2012/03/26

いまでも、ウキウキウォッチング──代々木〜新宿

2012.3.18
【東京都】──「山手線を歩く! ⑩」

 春分を過ぎても、ここで「ホッ」とひと息つくと痛い目に遭いそうな陽気が続きます。ここで風邪ひいちゃう悪い習慣があるので、もうしばらくは気を引き締めておかねば……です。皆さんお気をつけ下さい。
 そんな季節の変わり目は天候が安定しませんし、このところ特に週末にぐずつくので、どんよりとした絵が続いています。
 天気予報で、この季節の天候不順は「菜種梅雨:なたねづゆ 菜の花が咲く時期に降る雨」と諭され、納得はしていますが、今年東京では「春一番」は吹かなかったりと「春待ち気分が盛り上がらない」印象があります。
 もう季節感うんぬんはいいから、早く暖かくなってくれ! という気分になります。でも花粉はもう飛び回っているようです……


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タカシマヤタイムズスクエア(Map)

 「雨だし、どこ歩くかなぁ?」と気分は乗らないものの、地下道を歩けばほとんどの場所にたどり着けることに気付くと、瞬時にルートマップが思い浮かび、久しぶりに新宿の地下道を歩いてみるかと、やる気が出てきました。


 代々木近く(とはいえもう新宿)で最初に思い浮かんだのは、紀伊國屋書店と高島屋の連絡通路ですが、甲州街道の南側(新宿駅新南口付近)のホーム上に新たな建造物を作る工事のためホームは見えなくなりました。
 その連絡通路に通じる高島屋のガラス窓には、目隠しのシートが貼られ展望が失われています。
 見晴らしの良さから開放的な印象があったのですが、「のぞき?」「のぞかれ?」という迷惑行為があったのか? 同じ階(高島屋側は5階)のトイレにも、目張りがあります。
 高島屋で最もインパクトが残るのは「トイレからの眺望」なので、最上階のトイレに行ってみました。
 トイレで写真を撮るヤツもどうかと思いますが、そこからは「これ、これっ!」(上写真)の、イメージ通りのスカッとした展望が広がっています。
 てことは、下からのぞかれている、という事なのでしょうね。でも、男子トイレについては、理由が違う気もします。
 以前は、この景色を見ながら用を足す「気持ち良さ」があった気がするので、「駅や都庁に向かって用を足すとはけしからん!」という理由かも知れません(トイレのレイアウトが変わったと思うも、違ってたらゴメンナサイ)。


 建物の反対側には、展望デッキがあり新宿御苑が一望できます。
 この季節では「何を撮ってるんだか」ですが、じきに全面が緑で覆われると思うとウキウキしてきますし、そのために寒さを耐えてきたんだ、と希望がわいてきます(近ごろ越冬を難儀と感じ始めています)。

 以前はこのフロアにHMV(CD販売等の大型店舗)があり、サントラ盤やクラシックが充実していた印象がありよく来ましたが、現在は飲食店街にリニューアルされました。
 日曜ということもあり多くの店舗で行列も見かけますから、いまどき売れないCD店舗より家族客向けのスペースとなったことは、ターゲットの絞り込みがしやすくなったように思えます。


新宿三丁目交差点地下道(Map)


 上は、最近新宿で変わった場所として最も印象に残る、新宿三丁目交差点の地下道で、地下鉄副都心線の開通によりオシャレな地下道となりました。
 以前は、新宿駅から地下鉄丸ノ内線の新宿三丁目駅改札や伊勢丹入口のあるこの付近までの地下道で、どん詰まりのこのあたりにはホームレスがたむろしていました(付近の臭かったトイレもリニューアルされました)。
 1980年都営新宿線開通に伴い、どん詰まりの壁に穴が開けられ当時の映画館新宿東映付近(旧京王電鉄本社)まで地下道が延長されます。
 人が流れるようになり雰囲気は明るくなりますが、まだ新宿の外れという空気感は残っていました。

 副都心線と東急東横線の直通運転(2012年度開始予定)を目前に控えたこの町には、もう一方から乗り入れている東武東上線・西武池袋線からの利用者を、池袋の巨大店舗東武・西武デパートの網の目をくぐり抜けた客を渋谷へスルーさせずに呼び込めるか? 東急東横線利用者には渋谷という最大のライバルをしのぐ魅力をアピールできるか? という非常に難しい課題があります。
 もう始まっているであろう「副都心線の戦い」に際し、地下道のメインストリートにウィークポイントは無くなりましたから、思う存分勝負に挑んでください、というところです(丸井はエスカレーターの向きを変える大規模リニューアル済みでした)。

 いま思えば、この地下道整備は新しい地下鉄開通時にすべきと、満を持していたということなのでしょう。


思い出横町(Map)


 新宿駅西口から大ガード交差点付近には、現在も木造低層の建物が並ぶ一画があります。
 戦後の闇市をルーツとする「思い出横町:新宿西口商店街」で、親の世代には「しょんべん横町」と呼ばれましたが、いまどきその名ではホームページにも掲載できません。
 思い出横町のHPによると、闇市でも政府の統制品は取り締まりが厳しいので、うどん粉等は扱えなかったそうです。
 そこで統制品外の、進駐軍から流れてくる牛や豚のモツを扱うようになり、モツ焼き・モツ煮が庶民の胃袋を満たすようになります。
 当時の流通品は鮮度や衛生状態の悪さから、焼く・煮るなどしっかり火を通す必要があったとしても、「肉を食ってる!」実感が庶民にはたまらないごちそうだったのでしょう。
 また、濃い味付けが酒のつまみにはもってこいだったようですが、塩分を摂り過ぎた当時の働き盛りには高血圧症が多く、それは時代病とも言えそうです。
 親の世代を反面教師として、食習慣を意識するようになったわけですから、感謝すべきと思います。
 でもモツ焼き、モツ煮っておいしいですよね!? 食べたくなってきました……


東京都庁(Map)

 以前西新宿にあった淀橋浄水場(母親の実家に向かうバスからガスタンクと共に眺めていた)の再開発から生まれた新宿の超高層ビル群は、1971年京王プラザホテルの開業から始まります(高さ178m)。1974年新宿住友(三角)ビル(高さ210m)に抜かれるまでは、日本で最も高いビルでした。
 当時は背の高いビルが建つと、その高さ自慢を追いかけるような風潮がありました(東京スカイツリーへの関心と同様で、レベルは低くとも当時の最先端)。京王プラザは敷居が高いも、住友三角ビルの高層階には庶民的パブのような店舗があったので、大学時代には結構通った覚えがあります。

 その後も超高層ビル群は増え続け、1990年東京都庁舎が完成します。バブル期に計画され、当時日本一の高さを誇る「バブルの塔」と呼ばれます。
 当時は日本社会全体が「好景気感」に浮かれていましたから、こちらも恩恵を受けたことになるのでしょうが、「お金がお金を生む」という風潮には「卑しさ」的な嫌悪感を覚えたものです。
 それゆえ関心が向かなかったのか、今回初めて節電で照明が落とされた「暗いバブルの塔」に上りました。

 ご存知のように双頭の塔を持つ建物ですが、それぞれに展望施設があるとは! 「都財政のゆとり」を感じてしまいます。
 案内係の勘違いで双方上らされましたが、海外観光客向けの北側の塔、都民がくつろげる南側の塔との性格分けは理解できるのですが、それぞれ45階に設ける必要があるのかしら? と思ったりします(現在は都民なので意見する権利があります)。

 2008年完成「モード学園コクーンタワー:モード学園が建設の右写真ビル」は目立ちすぎで、印象として「うるさい」景観となりました。
 「コクーン:繭」と言われなくても、見るからに「エイリアンの卵」ですから、「ここから何が生まれてくるのか?」との楽しみよりも、「変なモノが出てくるなよ」と不安視する人の方が多いのではないだろうか?


新宿中央公園(Map)


 上は新宿中央公園の「新宿ナイアガラの滝」です。
 昔から変わらないと思い歩いていると、社会のグレーゾーンで暮らしていそうな方が近づいてきて「現在職に就かれていますか?」と声を掛けてきます。
 汚い格好はしてないつもりなので、ちょっとショック! ですが、いまどきはきちんとした身なりで日雇いの仕事を求めに来るのかも知れません。
 帰り際都庁の駐車場で、そんな呼びかけでかき集められたような労務者風体の集団が整列している様子を目にしました。これからどこかへ仕事に向かうように見えます。
 決して明るいとは思えない集団に、都の主導で何をさせようとしているのか? 検索しても見つからず、聞いておけばよかったと……


 このタイトルは、アルタ前から西口へJR線路をくぐる地下道で、近ごろ目につくキャリーバッグをガラガラ引く若いアベックを追い抜く際に聞こえた会話によります。
女「アルタとか入りたかったなぁ〜」
男「抽選だし、ウキウキウォッチングに写っちゃうよ」(この表現ウケました!)
女「歩道でピースしちゃったり?」
男「写ったら、ここにいるのバレバレだぜ……」
 きっと、秘密のランデブーなんでしょうが、二人の意識の違いが分かるところがおかしく、娘側の「いまここで、この人との既成事実を訴えたい!」衝動と、野郎側の「(遊んでるつもりはないも)いますぐ背負える自信はない」とまどいが感じられた気がします。
 お互いのタイミングがあるでしょうから、うまくやって下さい、としか言えません……

 視聴率低迷に悩むらしい「笑っていいとも!」も、このように「新宿の看板」であるため打ち切れない事情があるのでは?
 放送局が番組を打ち切るのは簡単かも知れませんが、「アルタ前=いいとも!」という全国区の看板を失うことは、地方からの訪問者が「新宿訪問の目玉を失う」ことに直結しそうです。
 そうなった際、フジテレビ側はお台場を目指してくれれば文句ないとしても、新宿側としては「アルタは聖地でないと困る!」という心情を、分かりやすく理解させてくれた訪問者の会話に思えました。

 全国区に浸透した「新宿」=「アルタ」=「笑っていいとも!」というイメージの定着は、親から子の世代に伝えられるような「生きる伝説」の域に達していそうです……

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