりなガイドボランティアのおっさんがいて、訪れる人に自分から次々と話しかけその場を動こうとしないため、あきらめました。
 ほかのサイトでもそんな記述を目にしたので「話しを聞こうとしない相手への嫌がらせか?」と思ったりします。

 慶喜は幕末の動乱で朝敵(天皇の敵)とされるも、明治時代には公爵(華族の最高位)を与えてくれた明治天皇への感謝のため、葬儀は仏式でなく神式で行なう旨を遺言します。
 そのため、徳川家菩提寺である増上寺・寛永寺の徳川家墓地ではない谷中霊園に、明治天皇の父である孝明天皇墓所(仏式から古式葬に改められる)に倣った円墳が建てられます。
 以前の染井霊園同様、明治時代の「神仏分離政策:神道と仏教を区別させる」によるお寺以外の墓地不足解消のため、1874年政府は天王寺(焼失した谷中五重塔を所有)の土地を没収し、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設します。
 そのため谷中霊園には、移動できない天王寺や寛永寺の墓地が飛び地として点在することになります(慶喜の墓はそんな寛永寺の飛び地にある)。

 東京という都市がいい訳とする、空襲で焼け野原と化した地が広大なため、そこに並ぶバラック地域の整備をする間もなく、高度成長期に向かい新規インフラ整備を進めたため、都市の要である「都市計画」を後回しにしたことは、戦後60年以上経過した現在に「高コスト」として負の遺産を残します。
 空き墓地の整理をするにも「動かしがたい墓所」の存在を無視した、開設時のビジョンの無さは致命的で、この先も谷中の町同様に墓地は迷路のように歩きづらいままかも知れません……(霊園の飛び地付近は抜け道がない)


 追記──「梅ちゃん先生」

 先日買い物で蒲田の町を歩き、商店街に堀北真希ちゃんの笑顔があふれている様子に「梅ちゃん先生の舞台は蒲田だっけ」と……
 彼女の素材を前面に出したとても可愛いポスターなので、蒲田限定でなく他でも貼ってくれれば目にするたびになごめるのに!

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を想起させる路線で、彼女にしか出せない空気感を期待して毎朝タイマーをセットしています。
 タイトルバックの聴診器をあてる姿に、服をまくり上げる人はいませんか?
 女優陣(倍賞美津子、南果歩、ミムラ)の素晴らしさには、来るべき「女性解放」(表現古っ!)や、テーマと思われる「女性の自立」に向け、女子力が前面に出てくるであろう後半を期待しながら、毎朝楽しみにしています。

 ちなみに梅屋敷駅と結びつけたのは京急のこじつけですが、梅屋敷公園には行ったことがないので今度是非。


 追記2──新藤兼人監督逝去 2012.05.30

 あの「ギラギラおやじ」が、キリのいい100歳で亡くなられました。
 与えられた「天寿」と、自らの「生命力」を全うされたことと思います。
 「正論をかざす」黒澤さんの格好良さと違い、「しつこくうるさい」近所の頑固じいさんのような新藤さんには「男の生きる道は、前進あるのみ!」と教えられた気がしています。
 ありがとうございました。